第3話 居心地住み心地

(とりあえず、あの少女の正体が知れて良かったな)

 直見は、少し寂れた感のあるステンレス製の電車に乗りながら、そんなことを考えていた。

 名前も聞かなかったから、ずっと不思議に思っていたのだ。

 引っ越しでもしてきたのだろうか。でも、引っ越しして間もなく、新宿に慣れていないのなら、家族が一緒にいてもおかしくない。

(もしや、生田に帰るのはただの方便で、家出でもしてきたんじゃ……?)

 そんなことまで頭をよぎった。

 何でもすぐ疑ってかかってしまうのが、直見の癖である。

 ただ、それが良い方に転がることもあるので、悪いことばかりではない。ただ、どこかしら他人を信じ切れていない節がある。


『間もなく蘇我そが、蘇我です。この電車は、外房そとぼう線、鎌取かまとり大網おおあみ方面に参ります上総かずさ一ノ宮いちのみや行きです。内房うちぼう五井ごい木更きさら方面と、京葉けいよう線ご利用のお客様は……』

 そんな直見の思案をよそに車掌の放送が入り、電車は千葉県の蘇我に着いた。だが、直見が目指すのは、ここからさらに南下した外房の大原おおはらというところなので、このまま乗っていく。

 今日は日曜日だが、朝食を少し早めにしてもらい、朝から出かける計画を以前から立てていた。中野島から武蔵むさし小杉こすぎまでは南武線で行き、そこから直通の快速電車に乗車。まずは終点の上総一ノ宮まで向かっているところだ。武蔵小杉を8時20分の発だったからもう一時間以上乗っているが、直見はこれくらいでは疲れない。

 大網からは、この先の小駅に用はありませんので、とでも言うかのように快速運転を始める。

(既に総武快速線として千葉まですっ飛ばしてきてるのに、なんでそんなに急ぐんだろう)

 車内でそう思ったのは、おそらく直見の他にはいないだろう。日曜日の朝の下り電車、つまり蘇我から先はガラ空きである。


 大網からは途中茂原もばらだけに停まり、定刻10時12分、上総一ノ宮に着いた。20分後に発車する安房あわ鴨川かもがわ方面行きの電車があり、これはほどなくして2両編成でやってきた。

(さっきまで15両だったのになぁ)

 そう思いながら、ボックスシートに腰を落ち着ける。大原まではあと5駅だ。


 *****


「あの、これ下さい」

「はい。800円です」

 大原駅で買った駅弁を携え、いすみ鉄道のホームへ向かう。いすみは漢字で書くと「夷隅」らしい。

(ひらがなにするのが流行ってるもんな。それに可愛げあるし)

 列車の中にはムーミンのキャラクターが置いてある。車輌は菜の花畑と同じ黄色で、何かと可愛げのある会社だと直見は思った。


 車両はJRよりさらに短くなり、今度は1両。それが房総半島を西へ西へ、とことこ走ってゆく。途中の国吉くによしおお多喜たきと縁起の良い字面の駅で反対方面へ行く列車と行き違いをし、列車は久我くがはらという駅に着いた。

『『プシュー』』

 ドアの閉まる音と共に列車が去ると、静寂が訪れた。「三育学院大学」という副駅名が付いてはいるが、およそ学校の最寄り駅という雰囲気ではない。先ほどの列車が終点から折り返してくるのは30分後だから、少し時間がある。

(大学まで歩いてみようかな)

 所要時間を調べると「駅から徒歩25分」と出て即座に諦めるのは、数分後のことである。


 直見は上り列車で大多喜へ戻り、駅弁を食べることにした。大多喜は、いすみ鉄道沿線では規模が大きい方だ。

 駅弁を食べ終わり、待合室で次の列車を待っていると、初老くらいに見受けられる一人の男性が声をかけてきた。

「お嬢ちゃん、旅行客? どっから来たの?」

「神奈川です」

「へえ。アクアライン?」

「いえ、電車です」

 直見がそう答えると、「ひゃー! そんじゃ船橋の方を回ってきたのか!」と大袈裟なくらい驚いた。

 なぜなら、神奈川県内から房総半島にアクセスするには、アクアラインが一番速いからだ。それは、房総半島のJR線の列車本数が少ないことと直結している。

 つまり、神奈川県内からJR線で大原、大多喜へ来る人はほぼいない。

「大多喜城って見たかい?」

「いえ」

「見てったほうがいいよ。今度の12月で一旦休館するらしいから」

(へえ、そうなんだ)

 一本後の列車でも、自宅には十分帰れる。直見は駅から徒歩15分の大多喜城へ行ってみることにした。


(わあ、立派な建物)

 歴史に詳しくない直見は、どういうふうに見るのが正解か分からなかったのでそういう感想しか出ないが、一緒に来た男性の方は結構詳しいようだ。

「大多喜城は大永だいえい元年、真里谷まりやつ恕鑑じょかんという戦国大名が築いたのが始まりだそうだ。それから何十年か経って、大多喜藩というのが作られたときに城下町ができて、その中心となったのがここ、大多喜城なんだ」

「へえ、そうなんですか。歴史あるんですね、やっぱり」

 ダイエイやマリヤツという聞きなれない単語が出てくると、直見にとっては歴史のお勉強の範囲になるので、とてもついていけない。


 *****


「わざわざ解説して下さって、ありがとうございました」

「いいんだ。私は生まれも育ちも大多喜だからね。好きでやってるのさ。これからどうするんだい? 大原おおはらに戻るの?」

「いえ、次の下りで上総かずさ中野なかのに行きます」

「ってことは、小湊こみなと鐵道で五井ごいへ出るのかい」

「ええ、そうです」

「そうかそうか」

 その時、ブレーキ音を響かせながら、一本の列車が入ってきた。14時25分発の下り普通、上総中野行きだ。

「さ、行きなさい」

「本当にありがとうございました」

 菜の花色のディーゼルカーが、エンジン音で急かしている。


 *****


「乗車券お持ちでないお客様は、車掌にお申し出ください」

 上総中野から乗り換えた小湊鉄道線では、車掌が車内を行ったり来たりしていた。

 ワンマン運転は導入していないらしい。

「すみません」

「はい」

「上総中野から五井まで、大人一枚下さい」

「はい。1440円になります」

 そう言うと車掌は慣れた手つきで、持っていた紙束のうち一枚にパチンパチンと穴を開けると、ピリッとその一枚だけを剝ぎ取った。

「1500円お預かりします。こちら、きっぷです」

 直見はそのきっぷを受け取った。見ると、今時珍しい紙の補充券だ。

(小湊鐵道、まだこういうの使ってるんだな)

 直見がジッと補充券を見ている間に計算が終わったらしく、「60円のお釣りです。ありがとうございました」と車掌が言った。


 五井で内房線に乗り換え、直見は浜金谷はまかなや駅にいた。

(「待たずに乗れる」っていう宣伝文句、どうやって思いついたんだろう)

 浜金谷駅は東京湾とうきょうわんフェリー金谷港かなやこうへの乗り換え駅で、直見は今日、フェリーではまに出て帰るつもりだ。

 ちなみに浜金谷駅の所在地は「千葉県富津ふっつ市金谷」で「浜」が付いていない。

 JRの駅に「浜」と付いている理由は定かではないが、一説によれば静岡県の金谷駅より開業が遅かったためらしい。

 次の東京湾フェリーの出航は18時30分だ。

(そうだ、飛田さんにメールしておかないと)

 京急線横浜よこはま駅までの連絡きっぷは、海を渡るきっぷ。

 日が暮れた東京湾の上を、煌々と光るフェリーが近づいてきた。

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