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「デートでは何が大事なのか分かるかね、少年君」
「相手と一緒に楽しむこと。あと、気張りすぎないこと」
「かァー、ひねりがない! でも満点!」
何をしたいか、どこへ行きたいかを勝手に決めるのはデートではない。互いに納得の上で行先を決めて、行った先でも相手と歩調を合わせながら行動をする。もちろん、現地で解散するとか、往復するときだけ一緒なんてのもありだろう。そんなデートがしたいのであればの話だが。
選択と合意を繰り返していく過程は、砂浜で城を築くように丁寧な作業の繰り返しだ。相原と一緒に居たいから、どうすれば彼女が笑顔になれるのかを考える。それをエゴと自己犠牲の発露にしないために、自分がしたいことも考えながら。
でもまぁ、俺と相原の共通の趣味とか言い始めると、こうなるんだよな。
「これでいいのか?」
「完璧なフォームだぜ」
「……まぁ、慣れているし」
金属製のバットを正しくフィンガーグリップで握る。リラックスした身体は小刻みに揺らして、いつでも最大のパフォーマンスが発揮できるように構えた。旧式のピッチングマシーンから放たれた白球を全力で振りぬいた。
快音を響かせて、白球は天井付近のネットまで飛んでいった。
ヒットしたのは気持ちいが、気分は完全に乗っているわけじゃなかった。
「デートでバッティングセンターって、どうなのよ」
「あたしの提案だったけど、やっぱりご不満?」
「そんなことないよ。だって俺、体動かすのは好きだし」
学校で一番好きな授業は体育。その次は休講による自学自習の時間だ。
今日は相原とのデートである。一応。名目上は。
県下最大級の飛距離が出せます、が宣伝文句のバッティングセンターに来ていた。俺が小学生の頃から広告が変わっていないけれど、そもそも県内に三件しかないからな。最大じゃなくて最大級なのだから、今後新しくセンターが出来たとしても看板が書き換えられることはないだろう。
ピッチングマシーンが球を吐き出しきって、俺は打席を離れた。外では相原がもう一回! と財布を構えて準備をしている。彼女も身体を動かすのが趣味だが、こうした施設に来るのは初めてらしい。
「相原はどっちを選ぶ?」
「どっちでもいいよ。どっちでも打てるし」
「名バッターじゃん。じゃ、俺は……」
スライダーとカーブ、どっちの打席に立つかを迷ってカーブにした。相原は迷わずにストレートを選んで突撃していく。俺に球種を選ばせた意味はどこに。
包丁と違って、バットの握り方は様になっていた。
「あいは……小紅。ひょっとして経験者なのか」
「うん! こうみえて、ジュニアリーグの四番打者だったから」
「そんな才能あったのかよ。ポジションはどこよ」
「左サイドバック。オーバーラップから
あ、こいつ野球部の練習に入り込んだサッカー部じゃん。
冗談なのか、本当の話なのか。彼女の才能を思えば嘘とは言い切れないあたりが意地の悪いジョークだった。真面目に聞けば答えてくれるだろうけど、そこまで真剣になるような質問出ないことも確かだ。
「球技だと、何が一番好き?」
「んー、バレーかなぁ」
「どうしてよ」
「だって、お母さんがいつも見てたし。はじめ君は?」
「ドッヂボール。俺、最強だったから」
「うわ、筋力ですべてを解決してそう」
相原と雑談しながら、それなりに速い球を打ち返していく。
家と学校を往復するだけだった小学校時代を思い出した。休み時間も友達と遊んだ記憶がない。体育の時間にドッヂボールをやるのは楽しかったけど。
洗濯とか料理とかを覚えて楽しかったのだけど、それは子供が青春を犠牲にしてまでやることじゃなかった。泰子は子育てが出来るような状態ではなかったし、了は単純に生き方が下手だった。あの頃、周囲の大人達が俺の家族を助けてくれていたら、俺の人生も少しは変わっていたのだろうか。
まぁ、別に。
どっちでもいいんだけど。
「はじめくんの考える普通のデートって、どんな感じ?」
「え? あー、それもまた難しいな……」
バットの芯を外れた球が、変なところへ飛んでいく。相原のスイングは豪快だったけれど、三連続で空振りしていた。運動神経の良い彼女も完璧ではないことが分かって、少し安心する。四番だったという宣言は嘘らしいな。
憧憬とか信仰は輪郭のはっきりしない相手にこそ強く輝く感情だ。相原と過ごす時間が長くなるほどに空想の産物や偏見の塊がこそげ落ちて、彼女の真の姿が浮き出てくる。
俺の知らない相原は、俺が知っていたよりもずっと、綺麗な人だった。
「あたし、遊園地とかテーマパークは好きじゃないな」
「意外だ。同行者放り出してでも遊んでいるイメージがあるけど」
「アトラクション、ってか待ち時間が苦手だもん」
「それっぽいなー。よっと」
今度は芯を捉えた。
真っ直ぐに飛んでいく球が、ホームランの的を僅かに逸れて緑のネットを揺らす。残念だねぇ、と愚痴をこぼした。
「惜しかったね。でもあたしの勝ちだし?」
「ヒット数も俺の方が多かっただろ。なに、打ったら負けなのか」
「違いますー。はじめくんがあたしを見てたから減点なんですー」
意味が分からなくて笑ってしまった。
化粧直しに向かった相原を見送って、ビリヤードの台を借りるために受付へ向かう。料金を支払って、休憩所でドリンクを飲んでいたら相原が帰ってきた。
「お待たせ」
「ん。……なんでヘアピン変えたの?」
「うわ、気付いた。観察力の鬼だ」
赤いヘアピンが可愛いなぁ、と思っていたので記憶に残っているだけだ。お手洗いから帰ってきた彼女のヘアピンが青色になっていれば、誰だって何かあったのかと疑問に思うだろう。
俺はバカだから、ちょっとやそっとのお化粧には気が付けない。
でも、相原のことだけは、少し分かるのだ。
ビリヤードの球技室へ向かうと、大学生くらいのグループがゲームに興じていた。
「うわ、なんか埃っぽい部屋だね」
「アングラっぽい、っていいなよ。それがウリなんだから」
「この感じ、小学校のピロティ思い出すなぁ」
「あのコンクリート張りのところか。体育館の下の」
「え、はじめくんのとこコンクリートだったんだ! あたしのとこ土だったんだよ」
それぞれの学校事情を喋りながら、指定された台へと向かう。
相原はビリヤードで遊んだことがないらしい。ナインボールのシステムを簡単に説明した。九番を最後に落とすとか、最初に当てる球は台に残っている中で最小の番号じゃなきゃダメとか、細かいルールがあるのだ。
初めの一回は順番に関係なく球を狙っていいことにした。そして勝利判定も、より多くの球を落とした方の勝ちにする。だって、そっちの方が初心者にも分かりやすいからな。
「よっしゃ、気合入れるぞ!」
「負けたらジュース奢ってくれる?」
「いいよ。でも、最初の一回は練習ね」
俺も一度、香奈城と遊んだきりだ。それも中学二年生の頃の話で、球を突く感覚も忘れてしまっていた。打ち合って、それなりの接戦になる。
幸運の女神に愛された相原は、初めてにしては綺麗にショットが決まっている。二球の差をつけられていた。
「ふっふー。見てよ、あたしのスパーショットを」
テーブルの反対側へ行った相原が、ぐっと身体を乗り出してキューを構えた。高い集中力とバランス感覚に優れた身体から放たれたショットは彼女が狙った通りに球を弾き飛ばし、青色の球がポケットへと吸い込まれていった。
自慢げな彼女は、次の球へ狙いをつける。
「……どうして急に、デートなんて言い出したの?」
「そうだなぁ。俺も、そういうのが気になるお年頃になってきたのかな」
「うわ、サイテー。手近な相手なら誰でも良かったの?」
「そんなわけないじゃん。相原以外は眼中にないから」
外した。
相原がすかしたキューは、ラシャをこすった。テーブルに敷かれた緑色の布のことだ。意外と張り替えが珍しらしく、破れなかったことに安堵した。いや、キューを向けられては安堵も何もないが。
「はじめ君。変なこと言わないの。次はないから。その目玉を突くから」
「……いや、普通に続けようとするなよ。空振りしたんだから交代!」
「いいじゃん。もう一回だけやらせてよ」
キューを槍のごとく構えられて、仕方なく相原の言うことを聞いてあげた。
中学生の頃、錯乱した同級生に刺又を向けられたことを思い出すな。あの時は問答無用で叩き伏せたが、今回は事情が違う。いやぁ、中学時代には封印したい思い出がいっぱいあるぜ。
深呼吸をしながら、相原はぶつぶつと文句を垂れ流す。
「デートってのは、好きな相手とするものなんだぞ」
「うん、知っているけど」
「……否定しろよ、ばか」
相原が手番を無視して弾いた球は他の球に当たったけれど、ポケットに落とすには至らない。キューを受け取って、俺の手番。相原が狙っていたのとは違う球を落とすことに成功して、もう一度。運よく続けて成功することが出来た。
やー、センスがいいのかもしれないな。
「これ入れたら俺の勝ちだから」
「外せ! っていうか落ちなくない?」
「右端に当てて、なんかうまいことバウンドすればいいだろ」
「適当すぎる……」
だって、そんな感じで生きてきたし。
ぐっと背伸びをして構える
するすると相原が近寄ってきた。邪魔をするつもりだろうか。
「ねぇ、はじめくん」
「ん。どうした?」
「あたしのこと好き?」
ぐっ、と胃が締まった気がした。
「……き」
「小声でごまかすな! はっきりしろ!」
「気になる相手。それでいいだろ」
「……むぐっ。ぎー!」
相原にケツを叩かれた。妨害行為は禁止だぞ。
へらへら笑いながら最後の球を突く。弾かれた球は何度も跳ね返って、やがて、ポケットに収まった。
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