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「好きな人の好きなものを知る。それは、とっても楽しいことです」

 駅前の喫茶店で待ち合わせて、根津に話を聞いていた。

 片想いガチ勢の貴重な意見だ。大変、参考になる。

「どうやって聞き出すのが正解かな」

「……横で見ていれば分かりますから」

「お前はストーカーかよ」

「は、話し掛けるのは恥ずかしいじゃないですか!」

 俺の発言によって思い出したことがあるのか、根津は向かいの席で暴れ始めた。テーブルの下で跳ねる脚が俺の脛を蹴っても、彼女は気にする余裕もないらしい。溜め息を吐いて珈琲に口をつける。

 ちょっと苦いだけの、色がついた水みたいな薄い珈琲だった。

「根津は、どうして一ノ瀬を好きになったんだ?」

「ぶふっ、ば、んでごと聞くんですか!」

「落ち着いて喋ってくれ。何を言ってんのか分からん」

 むせた拍子に気管へとココアが入ったらしい。彼女は何度か咳き込んで、おしぼりで口元を覆っている。隣に居れば背を摩ってやりたいが、対面ではそれもかなわない。小柄な体躯、小動物のような所作。様々な要素に庇護欲を誘われる。

 彼女もまた、美しき隣人の一人だった。

「……今日は、浦島君の恋愛相談ですよね」

「あぁ。聞けば参考になるかと思って」

「なりませんよ。きっと」

「んなことないって。俺、恋愛初心者だから。先輩に助力を乞いたい」

「むぐ……ぐ……」

 唇を噛み締め、彼女はおしぼりをぎゅっと握る。

 俺へと視線を向けることはなく、揺れるココアを見つめている。黙って様子を窺っていたら、羞恥心に負けた彼女の耳が少しずつ赤くなっていった。素直で愛らしく、ちっぽけな自尊心が彼女の芯を支えている。

 顔を上げた根津は、俺を正面から睨みつけた。

「本人には秘密ですよ」

「無論。小指を掛けてもいい」

「両手両足、よっつ分ですよ」

「あぁ。いいとも」

「……それなら、話しますけど」

 一ノ瀬は昔、黒いランドセルを背負って小学校へ通っていた。彼女は赤色のランドセルが欲しかったが、その願いは親に聞き届けられなかった。同級生からいじめられて登校を拒否した彼女だが、隣家に住んでいた女子とランドセルを交換したことを切っ掛けに仲良くなったらしい。

「それで、学校に出てくるようになりました」

「うん。続けてくれ」

「守ってくれる相手が一人でもいれば、人は優しくなれるんです」

 いじめられてこそいなかったが、根津も友達のいない子供だった。教室の隅で本を読んでいた彼女に話し掛けてきたのが、一ノ瀬だったのだという。最初こそ、根津は彼女のことを警戒していた。

 理由は簡単だ。

 不良と付き合いがある相手だったから。

「不良だったのか。その、助けてくれた子が」

「えぇ。家庭の問題があって、荒れている子でした」

「意外だな。そんな子が一ノ瀬を助けるのは」

「本人は気まぐれだ、って言ってましたよ」

 一ノ瀬とランドセルを交換した女子は、学校では有名な不良だったそうだ。毎日誰かと喧嘩して、体中に擦り傷をこしらえていた。家庭環境に複雑な問題がある、と聞いたところで昨日一ノ瀬から教えてもらった話を思い出す。

 一ノ瀬の家に住んでいる同級生が、件の少女みたいだ。

「一人称が僕で、男の子よりも男の子っぽくて、喧嘩も強い子でした」

「随分と属性が多いな」

「それはつまり、敵も多いということですから」

 規律正しい生活しか知らない根津にとって、アウトロー然に振舞う少女は憧れの対象だった。自然と、少女と仲の良い一ノ瀬にも羨望の視線を向けるようになる。不良少女は喧嘩慣れした鋭い視線もあって話し掛けるのに勇気が必要だったが、一ノ瀬は物腰の柔らかさが当時からもあった。だから、話し掛けて、親しくなった。

「それで。どうして好きになったの?」

「……一度だけ、喧嘩に巻き込まれたことがあって」

「うん」

「その時、助けてくれたんです。私の大事な友達だ、絶対に守るんだって」

 格好のいい話だった。結局は不良少女がひとりで喧嘩相手をのした、とオチが付いてなお一ノ瀬への評価は変わらない。弱くても意思が強く、そこに根津は惹かれたのだろう。

「不良ちゃんにも惚れそうだけどな」

「それはないです。あの子と私を繋いだのも、一ノ瀬君ですから」

「そっか。そうなんだ」

 根津と一ノ瀬、そして俺が名前を知らない少女の間には物語がある。

 複雑な環境で育まれた、彼女達しか知らない物語だ。

 それが恋心の芽生えに通じているなら、俺が参考に出来るものは少ないだろう。俺の人生には波風が少ない。少ないのだと信じて生きてきた。今さら小波に慌てふためくことはないし、恐れて暴れることもない。

 特別を求めるのは難しい。

 根津の話を聞いて分かったのは、そんなことだった。

「結局、振出しに戻るわけだ」

「……好きな人、出来たんですか?」

「これから作る予定だよ」

「修羅場になっても、私は助けませんから」

「そう言うなって。友達だろ」

 助けてくれ、と根津に頭を下げてみた。

 彼女は困ったような表情をして、にこりともせず真面目に頷く。

 根津と一ノ瀬の関係が、少しでも前に進んでくれればいいいと思う。それが恋人ではなく、友人としての付き合いだったとしても、ふたりがそれぞれに思い描く幸せの形に少しでも近付けばいいな、と俺は願った。

 味の薄くなった珈琲を飲み干して、おかわりを頼む。

 まだ俺には、知りたいこと、教えてもらいたいことがいっぱいあるのだった。

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