-5-
肉を食った。腹一杯に食った。
甘い脂で腹を膨らませて、心地よい痺れがやって来る。満足感を抱えてゆっくりと座り込むと、煤と血で汚れた両手が目に入る。我ながら美しくないとは思うが、火の番をしながらの食事は大変なのだ。この程度の不格好は許してほしい。
しかし、一年ぶりのバーベキューだ。
「美味かったなぁ」
「なんか肉食怪獣みたいだね。浦島君が言うと」
「ヘンなこと言わないで。ホントに怪物っぽく見えてきました……」
「お前らも食ってやろうか」
冗談でガオ、と怪獣らしく構えて見せる。一ノ瀬はにこりと笑い、根津は肩をすくめて鼻を鳴らす。ポーズを変えてみたが、根津が呆れたように溜め息を吐くだけだった。
予想していた通りの反応だ。
「でも、美味かったろ?」
「そうですけど……」
「じゃ、それでいいじゃん」
へらへらしていたら、近くの家族組にいた小学生がこちらを見ていた。手を振って返したのに、少年は俺から目を逸らして逃げていく。そんな怖い顔だろうかと首を捻る。少なくとも今は満腹だし、幸福感に包まれていた。
宇宙人であることがバレたのかもしれないな。
「ま、いっか」
紙コップに注いだ飲み物で一息つく。
河原で遊ぶ小学生たちを眺めていたら、相原が近寄ってきた。
食後のデザートに、と一ノ瀬が用意した焼きマシュマロの串を両手に持っている。片方を差し出してくれたけど、俺が手を出すと逆に引っ込めてしまう。仕方がないので口を開けた。
今日も俺は、相原に餌付けされているのだった。
「はじめくん、ジンジャーエール好きなの?」
相原が指を差したのは、俺が手に持つ紙コップだ。そこにはカラメル色をしたジンジャーエールが注がれていた。相原の実家、紅やで飯を食べるときもよくジンジャーエールを頼む。それを踏まえての質問だろう。
「うちの店でも頼むよね。結構な頻度で」
「好きか嫌いかで言えば、好きだな」
「ふーん。どうして好きになったの?」
「映画のお供にしていたら、いつの間にか、な」
「へぇ。習慣ってヤツは怖いねぇ」
相原に差し出されるまま焼きマシュマロをかじり続ける。表面はパリっとしているのに中はトロトロに溶けていた。甘味も数倍に濃縮されているのかと思うほど濃くて喉が焼ける。ニコニコと笑顔で食べ続けるには苦しいものがあった。
相原は俺が食べるのを眺めながら、もう片方の手に持ったマシュマロを齧っている。香奈城も両手に串を装備して、ご機嫌に食べ進めているようだ。根津と一ノ瀬は一本の串を分け合って食べていた。甘くなりすぎた口を洗うために紙コップを傾けて、そういえばと口を開く。
「相原の髪、ちょっと赤っぽいよな。ジンジャーエールと同じ色だ」
「へへっ。そうだよ。知らなかったの? 辛口の色でしょ」
「あぁ。綺麗な色だな」
褒めたら相原が串を引っ込めて、ぐりぐりと脇腹に拳を擦りつけてきた。
串で刺されなかっただけ、マシだと思うことにしよう。
「はじめくん、これ食べ終えたら遊びに行こうよ」
「いいけど。飯食った後に運動とか、正気か?」
「んー、まぁ、のんびりするのも悪くないけどさ。でも、このままゴロゴロするのも勿体ないじゃん。何かしようよ」
笑顔の相原に誘われて心は揺らぐ。だけど視線は他の友人達へと向いた。まだ片付けが残っていて、このまま遊びに行くのは気が引けるのだ。
答えを濁して空っぽになった紙コップをゴミ箱へ放り込む。相原から串を奪い取って、最後のマシュマロを引き抜いた。口に放り込んだそれはむせるほどに甘い。だけど、癖になりそうだった。
ぽん、と肩を叩かれて振り返る。
そこには香奈城の姿があった。
「片付けは僕がやるよ。浦島は休憩して来たら?」
「いいのか? 香奈城だって遊びたいだろ」
「大丈夫だよ。僕はイベントの準備も片付けも、両方好きだからね」
「……じゃあ。お言葉に甘えて」
香奈城に背中を押されて、そして相原に腕を引っ張られて川へ向かって歩き出す。振り返ると友人達が手を振って送り出してくれていた。根津は猫を追い払うような手の振り方をしていたが、まぁ、彼女なりの気遣いだと思うことにした。
グリルには火の消えていない炭が入っている。バーベキューをしたことのない人間に扱わせるのは怖いけど、香奈城がついていれば安心か。
「ま、散歩するだけだしな」
「えー。もっと楽しいことしようよ」
「相原にはプランが」
「ないよ」
「おい」
ケタケタと笑う相原と一緒に、山の中腹に設けられたキャンプ場を歩いていく。俺達が飯を食べていたのは、子供も安心して遊べるようにと水深を浅く工事したエリアだ。川底にはタイルが張られていて、石などに足を取られる心配も極力減らしてある。
山頂へ向けてちょっと歩けば、川も少し深くなった。
「相原は初めて来たんだよな」
「ん、そうだけど? 家族旅行とかもしたことないし」
「休みの日は一人で遊んでいるんだってな」
「しょーがないじゃん。私に追いつける人、少ないのよ」
急に走り出した相原を追いかけようとしたら、突如としてフリーズした。ぶつかって、わざとらしく痛がってみせる彼女は、俺を小突いて楽しそうに笑った。そんな相原に、聞いておきたいことがある。
「……ずっとキョロキョロしているけど、そんなに川へ飛び込みたいのか」
「はじめくんは私のこと、なんだと思っているの?」
「遊びたい盛りのお子様だろ」
「んもー、意地悪なこと言うなよ」
べちべちと背中を叩いてくる相原にも慣れたものだ。気付いたら彼女に手を握られていた。つんと澄ました顔で、俺からそっぽを向くように視線を逸らしていた。
「手を離した方が負けだから」
「変なゲームだな」
「いいじゃん。変でも」
「相原は楽しいのか? ……俺は楽しい。心躍る」
繋いだ相原の手から伝わる体温が、俺の心臓を温めていく。夏には過剰な熱が頬や耳を熱くした。俺の率直な感想は相原にどう届いたのだろう。家族連れの歓声にかき消えるほど小さく、相原が「バカ」と言った気がした。
手を繋いで、川辺の歩道を行く。ゆるやかな上り坂になっていて、行く手からボールが転がってくる。前を歩いていた家族連れの、小学生にもなっていない女の子が落としたようだ。相原と手を離さないようにしつつ弾むボールを拾い上げた。俺から渡すと怖がられるのが嫌で、相原を経由して少女に返す。
小さい女の子は俺達を交互に見上げた後、家族の元へと帰っていく。少し離れたところでペコリと頭を下げて、今度は振り返らずに歩いて行った。
「優しいねぇ、はじめくん」
「別に、このくらいは普通でしょうが」
「そうかな。世の中には、悪い人もいっぱいだからネ」
意味深なセリフをそれっぽく言ってのける。
紅屋の女神様は、口が達者なようだ。
しばらく歩くと、人々の様子が落ち着いていた。昼前から遊んでいたグループは、どこも休憩をしているようだ。ゆったりとご飯を食べているところもあれば、お菓子片手に涼んでいる人達もいる。過ごし方は自由で、流れていく時間を気にせずに楽しんでいるようだ。
ザブザブと浅瀬を歩いては、歩道へと上がるのを繰り返す。まっすぐ歩けば短い道程も相原と遊びながら歩けば随分と遠回りになるようだ。ちょっと長めの階段をのぼって、少し歩けば第二キャンプ場が見えてくる。
夜にもバーベキューが出来るよう設置された光源の近くには、いくつかのテントが張られている。その脇を通って、第二キャンプ場と書かれた看板の横を抜けた。
「ここから先の川は腰くらいの深さがある。下のキャンプ場は、足元にしか水が来ないように流量とかも調整してあるんだよ」
「へー。最初からこっちにくれば良かったじゃん?」
「子供連れは事故が怖いのもあって、第一キャンプ場に行くんだ。で、利用客が多い分設備も充実しているから、今日は向こうでバーベキューしたってわけ」
「そっか。まー、たしかにこっちじゃボールとかでも遊べないね」
川辺に腰を下ろして小休憩を取る。相原はご飯を食べる前に水着からシャツ姿に戻っていて、今もまだ、それを脱いでいない。根津が手放しに誉めていたこともあって、水着姿の相原を見てみたい気もする。
「なんか視線を感じるんだけど。困るなー。あたし、穴をあけられちゃいそう」
「俺だけ、相原の水着姿を見せてもらってないと思って」
「え、見たいの? 恥ずかしいんですけど」
「ただの水着だろ。見られて困ることなんか何もないじゃん」
「はじめくんはダメ。めっ!」
相原の左手が伸びてきて、頬をぐいぐいと押して視線を逸らしてくる。メシの前までは普通に見せていたのに、俺以外の奴は、香奈城も含めて彼女の水着姿を見ているのに、と妙な嫉妬が胸に膨らんでいく。
繋いでいた手で相原をぐいと引き寄せて、そのまま肩へと手を回す。
互いの顔を真正面に、肌が触れ合いそうなほどの距離で見つめあった。覗き込んだ彼女の瞳は銀河を連想させるような複雑な色合いで、もっとよく見ようと距離を縮めたら突き飛ばされた。
困惑したまま水面に顔を上げると、相原――小紅が大声で騒いでいた。
「ばっか、チューしようとしただろ!」
「してねぇし。綺麗な目だなと思っただけだぞ」
「ぐ、ぐぬっ。てぇい!」
川に落ちて頭からずぶ濡れになった俺に向かって、小紅がシャツを投げ捨ててくる。川へ落ちてしまわないように受け止めたのに、彼女のドロップキックによって俺の努力は水泡に帰した。
よかったな、俺が人魚ならマジで泡になるところだったぜ。
「危ねぇだろ、小紅」
「あぶっ、こっちだって危なかったもん! 私、まだ、そういうのはっ」
「何の話だよ。ってか、そっちから手を離したんだから、小紅の負けな」
「なんの話ぃ⁉」
大暴れする相原をどうにか抑え込んで、頭を冷やすためにふたりで川に浮かんだ。
大きな声を出して汗をかいた後の、流れる川の水が心地いい。
「で、どうよ。あたしの水着姿をみた感想は」
「……今から見る」
「言わなきゃよかった」
頬を膨らませる相原が、腕組みをして水着を隠そうと企てた。その微細な努力に意味はなく、俺の視線は彼女の全身に注がれた。相原は水色のタンキニを着ている。
「世界一、綺麗だと思った」
思ったことを素直に述べる。
相原からの、小紅からの返事はない。
薄く曇った空は、見上げていても眩しくなかった。
嘘を吐いたのがバレたのか、と少し不安になる。本当は、彼女を思いきり抱き締めてみたいと思った。水色のタンキニを着た相原はアイドルのようだった。フリルレースがあしらわれた肩紐や、へそが露わになるよう短くした丈に可愛さを感じる。同じセパレート型でも、体育の授業で同級生たちが着ていたスク水とは比較のしようもない。
後ろに手を回して、上目遣いに視線を寄越してきた彼女は、あまりにも可愛くて。
この胸の高鳴りを、人々は恋と呼ぶのだろうか。
「次のバイトいつだっけ」
「明後日。明日はウチ、定休日だよ」
「そっか。今日は泊っていくんだよな」
「荷物はもう、はじめくんの家に置いてあるし」
「そう、だったな」
「…………うん」
会話が、思ったよりも続かない。小紅が美人だということは知っている。けれど、それを意識して妙に緊張している自分がいることに驚いた。なんだろう、この感情は。初めてだ。胸が苦しくて、もどかしい。
考え事をしていたら身体が沈んで、慌てて足をついた。
「浮き勝負はあたしの勝ちだね」
「いつの間に戦っていたんだ、俺達は」
「勝負はいつだって、既に始まっているんだぜ」
ピースサインした彼女の左手を、俺の空いていた右手で包む。
両手を結んで、自然と向かい合う格好になった。
「小紅。変なこと聞くけど、いいかな」
「ん? スリーサイズは答えないよ。乙女の秘密だからね」
「俺のことをどう思っているか、聞かせてくれないか」
「……それって、どういう感じでしょうか」
「んー。そうだな。例えば、そう、俺とどんな関係になりたいのか、みたいな」
ふわふわと、頭の中でまとまっていない言葉を口にする。
ようやく落ち着いていた彼女は、上気しそうになった顔を見られたくないのか下を向いた。ついでとばかりに頭突いてきて、ふたりして体勢を崩す。
「つまり、こ、友達とか、そういう?」
「うん。そう。そんな感じのやつ。でも俺は友達のままでいいとは思っていない」
俯いていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。
泣きそうな目をしていた。
「あたしのこと、好きなの? その、えっと……」
「分からないんだ。でも、相原と一緒にいると楽しくて」
「だ、だよね。好きとか嫌いとか、そういう話じゃないもんね」
「そうそう。分かる、分かる」
「わかるな! このっ。分からずや!」
顔を真っ赤にした相原に怒られながら、香奈城達がいる第一キャンプへと戻っていく。いつの間にか手を繋ぎ直していたけれど、どちらから手を出したのか、思い出せはしなかった。
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