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「友達を家に誘っておいて、洗濯物を畳むのって君くらいだよ」

「そうかな? 香奈城の時はいつもこうだけど」

「えー。あたしつまんなーい」

「制服のままベッドに寝転ぶとシワになるぞ」

 俺のベッドにダイブした相原に親切心からの言葉を投げかける。体操服になれというのか、などと言い出したので助言も忠告も控えることにした。そもそも他人のベッドに寝転ぶのがどうなのか、という話な気もする。

「お母さんたちは? 了さんと、泰子さん」

「今朝から温泉旅行だよ。俺も連れて行けって話だ。もう夏休みなのに」

「やーい、今日から一人暮らしー。戸締りと火元には気をつけろー」

「それ煽り? 煽りなのか?」

 少なくない洗濯物を畳んでいたら、相原が背中にくっついてきた。もう慣れてきたので感想も何もない。学校と違って、静かな家だと相原の吐息が妙にくすぐったく感じる程度だった。

 あとは、あれだ。なんか柔らかい。意識しないようにはしているけど。

「洗濯物、意外と多いね」

「了が帰ってくると増えるんだ。ふたりなら、二日に一回の洗濯で済ますんだけど」

「へー。毎日やるものってイメージがあるけど、違うんだ」

「家庭による、としか言えないけどな」

 もしも俺が一人暮らしなら、三日に一回でもいいと思う。家事は丁寧にやればやっただけ快適に暮らせるが、同時に時間を無限に吸われてしまう。ある程度の妥協が必要で、その基準は人によって違うのだった。

 俺の肩を叩いたり、耳に触れたり、髪をくしゃくしゃにしたりと忙しそうな相原もようやく暇になったようだ。飽きたとも言えるな。彼女はすんすんと鼻を鳴らしている。

「男の子の部屋、初めて来た。なんか甘い匂いするけど、なんで?」

「お菓子の箱があるからな。アメとかグミとか、よく食べるから」

「お、これか。どれから開ける予定?」

「自由に食べていいよ。だけど、おい、俺の背中で食うな」

 人の背中でクッキーを食べ始めた相原と僅かばかりの喧騒を楽しんで、洗濯物を畳み終える。細々とした家事をいくつか済ませて部屋へ戻ってくると、相原は俺の枕を抱きかかえるようにしてベッドに寝転んでいた。そこから動く気はないのか。

「寝るなよ、相原」

「寝たら起こしてくれる? ……まだ欠伸も出ないけど」

「もし眠ったら朝になるまで放置だな。寝顔の写真くらいは撮るかも」

「お泊りオッケーなの? あとね、撮影は禁止だから。ダメ、絶対」

 指先でバッテンを作って、相原は小さく笑う。

 もし本当に泊っていくなら、着替えとかはどうするつもりなんだろう。泰子のだと背丈が足りてないし、了のだと胸元がキツそうで……。ま、いいか。どこまで冗談か分かんないし。

 ベッドの横に腰掛けて、じっと動かない相原を眺める。視線に気付いた彼女は抱きかかえていた枕を俺の顔にぐりぐりと押し付けてくる。まるで小学生の兄妹みたいに不毛なやり取りをして、俺達はへらへらと笑った。

「殺風景な部屋だなー。何もないじゃん。はじめくん、休日はゴロゴロしているだけなの?」

「趣味が映画鑑賞だからな。ゲームも、よほど暇じゃないとやらない」

「映画かー。そういえば、入学式に遅刻したときって、どんな映画を見ていたの」

「ん? あぁ、アレは確か……」

 了から借りたディスクで見た映画だ。俺も普段はサブスクサービスを使っているが、了や泰子が仕事の関係で購入した現物のディスクで映画を観ることもある。特典映像とかもあるし、現物もいいものだよね。

 相原を部屋に残して、家具が桃色に染まった泰子の部屋へと向かう。ものの数秒でお目当てのディスクを探し出して、まだベッドの上でゴロゴロしている相原へ見せに帰った。

「これだよ、これ。醜いマーマンが耳の聞こえない女性と恋をする話」

「あー、タイトルだけは見たことがあるやつだ」

「最高の映画だったんだ。マジで、俺史上最高」

 社会風刺、喜劇と悲劇、実る恋があれば壊れる愛もある。

 あまり興行収入は芳しくなかったけれど、胸に刺さるシーンが多い映画だった。

 青色のパッケージが多いブルーレイディスクの中でも、こいつは特に青一色だ。水中での主人公達のハグシーンが描かれているからで、深い水底に沈むような錯覚に襲われる。真っ赤な主人公のドレスが映えるパッケージだった。

「で、主人公はどうなるの?」

「それは映画を見てのお楽しみだろう。教えてあげないよ」

「ほーん? あたし、あんまり映画見ないけど。それでも面白い?」

「見ようぜ。つまんなくても、これが俺の好きなものって知ってもらえるだけで価値があるんだ」

 ベッドに寝転ぶ相原を起こして、いそいそと映画を観る準備を始めた。

 高校生の部屋には似つかわしくない大画面のブルーレイ内臓テレビは、泰子が商店街の福引で当てた。直前に了から泰子への誕生日プレゼントで似たようなサイズのテレビを買っていたから、俺の部屋へやって来たのだ。

「今日は終業式だったからな。早く帰れる日は、それだけで得をした気分になる」

「ゆっくり映画を観られるから?」

「いや? 友達と長い時間、一緒に遊べるじゃん」

 なるほどなー、という納得の台詞とは反対に相原はぽこぽこと背中を叩いてくる。マジで行動原理の分からない奴だった。諸々の準備を終えて、上映を開始した。

「この映画、マジで好きなんだよ……」

 ベッドを背もたれにしてお菓子片手に映画を楽しむ、なんとも贅沢な時間だ。相原はすっと俺の横に座ったまま、そわそわと落ち着かない様子だ。ぐいぐいと俺の肩を押して、すっとぼけたことを言う。

「んー。はじめくんの背中で画面が見えないなぁ」

「横並びなのに妙なことを言わないでくれるか? 相原の目は側頭葉についているのか」

「こうすれば解決だね!」

「何が解決したのか、あとで説明してもらうからな」

 ポップコーンの代わりにでもなるつもりなのか、相原は俺の膝に乗り込んできた。普段は相原が俺を抱きかかえようとするから、逆になった格好だ。掴まれた腕を彼女の前へと回されて、渋々そのままの姿勢で映画を見続ける。直前に食べたクッキーとは違う甘い匂いに、少し眩暈がした。

 一緒に見た映画は、やっぱり面白かった。一介の市民にすぎない主人公が、ふとした切っ掛けで世界の秘密の一端を知る。友人たちの助けを借りて悪を倒し、運命の相手と結ばれる。分かりやすくて王道の物語だ。飛び道具も、奇抜な設定もない。だけど丁寧な脚本と繊細な描写で、世界の美醜を見事に表現した作品だった。

 特別じゃなくてもいい。そう思わせてくれる。

 宇宙人の子供が、地球人の子供のフリをしていても問題はない。

 そんなことを、この映画は思わせてくれた。

「キレイな映画だね」

「だろ? ずっと観ていたくなるんだ」

 繋がれた手のひらと指先から、なんとなく相原の考えていることも分かるような気がした。映像と一緒に彼女の喜怒哀楽も追いかけて、感情の起伏を知る。心の表層をなぞるようで少し後ろめたい。それでも辞められなかったのは、相原のことをもっと知りたいと思ったからで……。

 どうして俺は、相原のことを?

 エンドロールが終わった後も相原は俺の手を離さない。この時は何を考えているのか分からなくて、なんとなく悔しくなった。二時間以上も俺の膝に居座っていた彼女がようやく立ち上がって、思い切り背伸びをする。何を思ったのか急にその場で回転して、ふわりと浮いたスカートで攻撃してきた。なんだ、元気だなコイツ。

「ふぅ。うわ、もうこんな時間。この映画、意外と長かったんだね」

「洗濯物を畳むのに時間掛かったから遅くなったんだろ。帰るなら送っていくぜ。もう外も暗いし、色々と危ないからな」

「んー。どうしようかなー。どうしてもっていうなら泊まっていくけど」

 別に帰ってもいいのに、と思う。あー、でも、香奈城も似たような感じのことを言う時があるな。で、そのときは、言えばにこやかな表情になる魔法の台詞があった。

「泊まっていけよ。そっちの方が楽しそうだ」

「どうしても一緒に居てほしい? 寂しくて眠れなくなる?」

「そうだな。一人の夜は退屈だからな」

「そっかー。じゃあ仕方ないなー。んじゃパパに連絡してくる」

「ふふ……分かった。俺は晩飯の準備をするから、済んだら台所に来てくれよ」

 口元の笑みを隠しきれていない相原を置いて台所へ向かう。

 冷蔵庫を漁ると、昨日作ったどて煮の残りがあった。うどんも残っていたから、今日はこれで焼きうどんを作ることにしよう。野菜室からキャベツやらニンジンやらを取り出していたら、相原が台所へとやってきた。

 機嫌がいいのか、スキップでの登場だ。

「今日のご飯はなにかな? 美味しいやつがいいなー」

「焼きうどんだよ。どて煮で味噌風味にする予定」

「えっ、醤油とかソースで味付けするんじゃないの?」

「普通はな。でも、今日は味噌の気分なんだよ」

 その日のテンションによって味付けを変えられるのが料理人の特権だ。

 あ、バイト先ではやらないぞ、

 材料を準備し終わったところで、相原に脇腹を突かれた。

「なんか、あたしが遊びに来るとうどんが出てくるね」

「だって楽だし。他のがいい? ご飯ものだと」

「こら。もう、うどんの口になったのに、それはずるいよ」

 また今度、と相原が指切りをしてくる。美味しく食べてくれる以上は断る理由もないので、素直に受けることにした。手を洗って野菜も洗う。相原も手を洗いだしたのを見て、前にした約束を思い出した。そういえば、料理を教えるとかなんとか言っていたな。

「相原。料理の練習を始めたんだよな」

「そうだよ。包丁の握り方もバッチリ! こうすれば力が逃げないんだ」

「それ、ガチで罪が重くなる奴だからな」

 利き手で包丁を握って、反対の手で手首を固定するな。サスペンスになるだろうが。ともかく、手伝う気満々みたいだから手を借りよう。

「キャベツを適当に、そうだな、このくらいに切って」

 サイズを指定して、相原の後ろから作業の様子をうかがう。覚束ない手元が不安だけどじっと見られていても緊張して集中力を失くすだろう。ニンジンなども順次切るように指示を出して視線を外す。空いた手を利用して、お吸い物を作ることにした。

 俺が仕上げのみつばを浮かべる頃になって、相原はようやく野菜を切り終えた。あとは野菜を炒めてうどんをほぐして、最後にどて煮を放り込んで味を調えるだけなのだけどフライパンの扱いには自信がないらしい。せっかくだから練習すればいいのに、どうしてもというので俺が腕を振った。

 食卓には艶やかな照りのある味噌焼きうどんと、みつばの鮮やかなお吸い物。そして作り置きしてある夏野菜の煮物が並ぶ。取り皿を用意して、相原と向かい合わせに座った。

「すごい。はじめくん、なんでも作れるじゃん」

「伊達に十年台所に立ってないぜ」

「ね、写真撮ってもいいかな」

「構わないけど。なんだよ、誰かに自慢するのか?」

「そうしようかなー。美鶴ちゃんとかに見せつけてやるかぁ!」

 ニマニマと笑っている相原に釣られるようにして、俺も表情が緩んでしまう。パシャパシャと料理の写真を撮られるのも、味付けを褒められるのと同じくらい嬉しいな。

 そういえば俺、携帯のカメラ機能の使い方、先週まで知らなかったんだよな。カメラのマークを押して、流れでなんか丸いところを押せば撮影できるらしい。一ノ瀬に教えてもらった。ついでにスクリーンショットとか、撮影した画像がギャラリーに保存されていることも教えてもらった。

 まったく使いこなせていないけどな。

 相原がスマホをこちらに向けていることに気付いて、なんとなく顔を隠す。

「なんで俺を撮るんだよ」

「いいじゃん。ピースして。はい、チーズ」

 撮られた経験が少なくて、ぎこちなく笑うことしかできない。ピースサインも下手くそで、なぜか親指も立っていた。三本指のピースって、どこの星のサインだよ。

 俺も相原を撮り返すことにした。もたもたと準備に手間取るうちに、彼女は俺の隣へと椅子ごと移動してくる。画面一杯にピースサインをした相原を映して丸いボタンを押す。うん、まぁ、なんとか撮れた、のかな?

「あたし程の美人を撮れるんだから、光栄に思うことだな!」

「……ブレたんだけど、これ。どうすればいいの?」

「えー。自動補正あるのに? んもう、仕方ないな」

 俺からスマホを取り上げて、相原がぎゅっと俺に抱き着いてくる。バシャバシャと俺の知らない連写機能まで使いだしたところで奪い返してデータを確認する。満面の笑みを浮かべた相原と、普通の俺とが映ったツーショット写真が無数に保存されている。一枚だけで良かったんじゃないか? まぁ、消し方も分からないからこのままでもいいけど。

「この写真、友達にも見せちゃダメだよ」

「なんで?」

「いいの。ほら、冷めちゃうよ」

 俺の質問には答えず、相原は席に戻ってうどんを食べ始めた。

 腑に落ちないところもあるけれど、彼女の笑顔を見ていたらどうでも良くなる。

 どて煮を使ったせいか、普段よりも甘めの焼きうどんになっていた。

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