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体育を終えて、今期最後の昼休みを迎えている。
珍しく相原と一緒にご飯を食べていた。
香奈城は同じクラスの男友達に誘われていて、一ノ瀬は根津と食べるからと俺の元を離れていってしまった。一人で総菜パンを広げていたら、そこに相原が乗り込んできたという次第である。いつも彼女と一緒にテーブルを囲んでいる友人たちは、遠くから俺達の様子をうかがっているようだった。
「あ、焼きそばパンだ。一口頂戴。カレーパンもちょーだい」
「ヤだよ。お前は自分の弁当あるだろ」
「ちょっとでいいから。ほら、卵焼きあげるし」
あーん、と黄色い塊を差し出してくる。
どう見てもスクランブルエッグだった。
仕方なしに口を開くと、相原は躊躇せずに箸を俺の口元へ運んでくる。この前食べさせてもらったときはちゃんとした形になっていたから、これは意図してスクランブルエッグにした……わけでもないような気がする。
焼きそばパンを受け取りながら、相原はどこか自信に満ちているようだった。
「どうよ。最近、あたし自分でお弁当作るようになったんだけど」
「甘い。形が悪い。焦げている」
「褒めるところ一個もないの? ケチ」
「自分で作っているのは偉いことだよ。あとは技術だけだな」
カレーパンはちぎるのが面倒なので袋ごと手渡したが、相原はヒナのように口を開けて待つばかりだ。仕方がないので袋を開けて、彼女の口元へもっていく。カレーパンをかじって何度か頷くと、今度は百合の花みたいに切られたウィンナーを差し出してくる。タコさんウィンナーにしようとしたけど、切れ込みを深くしすぎたんだな。足も一本、千切れているようだ。
「ね、料理教えてよ。浦島家の台所にお邪魔するからさ」
「いいけど、別に紅やの厨房でもいいじゃん。夏休みもバイトあるし」
「えー。毎日シフト変更のメール送るから覚悟しろよ」
「鬼かよ。そもそも俺以外のアルバイトを雇うのが先決だろ」
「むっ。……むー。私の言いたいこと伝わってないな」
言い返せなくなったのか、相原は頬を膨らませている。それを横目に、俺はもぐもぐとパンを食べ続けた。八本入りで百円のスティックパンを飲み込んでいたら、相原がぷふぅと息を吐いて箸を置いた。まだ弁当は半分くらい残っている。
「ねー、はじめくん。どうしてアルバイトするの?」
「相原が誘ってくれたんじゃん」
「そーいう意味じゃなくて。仕事なんて、大人に任せればいいのに」
言いたいことはそれだけのようで、また相原は箸を取った。彼女に返す言葉を探して、今度は俺が食べる手を止める。次々と消えていくおかずを眺めながら考えを巡らせる。
適当に返せばいいんだろうな、こういうの。
それが出来る性分なら、苦労することも少ないだろうけど。
「多分、俺は居場所が欲しいんだよ」
「お金とかじゃなくて? なーに、はじめくんは家族と仲悪いように見えなかったけど」
「そりゃな。泰子とも了とも仲良しだから」
でも、それは閉じた世界での話だ。
家庭環境を理由に同級生との交流を苦手にしていた小さい頃の自分がいる。同じクラスだから、というだけの理由で友人を作れた中学生時代の俺がいる。そして、なんとか自分から足を踏み出して、外の世界を知ろうとしているのが今の自分だ。アルバイトをすることで、社会の一端を知りたいのだろう。何者かになって、誰かに必要とされたいのだ。
俺に出来ることなんてたかが知れている。
だけどもし、俺の手で誰かを少しでも笑顔に出来るなら。
それはきっと、素晴らしいことなのだと思う。
「はじめくん、考え事を始めると手が止まるね」
「真面目に考えてやったんだ。感謝しろよ」
「ほーん。で、どんな答えが出たの?」
「俺は相原を笑顔にしたい、ってことだ」
平凡な答えで申し訳ない、と思っていたが相原は噴き出した。面白がっているとかじゃないな。衝撃に耐えきれなかった、とでも表現しようか。彼女はせき込んでお茶を探している。喉に白米が詰まったようだ。
「大丈夫かよ」
「あたしが聞きたいよ。はじめくん、ホントにそんなこと思ってるの?」
「うん。変かな」
「…………んむむ」
相原はそっぽを向いてしまった。俺には見えないが、相原の様子を見てクラスメイトの女子がニヤついているところを見るに、彼女は面白い顔になっているようだ。喉に詰まったのがよほど苦しかったのか、耳まで赤く染まっている。ちょっと悪いことをしたかな。
「俺、そんなに変なこと言ったか? 普通だと思うんだけど」
「ぜっっったいに普通じゃないから。アブノーマルだよ!」
んー、間違った回答だろうか。
俺の手で誰かを幸福にしたいという願いには当然、相原や香奈城みたいな友人も含まれている。見ず知らずの他人や、一生袖を振り合わせることもないような人だってそうだ。強欲な願いだが、若いうちはそのくらいの方がいいって了なら言いそうだしな。
まだ振り返ってくれない相原の肩をトントンと叩く。
めちゃくちゃな勢いで振り払われて、少しへこんだ。
「相原、ごめん。なんか怒らせたか。こっち向いてくれよ」
「待った。あと一分。……そこ! 笑わない!」
いつも昼飯を共にしている友人達に指を向けて、相原は頬を膨らませている。多分。見えないけど、なんとなく分かる。顔を覆っているが、どんな顔をしているのだろう。
覗きたい衝動と戦っていたら、久瀬が話しかけてきた。クラスメイト達の例に漏れず、彼女も表情筋を緩めている。つまり、ニヤけていた。なんで?
「聞いてたよ、浦島ァ。なかなかヤるね」
「どういうことだよ」
「無自覚かー。いや、もういいや。頑張れよ」
ぽんぽんと相原の肩を叩いて、久瀬はどこかへ消えていく。入れ違いに末次が俺の席へとやってきた。小柄な野球部の少年だ。短く刈り込んだ頭が格好いい。
末次はいつになく真剣な表情で俺に詰め寄ってくる。
「なぁ、浦島。お前って羞恥心あるか?」
「あるだろ、人並みくらいには」
「マジで言ってんのか? いいか、彼女いない歴十五年の俺から言わせてもらうがな、お前は恵まれているんだ」
がしっと肩を掴まれて、小柄な割に強い力だなと感心する。徐々に強まっていく指先の力を上手に逃がしながら、末次が何に憤っているのかを考えてみる。そういえばコイツ、体育の着替えとかで男子だけの空間になると、いつも彼女が欲しいとぼやいていたな。
ははーん、分かったぞ。分かったけど、末次も勘違いをしているようだ。
誤解している奴が多すぎる。
なぜだ。
「いいか浦島。もう夏休みだぞ。覚悟を決めろ。決めてくれ」
「何の話だよ。説明を受ける権利くらいは俺にもあるだろ」
「ねーよ。バカな俺にも分かるんだぞ。お前も! 理解しろ!」
言いたいことを言って、末次は俺の肩から手を離した。そのまま友達と連れ立って教室を出ていってしまう。腹ごなしを兼ねたキャッチボールだろう。校庭には昼休みを利用してちょっとしたスポーツを楽しむやつが集まっていて、俺も何度か遊びに行ったことがある。
俺も昼飯を食べ終わったら、あいつらのところに行こうかな。
で。
視線を正面に戻すと、相原が俺を睨みつけているところだった。
「ようやくこっち向いたな、相原」
「うるさい。ご飯が冷めちゃうでしょ」
「弁当に冷めるも何もないと思うが……」
電子レンジもないし。言い訳下手か?
もくもくと食べ始めた相原の頬は、まだほんのりと赤らんでいる。普段は相原からの視線を感じることが多いから、彼女が俺から目を背けているのは新鮮だった。いつもよりじっと彼女の表情をうかがうことが出来て、なんとなく良い気分になる。
「相原。放課後、暇なら遊びに行こうぜ。今日はバイトもないじゃん」
「むっ。……むむっ」
「なんで警戒しているんだ」
箸を鳥のクチバシよろしく俺へと向けてくる。まだ残っていたスティックパンで防御していたら、一本持っていかれてしまった。トンビみたいな奴だな。
「今日は外を出歩く気分じゃないんだよなー。疲れたしー」
「なんだよ、つまんないな。それじゃ遊ぶのは無しか」
「待った! はじめくんの部屋で映画鑑賞会とか。そういうのなら、いいよ」
「そっか。分かった。んじゃ特別に、俺の部屋まで案内してやるよ」
「……あたし、本当についていっちゃうぜ」
「いいよ。俺、相原のこと好きだし」
香奈城と同じくらいには。
だから、部屋まで押しかけてきても迷惑じゃないぜ。
ということを説明しようと思ったのだが、また相原がむせた。椅子から崩れ落ちたのには流石にびっくりして、それどころじゃなくなってしまった。ニヤけていたクラスメイト達もこれには吃驚、するどころか笑いの渦に包まれていた。いったい、なぜなんだ。
いつの間にか戻ってきていた久瀬に介抱されて、相原はやはり俺から顔を背ける。
久瀬の胸に顔を埋めて、泣き真似まで始める始末だ。
「うえーん。はじめくんがいじめるよう」
「俺何もしてないだろ。変なことも言ってないって」
「全部聞いてたよ。浦島、今日はちょっと喋らない方がいいかも」
「えー……なんで?」
「理解してないなら重傷。マジで喋るな」
「なんでだよ……難しいことばっかり言うなぁ、お前ら」
六年分の経験値が不足しているせいか、同級生達の会話についていけない。
なんとか理解できるようになりたいな、と思った。
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