Inquisition of Kobeni

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「ふーん。先週は美鶴ちゃんとデートしていたわけか」

「いや、デートじゃないって。根津の付き添いだよ」

「むっ。本当かぁ? だったらいいけど」

 ふーと長い溜息を吐いて、相原が肋木にもたれかかる。体育館の後ろにある、あの使い道の分からない木製の壁みたいな奴だ。

 彼女が大きく背伸びをすると体操服の裾が上がって、凹凸の薄いへそが覗く。今日はやけに自分の心音が聞きやすい。日付が変わるまで映画を見ていたせいで体調が万全ではないのだろう。今も、ひどく眠い。

「ふあ、あ……」

「でっかい欠伸だね。吸い込まれるかと思った」

「吸い込んでないのに、もたれかかってきたから吃驚したよ」

「いいじゃん。することなくて暇なんだもん」

 今日は夏休み前、最後の授業日だった。

 この体育の授業が終われば昼休みで、その後に体育館で行われる長めの全校集会を乗り越えれば晴れて長期休暇が手に入る。生徒は当然として、先生方からも気の抜けたようなオーラが滲み出ている。それでも授業が成立しているところをみるに、進学校ってのはすごいものだな。中学の頃とか、七月になったら授業に出てこない奴もいたからな。

 ひょっとして、俺の学校ってヤバかったのか?

「うーん、退屈ですねぇ。そう思いませんか浦島君」

「だからと言って俺の腕をつまんでいい理由にはならないぞ」

「えー。ケチ」

「ケチじゃないが。くすぐったいんだよ」

 相原の手を振り払いながら、コートを右往左往する白球を目で追いかける。

 今日も今日とてバレーボールをやっていた。体育の授業は選択式で、俺と相原、そして香奈城は同じクラスで授業を受けている。一ノ瀬と根津は卓球のクラスにいるはずだ。うまくやれているのだろうか、と足りていない想像力をフル活用する。根津、香奈城と同じくらい運動が下手そうだけど大丈夫かな。

 俺にもたれかかりながら、相原は俺の頬を突いてくる。その迷惑行為にはなんら関心がないように、まったく関係のない質問をぶつけてきた。

「今日は香奈城君と別チームなんだね」

「そんなに一緒にならないよ。敵対することも多いし」

「そうだっけ。なんか、ずっと一緒にいるイメージだけど」

「パワーバランスの関係もあるじゃん。清水先生が色々と調整しているんじゃないか」

 運動が出来る奴だけを集めてチームにしても、体育の授業は成立しない。全員が楽しくやるためにはある程度の振り分けが必要なのだ。そしてチーム競技をやる以上は、うまくやれるだけが能じゃない。チームをうまいことまとめてくれる奴も必要で、先生はそのあたりをうまいこと調整しながら人を振り分けていた。

 俺が運動量の神ならば、香奈城はカリスマ性の神だった。

「あーあ。男女混合なら、はじめくんと同じチームになれるんだけどなー」

「相手チームがやる気失くすだろ。絶対に別チームになると思うぜ」

「それどういう意味なのよ。よ、よ、よ!」

「絡むなって。俺も相原もスポーツ得意だからな。勝てない相手にはやる気もなくすだろ? だから別チームに振り分けられるんだよ」

「あたしは負けそうなほど燃えるけど? 逆に。むしろ。気合入るじゃん」

「気合が入りすぎて、周りを置いていかないようにな」

 相原に命令されて、女子チームの応援をすることも多いから分かる。

 彼女は一人だけ圧倒的な運動量と制球力で、運動部の複数人と張り合っていた。

 運動神経に優れ、対人関係に不和を見出すことがない。あれもこれもと自分でやってしまえる相原は、それだけ聞くと嫌われそうだが事実として他人に好かれている。クラスメイトは当然、体育だけ一緒になる隣クラスの奴にまで好かれるのは彼女の人柄によるものだろう。

「おっ。金子ちゃん、ナイスサーブ!」

 友達が点を入れたのだろうか、相原は大仰に拍手をしながら褒め称えている。相手が誰だろうと、良いと思ったものは褒めずにはいられないのだろう。いい子ちゃんの権化みたいな奴だった。これで、俺に対する奇行さえなければ……なければ、どうなるんだろう?

「よいしょっと」

 立ち上がった相原が壁と俺との間に潜り込んできた。肩車みたいな恰好から徐々に前へと押し出されて、背負うような体勢になる。相原に抱き着かれていることよりも、周囲から向けられる視線の方が恥ずかしい。彼女が平然としているのは、よく同性の友人相手に同じようなことをしているからだろう。

 やっぱりこいつの距離感、俺にとってはバグみたいだ。

「で、はじめくん。明日の予定は?」

「お前のとこでバイトだろ。あと、くっついてくるのヤメテ」

「えー。やだー。なんか暇だし」

「……いや、突っ込まないでおこう」

 それだけ暇なら体動かせばいいのに、とは思うけれど暴れていたら怒られそうだ。

 観戦中は他チームの応援をしよう、と体育の清水先生から指示が出ている。他人の動きを見て勉強する目的と休憩とを兼ねているのだろう。ボールが試合中のコートに飛んでいく可能性もあるため、球を使っての練習はご法度だった。

「うっ……ちょ……待って」

 背中にくっついている相原に押されて股割をしていたら、なんか変な声が出た。

 久瀬が――クラスで隣の席に座っている女子が、助け舟を出してくれるようだ。

「相原、浦島君解放してあげたら?」

「えー。ストレッチに付き合ってあげているのに」

「相原が浦島君をいじめているんだろ。彼、無抵抗だし」

 渋々、と口に出して相原が俺から距離を取った。ずっと彼女に乗られていた背中が温かい。汗で軽く湿っているのが分かった。

 扇風機が回っているとはいえ、夏場の体育館はクソ暑いからな。じっとしていても汗ばむのに、なぜ相原は俺にくっついてくるのだろう。今も、真横で腕を組んでくるし。

「相原、もうちょっと離れてくれないか」

「くーやん助けてー。はじめくんがいじめてくるよー」

「公衆の面前でいちゃつくお前が悪い。浦島君も困ってるぞ」

「は? そういうのじゃないんだけど。違うんですけど」

 なんか面倒くさい気配がしたので、久瀬と相原から視線を背ける。レシーブの成功率が五割を超えてきた親友に檄を飛ばしつつ、試合の様子を見守ることにした。香奈城、頑張れ。俺を退屈させないように。

 球を目で追いかけていたら横から声を掛けられた。相原ではなく、久瀬に。

「気になったんだけど、聞いていい?」

「なんだよ。この小紅ちゃんに聞きなよ」

「はいはーい、相原は黙ってようね」

「……で、質問っていうのは」

「アンタら付き合っているの? 質問っていうか、確認なんだけど」

 横にいた相原が何かを言おうとして、久瀬に抑え込まれた。圧倒的運動神経を誇る相原がなぜ、と思ったが久瀬は関節技をかけたようだ。抵抗しているはずの相原も不思議そうな顔をして首を傾げている。痛くないのに動けないのだとしたら、それは久瀬の関節技があまりにも上手く決まっているからに違いない。

 もがいても相原は久瀬の腕から抜け出せない。脱出のカギは俺の回答にあるようだ。

「よく聞かれるけど、俺と相原は付き合ってないよ」

「マジで? んじゃ、オフレコにしたら答え変わる?」

「変わらないよ。あ、でも、この前雑誌を読んだ時に相原には」

「ちょっとー、私を放置して話を進めないでよ」

 体育館の床に固定された相原が恨めしそうな顔をしている。

 久瀬は余裕綽々に、彼女からの視線を受け流していた。

「だって、相原は変に誤魔化すじゃん。やっぱり意識してんのかなって」

「……くーやん。あとで覚えてろよ」

「はいはい。あ、試合終わったみたいだね」

 行くぞ、と立ち上がった久瀬は逃げるようにしてコートへと向かった。彼女を追いかけるものだと思いきや、解放された相原は俺に襲い掛かってくる。胡坐をかいていた俺の足を膝で押さえつけて、どこにも逃げられないようにしつつがっしりと肩を掴んできた。

「私が載っていた雑誌を読んだのね? 最新号?」

「ん? いや、たぶん先月の奴。夏直前の冷やし中華特集」

「そっか。んじゃ大丈夫。今月号は絶対に読んじゃダメだからね」

「なんで?」

 質問の答えはなく、相原は俺の頭をわしゃわしゃと撫でてコートへと行ってしまった。毎度のことながら良く分からないことをする奴だ。男子の試合がやっているコートへ向かうと、同級生たちが複雑そうな顔で出迎えてくれた。

 同じチームになった野球部の末次に、その理由を聞いてみる。

「末次、みんなどうしたんだ。お腹でも壊したのか」

「食傷気味ってことなら、ある意味では正しいぞ。そしてお前、マジ鈍感だよな」

「俺? 俺に原因があるの?」

 背が低い彼はちょっと背伸びして俺の肩を叩く。そしてコートの向こう側にいる同級生達へと大声を張り上げた。

「お前ら! 俺達の青春は! ここからだからな!」

「めっちゃ楽しそうじゃん。俺も混ぜてくれ」

「うるせぇ。浦島はどうやったって青春最前線にいるだろうが」

「なんで? どういうこと? 教えてくれよ末次」

 怒った様子もなく、ただ呆れたようなニヤけ面で末次は俺を見上げてくる。同じチームの奴に聞いても答えてくれないし、相手チームからも似たような気配を感じる。清水先生に急かされてポジションにつき、サッカー部の放ったサーブを難なくレシーブした。なるべくチームメイトにボールを回しながら、楽しくバレーが出来るように頭を働かせる。

 と、チャンスが巡ってきたのでネット際へ向けて走る。

「行くぞ! っしゃ!」

 末次のトスに合わせて高く飛び上がり、タイミングを合わせて相手コートの隙へとボールをたたき込む。いい感じにラリーが続いていただけに相手チームから悲鳴のような声が上がり、それを背景にガッツポーズを決める俺は完全に悪役だった。

 飛んで行ったボールを追いかけていった香奈城が戻ってきて、膝に手を突く。

 肩で息をして、額には汗が浮かんでいる。それでも格好いいのは香奈城だけの特権だ。

「がんばれ! 香奈城くーん」

「そうだぞ。うらしまに負けるなー!」

「へばっている姿も可愛いし格好いいぞ!」

 女子からの声援をその身に浴びて、香奈城は困ったように頬をかく。末次がぼそっと「青春最前線じゃん」と呟いたのが聞こえた。ふむ、これが末次にとっての青春という奴らしい。俺とは関係なくないか? でも俺と香奈城が同じラインに立っているということは……分からん。ダメだ。もっと青春について勉強することにしよう。

 もっぱら、俺にとっての青春とは、親友との競争ケンカを指すのだけど。

 相手コートの親友に聞こえるように、俺は声を張り上げる。

「香奈城。勝負しようぜ。サーブを一本でも成功させたらジュースおごってやる」

「わか、分かった。絶対に決めてやるからな!」

 息も絶え絶えな香奈城を煽って、その燃え尽きない闘志に敬意を表した。

 こんなことをやっているから俺は悪役側になるんだろうな、とも思った。

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