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休日に、同級生のデートに付き合う奴がどこにいる。
ここにいるんだな、うん。俺は暇人だから。
相原にバイトを休む連絡を入れる、だけだと彼女の親父さんが可哀そうだから午前中だけ仕事をしてからデートに参加した。元々は急病を装って休む予定だったのだが、根津から両手で数えきれないほどの電話が掛かってきたせいで休むに休めなかったのだ。
ひょっとしなくても俺は、頼み事に弱いのかもしれない。
デートでは、最初に映画を観た。
簡潔に感想を言えば面白かった。少年同士の恋愛を描いた映画で丁寧な画作りをしている。筋書にも粗がなく評価を下げるようなところはない。無難に高評価な映画、という印象だった。いい映画でも琴線に触れなければ感想は減るものだなぁ、と改めて感じる。
世間からの冷たい視線、価値観の違いから来る親族や友達との軋轢、様々な不幸の底から這いあがって成就するふたりの愛。恋愛経験がない俺には、彼らを取り巻く茨のような環境でさえ、ただ羨ましかった。
ちなみに根津は終盤になってから、ずっと泣いていた。ハンカチを絞れそうなほど濡らして、一ノ瀬が彼女の世話を焼いていた。慣れた手つきに、妹の世話を焼くお姉さんっぽいなとも思う。
「ずびっ。うぅ……いい映画でじだ……」
「みーこ泣きすぎー。めちゃウケるんだけど」
「根津にも涙があるんだな……」
俺には普通の映画でも根津には深く刺さったようだ。俺もいつか最高の映画に出会えるんだろうか。その日に焦がれて十年経つが、意外と時間が掛かるものらしい。面白いと他人に勧められる映画はある。だけど、一生忘れられないほどの傑作との出会いはまだだった。
映画館を出ると七月の太陽が眩しい。これから更に暑くなるという事実に震えてしまう。そろそろアロアシャツを解禁してもいいかもしれない。周囲からの視線に耐えるという条件があるけれど、あれは夏にこそ着るべき服だから。
「ね、今更なんだけど思ったこと言っていい?」
背筋を伸ばして身体をほぐしていたら、一ノ瀬に話し掛けられた。
何も遠慮する必要はないだろうと続きを促す。
「浦島君と外で遊ぶのって初めてだよね。最初見たとき、ちょっとびっくりした」
「なんで? そんな怪しい奴に見える?」
「ううん。学校で会う時より、百倍格好良かったから」
「マジ? ……マジでぇ?」
真っ直ぐ褒められて素直に照れる。元のカッコよさが小数点以下だと思うことにして平静を保った。否定的な態度と言葉を向けてくるだろうと思っていた根津も頷いている。いい映画をみたことで感情が壊れて、敷居が無限に下がっている可能性があった。
「浦島くん、意外とスタイル良いんですよね。メンズのワイドパンツはダサいと評判ですが、ヤンキーだと着こなしになるなんて驚きました」
「褒めている……んだよな?」
これでも服飾には一応、気を遣っているのだ。中学生の頃、隣にいたのが香奈城とかいうイケメン魔人だったし。服装をそれなりにして雰囲気だけでも平均点を保たなければ結果の確定した勝負の土俵に立たされる。
変じゃないよな? と改めて自分の服装を見つめなおした。
真っ白なロング丈シャツに、黒いワイドパンツ、そして足元はスポーツサンダルだ。地元のヤンチャなお兄さんと指摘を受けても否定できないのはしょうがないけれど、マイナス点ってことはないだろう。……本当に?
続いて根津の私服に目をやった。
白いシャツに水色で薄手のパーカーを羽織って、そこに紺色のロングスカートを合わせている。足元には小綺麗なスニーカーが覗いていた。ちょっとお洒落な学生服を着ているようにも見える。使い込んだショルダーバッグの肩ひもをずっと握りしめている様子は中学生っぽくて、あの性格さえ知らなければ
一ノ瀬はスカートタイプのオールインワンに、渋いグレイッシュカーキのメッシュジャケットを合わせていた。足元には可愛くワンポイントの入ったパンプスを履いていて、細部にもこだわりが見える。
そして、彼女はご機嫌だった。
「浦島君と歩くのはいいねぇ。相対的に私の背も低くなるし」
「女子も背が高い方がいいじゃん。すらっとして見えるだろ」
「そうかなぁ? それって浦島くんのタイプなの」
「いや……考えたこともないけど……」
「そういえば相原さんも背が高いよね。バレー部の子といい勝負じゃん」
一ノ瀬の言葉を受けて、同級生の女子で相原と同じくらい背が高い奴を思い出そうとする。それなりに頑張る。だけど、誰も思い浮かばない。体育のチーム戦で相まみえる男子はともかく、女子の体格なんて分からない。細部まで思い出せる相原の姿をおぼろげな記憶のクラスメイト達と並べてみる。……どうなんだろう。
「……分からん。あんまり女子の背丈なんて気にしてないし」
「え、意外ですね。浦島くんは女子をガン見しているものと思ってました」
「どういう意味だよ」
失礼すぎて手が出そうになったが、暴力はいけない。根津の肩をぐにぐにと揉みつぶして腕に集まるパワーを放出することで難を逃れた。
「なんなんですか。セクハラですよ」
「根津も大概だと思うが」
「失礼な。私は安全圏から攻撃するのを趣味にしているだけです」
「タチ悪いじゃん」
俺の手を振りほどいた根津は、一ノ瀬を盾に逃げた先から睨みつけてくる。彼女と互いに文句を言いあいながら、映画館から次の目的地へと向かった。一ノ瀬が行きたがっていた喫茶店である。
映画館には自転車に乗って来たけれど、件の店の駐車場は猫の額よりも狭いとのことだったから歩いて向か。下手くそが描いた空ほどに青く澄んだ空から、陽の光が降り注いでいる。眩しくて、手でひさしを作って歩く。
やっぱり夏だな。照り返しがあちぃ。
歩きながら、まだ根津に見られていたことに気づく。
「……浦島くん、相原さんと仲いいんですよね?」
「だと思うけど。なんで? なんか聞きたいことでもあったか」
「いや、まぁ、ちょっとだけ……」
「遠慮なんかするなよ。答えられないことなら黙るから」
大声で笑って根津に質問を促してみた。彼女はもごもごと口ごもって、何も言わないまま時間だけが過ぎていく。仕方ないので、俺の方から相原に関して聞いてみたいと思っていたことを口にしてみる。
「相原って有名人なのか」
「あー、ちょっとは? 雑誌によくインタビューが載ってますけど。別名があって」
「ホンヤの女神だろ。相原が載った雑誌って有名なの?」
「一応は全国区で販売されていたと思いますが。……ひょっとして読んでない?」
「香奈城から噂を聞いただけだよ」
根津がまたもごもごと言葉を呟いた。喉の奥で発した言葉を嚙み砕いて、俺の耳に届くまでには雑音になっている。器用で、面倒臭いことをしている。何かを言いたいけれど、それを口にする勇気が足りていないようだ。
相原のことが掲載されている雑誌について、現代っ子筆頭の一ノ瀬が調べてくれた。中華料理屋を手広く紹介している雑誌のようだ。真っ赤な表紙に黄色い文字が躍っている。
「浦島君、この雑誌だよ。見たことない?」
「……教室で誰かが読んでいたな」
「野球部の末次君とか、回し読みしている子達がいるんだよね」
末次か。そいつのことなら知っている。坊主頭で話の面白いやつだ。背は低いけど運動神経はいい方だった。よし、男子なら名前と顔が一致するぞ。友達ゼロ人っぽいですねと言ったいつかの根津の言葉も、今なら否定できそうだ。
一ノ瀬がスマホの画面を見せてくれる。
相原がピースサインを向けていた。
「これの……ここ。ほら、載っているでしょ」
「写真付きじゃん。アイドルみたいだな」
「実際、そういう扱いだと思うよ」
「へー。すごいじゃん」
腕を組んだラーメン屋のおじさんよりも、相原の写真の方が大きく載っていた。
一ノ瀬に教えてもらったコラムは数ページに渡り続いていて、人気企画であることがうかがえる。一年ほど前に紅やの紹介記事が載っている。そこで一人娘の相原が紹介されて以来、定期的にインタビューを受けているようだ。もちろん全国各地の中華料理屋の紹介がメイン企画なんだけど、そこのイチオシメニューに対してのコメントを彼女に求めているようだ。なんで? 相原が美人で、人気が出たからに決まっている。
記事を読んでみたら、相原の趣味や最近ハマっていることなど、パーソナルな部分にも紙面が割かれている。実はこれ、相原が主軸の企画なのではないだろうか、などと思うほどに。
「あいつ、すごかったんだな。人気あるじゃん」
「相原さんは美人だし、笑顔も素敵だから華があるよね」
「だな。インタビューの受け答えも、これ読んだ感じ真面目だぞ」
「お喋りも好きみたいだねぇ。取材の人とも仲良しになってそう」
「……相原って友達何人いるんだろうな」
誰とでもにこやかに喋っているイメージだから、両手両足の指じゃ数えきれないほどに友達がいそうだった。でも休日は一人で過ごしていることも多い、みたいなことを言っていたような気がする。
彼女の人懐っこさは他人との関係を円滑にするためのポーズなのかもしれない。そこに俺の願望が含まれている可能性を考えて、少し苦い気持ちになる。
「そういえば、ネット情報には彼氏がいるって書いてある」
「ふーん」
「えっ、反応薄っ」
「彼氏くらいいるだろ、すげー性格いいし」
彼氏がいなくても彼女がいるだろ、みたいに思っていた。ただ、相原の隣に、知らない誰かが立っている様子は想像しづらい。楽しいことには積極的に首を突っ込んでいるし、そこに何度も巻き込まれているけれど、彼女が特定の誰かとずっと一緒にいるところをみたことがないのだ。
学校で噂を聞いたこともないし、相原の彼氏は社会人なんだろうか。
「美鶴くん、知ってますよ、私」
「ん? あ、みーこ。聞きたかったのってそれ?」
「です。一応、本人にも聞いてみたかったのです」
「なんだよ、ふたりだけで通じあっても俺には伝わんないぞ」
「みーこ、聞いてあげたら」
「浦島くん、相原さんの彼氏なんですよね?」
どうだ、物知りだろとばかりに根津が胸を張って出所不明の情報を持ち出してきた。堪えきれずついに飛び出した台詞みたいだったから、彼女が口ごもっていた内容はこれだったようだ。いや、そんなことを考えていたのか、こいつは。
「違うけど。誰からの情報だよ、それ」
「いや。いやいや、そんなの……」
「みーこも思うよね。でも、外から見るだけじゃ分かんないことも多いんだよ」
「……えっ。そんなことってあるんですか」
根津は一ノ瀬と無言で見つめあったあと、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。なんで?
「浦島君、心臓ついてますか? ゼンマイと油で動いているんじゃないですか」
「急にどうした? あ、見えてきたぞ。一ノ瀬が言っていたオムライス屋」
「喫茶店だよ。コーヒーも美味しいって評判なの」
「えっ、この話題終わり? 終わっちゃうんですか!」
「相原の彼氏のことが、そんなに気になるのか?」
「違いますけど。いや違わないですけど、そうじゃなくて……」
ろくろを回し始めた根津は放置して、喫茶店へ歩を進めることにした。一ノ瀬はよほど楽しみだったのか、ずっとニコニコしている。こうして笑っていると、やっぱり一ノ瀬は可愛いやつなんだよな。
信号を待って、目的地の喫茶店に目をやった。
年季の入った店構えだ。
この前教えてもらった後、自分でも調べてみた。ソースやトッピングの数が非常に多くて、味も高評価らしい。オムライスが普通の洋食屋の二倍くらいのサイズで出てくるので注意と書かれていて、タッパーを持ち込めとアドバイスがついていた。ネットに上がった綺麗な写真と、美味しいという評判にまんまと釣られてやってきた女性が撃沈報告を上げているのも見た。
信号を渡って、目的地に到着する。
扉を開くのを、少し躊躇した。
「お洒落なお店ですね……」
「一人じゃ入れないな、俺」
「奇遇ですね。私もそう感じていたところです」
一見するとアンティークショップのようにも見える喫茶店だった。照明が弱いのか外から店内は覗けなくて、混雑しているか空いているかの判断も出来ない。一応、出入口にぶら下げられた看板から開店中であることは読み取れた。
先頭に立って扉を開けると、フラスコに沈められたコーヒー豆と、ガラス配管の束が俺達を出迎えてくれた。なんだ、これ。水出しコーヒーだよな。変な実験をしているわけじゃないと信じよう。
店員さんに案内されるまま、カウンターへと腰かけた。壁際に用意された奥の席から根津、一ノ瀬、俺の順番で座る。背の高い椅子に爪先立ちして座った根津は、ふっと肩の力を抜いた。
「綺麗なところですね。……本当にあるとは思いませんでしたが」
「なにそれ。ネットにしか存在しないとでも思っていたのか」
「ここ、ある小説の舞台になったお店なんですよ」
根津が教えてくれたのは、以前、一ノ瀬とも話をした小説だった。俺は小説をあまり読まないが、あの本を読んでいる同級生は意外と多いのかもしれない。シェアするためにソースやトッピングの種類を変えて、三者三様のオーダーをした。
「あれは、本当にいい恋愛小説なんですよ」
「ちょっと暗いけどな」
「そこがいいんじゃないですか! 嘘偽りなく、真っ直ぐな愛が……」
「主人公君が嘘吐きなのに、ってのもポイントだよね」
小説の話で一通り盛り上がった後、店員さんが運んできたオムライスは確かに想像よりも巨大だった。普通サイズを注文したはずだが、考えていたよりもずっと量が多い。インパクトは、写真で見るよりも大きかった。女子ふたりが頼んだミニサイと比べて、俺の普通サイは倍近い量がある。これならば事故が起こるのも納得だ。
もぐもぐとチキンライスを掘り進めながら、ふたりがオムライスを分け合うのを眺める。喉が詰まってきたところでオニオンスープに手を付けて、また掘削作業に戻った。
ふと思いついたことを口にしてみる。
「どうせなら、食べさせてもらえば?」
「どうしたの急に、浦島くん」
「せっかくのデートだし、それっぽいことをと思って」
俺が事前学習した恋愛映画だと、いちゃつくカップルはそういうことをしていた。なぜかは分からないけれど、恋愛のテンプレってやつらしい。
「根津。あーんってしてもらえよ」
「バッカじゃないですか。そんなのやるわけないじゃないですか」
「えー、やってあげてもいいけど。あーんして、みーこ」
「なっ……あう……」
「ホラ、根津、口開けろよ。一ノ瀬が待ってんぞ」
すっごい顔で根津が俺を睨みつけてくる。
そして、目を瞑ったまま小さな口を開いた。
一口、二口と一ノ瀬が根津の口元へオムライスを運ぶ。胸がときめく、というよりは微笑ましい光景だ。俺達を席へ案内してくれた店員さんも彼女達を見て柔らかな笑みを浮かべている。
「浦島くんもやる? 私、してあげてもいいよ」
「根津がいないとこでな」
「ちょっと! 間男ですか!」
「冗談だろ。そんな怒るなって。今度は根津が一ノ瀬にやる番だぜ」
根津をなだめながらも、俺は食べる手は止めない。
思いつきで提案してみたが、根津も満更ではない表情をしている。一ノ瀬もそんな友人の隣で笑顔を絶やさずにいてくれるのだから、これで良かったと思う。でもなぁ、あーんってやるのはデートや恋人関係に限定されたものじゃないんだよな。相原とか、俺によく餌付けしようとしてくるし。食べるんだけど。
なんとかオムライスを片付けた女子二人と、食後のドリンクをもらう。喫茶店らしく珈琲を頼んだ。俺は冷たいので、一ノ瀬は温かいの。根津はココアだ。運ばれてきたカップがそれぞれの前に置かれると、爽やかな珈琲の香りに混じって甘いココアの匂いが鼻をくすぐった。俺も、今度はココアにしようかな。
ぼんやりと根津のマグカップを眺めていたら、彼女から因縁をつけられた。
「子供で悪かったですね」
「まだ何も言ってないんだが」
「そうだよ。みーこも、いつか飲めるかもしれないよ」
「どうせ私はお子様です。身体もちっちゃいですし、オトナ美人には程遠いんです」
「いいじゃん。可愛いよ、みーこ」
とりとめもない話をするふたりを黙って眺める。根津が口を開いている間は、俺が頑張ることなんて何もない。これが十年来の友人の空気なんだな、と感傷に浸る。まだまだ友達の少ない俺には青すぎる芝だった。
ふたりの間に流れる時間は尊くて、そこに同席できるだけでも僥倖だった。
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