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 デートの誘いをすることにした。

 今日の天気は薄曇りだ。空は眩しくない程度に晴れていて、やや湿気た空気が緩やかに吹いている。空模様に似せて心が落ち着いたところで、デートのために声を掛ける。相手は一ノ瀬美鶴だ。

 ちなみに、依頼主は根津である。

 俺だって緊張しないわけじゃない。根津の期待を一身に背負うともなれば流石に心臓が縮むようだ。放課後、帰宅準備を進める彼女を引き止めると快く話を聞いてくれた。その笑顔を裏切るような気がして、少しだけ胸が痛む。

「私に頼みたいことって? また勉強するのかな」

「いいや、そうじゃない。今日は一ノ瀬にデートの誘いをかけに来た」

「……?」

 一瞬フリーズした一ノ瀬が、ややあって首を傾げる。ゆっくりと立ち上がって教室を大きく見渡した。この動きをテレビで見たことがあるな。なんだっけ。あ、思い出したぞ。ミーアキャットが外敵から身を守るときに立ち上がるやつだ。

 そんなバカな。

「それマジ?」

 端的な彼女の言葉に首肯を返すと、一ノ瀬の足元がふらりと揺らいだ。

「マジで……? 浦島君、相原さんはどこ?」

「あいつは友達と一緒にどっか行ったけど。ハンバーガー食べに行くんだとさ」

「もう帰ったってこと? そっか。……デートって言ったよね?」

「言ったけど。俺、一ノ瀬。そしてデート」

「いや、単語は理解したけど状況が……うん、とりあえず話は聞いておくか」

 自問自答を繰り返して座り直した一ノ瀬は、額の汗を拭ってシャツの襟を正した。彼女は俺にも座るように促してきて、自分の席に腰を落ち着ける。椅子ごと身体を向けてきた彼女はじっと俺の瞳を覗き込んできた。小声で「本気なのか」と呟いた後、ぷふー、と大きく息を吐いた。

「相原さんに怒られないかな。デートなんかしたらヤバくない?」

「なんで相原が出てくるんだよ」

「えー、浦島君、その認識はまずいでしょ」

「遊びに誘われなかった程度で相原がキレるはずないじゃん。拗ねそうだけど」

「だって君達……そっか! そうだね、うん。今のはなかったことにして」

 俺が首をふくろうみたいに傾げている間に、一ノ瀬は一人で悩んで一人で問題を解決してしまった。俺よりも頭がいいから、透明な導線すら自由に繋げられるのだろう。それはそれとして、なぜ相原に一ノ瀬と遊んだことがバレるとまずいのだろう。これまでも学校では普通に一ノ瀬と喋っていたし、怒られるような要素があるのだろうか。

 ひょっとして、一ノ瀬と相原は仲が悪いとか?

 それはないな、と俺も二秒で自己解決した。

「で、どこに行くんだい。ヤンキーっぽいとこかな」

「どこだよ。そもそも俺はヤンキーじゃねぇんだが」

 俺なりに不満を態度で表すべく、机に肘を置いて頬杖をつく。一ノ瀬も俺と同じポーズを取ってきた。同じ机に肘を置いていることもあって、彼女の顔が随分と近くにあった。

 至近距離で見ても一ノ瀬は可愛らしい顔をしている。こいつを格好いいという根津と俺とでは、センスが違うようだ。それを残念と捉えるべきか否か、少し悩んだ。

「実はな、根津と一緒にデートして欲しいんだよ」

「え、急にメンバー増えたじゃん。私とみーこで二股かけるつもり?」

「違ぇよ。根津と一ノ瀬がデートして、俺がその付き添いをするんだ」

「……ふむ、ふーむ? ややこしいね」

 彼女は腕を組んだまま首を傾げる。

 当然の反応すぎて、逆に言葉に困ってしまう。彼女は頭がいいから、俺達が求めているものを薄ぼんやりとは理解してくれたようだけど。

「根津とデートして欲しいんだよ」

「なーんだ、そういうこと。浦島君とじゃないのね」

「応とも。いやぁ、これには複雑な事情があってな」

 一ノ瀬に説明するの、すごく面倒くさいな。

 簡単に言えば、こうだ。

 根津は一ノ瀬とデートしたいけど一人じゃ無理だから、俺も一緒についていくことで彼女の心的負担を減らそうぜ作戦である。それってホントにデートなのか? 保護者の付き添いがあると言われたら普通に引くと思うけど。

 いや、頑張れ俺。デートじゃなくてもいい、なんて言ったらすべてが台無しになる気がする。土壇場じゃなくて立案段階で考慮すべきことなんだし、ここは踏ん張りどころだろう。

「とにかく、お願いだよ。根津とデートしてください」

「えー、どうしよっかなー」

「頼むよ、一ノ瀬。お前と根津は仲がいいんだろ?」

 一ノ瀬はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。

 くそぅ、根津の期待が肩に重いぜ。

 作戦を立てた時点では、デートが無理なら普通に遊びに行けば? とか言ったら根津に貧弱な拳で殴られたんだよな。このまま諦めると罵詈雑言の嵐が俺を待っているだろうから、なんとか彼女達のデートを実現させたい。

「みーこ本人は?」

「色々あって俺に頼んできた」

「ふふっ。意気地なしだなぁ」

「……そういう一ノ瀬も、それとなく意地悪だぜ」

「そうかな? そうかも」

 問答に間が生まれて、一ノ瀬は視線を窓の外へ向ける。

 根津本人から誘えばいい、という彼女の指摘はもっともだ。彼女なら間違いなく誘いを受けてくれるんだし、適当にやればいいじゃんと十回くらいは背中を押したのだけど、前途多難すぎて諦めた。

 いざ実行に移そうと教室の入り口まで来たあたりで、根津の足が震えて顔も青ざめる。端から見れば俺が彼女をいじめているように見えた可能性もあるな。なだめて、脅して、手は尽くしたけれどあと一歩を踏み込むには色々と足りていない。

 で。

 しょうがないので、俺が一ノ瀬と根津のデートを取り付けることにしたのだった。

「一ノ瀬。お前は根津のことをどう思っているんだ」

「どうって? すごく仲のいい友達。ていうか幼馴染かな」

「そうか。……でもまぁ、そうなるよな」

「キミは私に、どんなことを思っていて欲しかったの」

「いやぁ、まぁ。それは秘密ってことにしておくよ」

 根津から一ノ瀬へ向けられている感情と、彼女が根津へ返す感情には温度差があった。途切れた会話の隙間を埋めるでもなく窓の外を眺める一ノ瀬は、果たして本当に根津の心に気付いているのだろうか。他人の心が覗けたならと思う場面は多々あれど、その願いが叶う瞬間は訪れない。

 考えても答えが出ないなら、とりあえず行動するしかないのだった。

 スカートの折り目を直した一ノ瀬が俺に向き直る。

 助け船を出してくれるようだ。

「私、行ってみたいところがあるんだ。そこでいいならデートしてあげる」

「いいよ。で、どこ行くんだ?」

「安請け合いするねー。キミ、将来損するよ」

 駅前の怪しい占い師みたいに手をヒラヒラと振って、一ノ瀬がおどけてみせる。彼女はスマホをすいすいと操作して目的地の地図を出した。市役所の近くで、学校からの帰り道にある喫茶店のようだ。オムライスが有名な店らしい。ホームページもないのに、インターネットには有志が撮影した店のメニュー表やオムライスの写真が沢山載っていた。

「便利な世の中だなぁ」

「浦島君、ホントに私と同級生? っていうかスマホ持ってるよね」

「電話以外はあんまり使わないんだ。チャットは勉強中」

「チャット……本当に同時代の人?」

「文字を打つ速度がめちゃめちゃ遅いから、ほぼ使わないし」

 スマホを触る時間よりもフライパンを握っている時間の方が長い小学生だった。中学校に上がるまで友達とゲームしたこともなかったし、家の固定電話くらいしか外とつながる手段がなかったのだ。

「で、ここってそんなに身構える店なのか?」

「ううん、別に悪い意味で有名なわけじゃないよ」

「ってことは、すっげぇ美味いのか」

「それもあるし、ある小説の舞台になった場所なんだ」

 彼女に説明されて、その本を中学校の図書室で見たことを思い出す。マンガばかり読んでいたシモユキが原作だからと手に取った小説がそれだった。

「俺の友達が読んでいたな、その小説。俺も読んだことがある」

「浦島くん、小説とか読むんだ」

「いいや。あんまり好きじゃないんだよな、活字を追いかけるの」

 一ノ瀬のスマホに表示された店舗情報を目で追いかける。彼女が行きたがっている店は午後四時には閉まるみたいだ。そうなると、学校帰りに行くのはなかなかに難しいな。俺一人なら適当に授業をサボって食べに……いや、この高校は出席だけは厳しいからな。体調不良って宣言してから抜けよう。

 なぜ一人じゃ行けないのか、と考えていたら彼女は恥ずかしそうに頬をかいた。

「私、ここのオムライスが食べてみたいんだ。でも、量がすごいらしくて」

「なるほど。一ノ瀬、食細いもんな。それで俺の胃袋に頼るのか」

「香奈城くんと相原さんに聞いたよ。浦島君、すごい食べるって」

「そんなでもないと思うけどなぁ」

「お弁当二個食べた後に平然とデザート食べる人、普通じゃないから」

 一ノ瀬に言われて、前の土日に学校に集まって勉強会を開いたのを思い出した。その時、外の弁当屋に昼飯を買いに行ったことを思い出す。俺としては控えめにしたつもりだったのだけど、食の細い彼女からみたら特別に見えたのかもしれない。

 本当だよ。昼飯に弁当二個は育ち盛りの男子高校生としては普通だよ。

「で、デートプランとかはあるのか」

「映画を観に行きたいな。今月封切りの恋愛映画があってね」

「オランダの奴だっけ? あの監督だと七年ぶりの新作」

「え、浦島君って映画詳しいタイプなの」

「そんなでもないけど」

「週に何本くらい見る? というか先週はどのくらい見た?」

 何を見たのか思い出すため、作品名を口にしながら指を折る。

 折り返しに掛かったところで、一ノ瀬が息をのんだ。

「ひょっとしてオタク?」

「親の仕事の都合があって、映画を見るのは日々のルーティンなんだよ」

 彼女も、一緒に暮らしているにーちゃんの影響で好きになったらしい。最近見た映画の話題で少し盛り上がった。そして、映画を取り巻く家の環境に話が及ぶ。

 浦島家では特に理由もなく鑑賞会が始まる。二人いる母親が仕事など関係なしに映画を見るジャンキーだから、彼女達に育てられた俺も週に五本は見ないと物足りない体になってしまった。

 ただ、ご飯を食べながら映画を見るのは禁止だ。泰子の箸が動かなくなって、酷い時だとお椀を持った状態で十分以上止まっていることもある。俺が怒って、了がなだめて、泰子が謝る。それを何度か繰り返して、飯の時間の映画は禁止になったのだ。

 一ノ瀬家では、にーちゃんが泰子と似たような感じらしい。

「どこも変わらないんだな」

「ね。映画はひとつの共通言語だから」

「だよな。あ、そういえば先月公開された映画で」

「こらこら。そろそろ話を本筋に戻そうね」

 一ノ瀬に促されて、本来の目的だったデートプランを考える。というか、一ノ瀬の行きたいところを順当に回ることにした。根津の体力や気力を踏まえて、少し目的地の数を絞って終了だ。香奈城渾身のデートプラン講座は……多分、きっと、活かされている。

 よし。

 予定が決まったところで根津を呼び出すことにした。最初から呼べばよかったのに、とは思うけれど、それはそれで根津がもたないだろう。一ノ瀬の出したプランを全部イエスって答えそうだし、それで当日、無理がたたって倒れられても困るし。

「いいか。根津は俺に呼ばれてきたという体裁で来るからな。あくまで自然な感じで、一ノ瀬からデートに誘ってくれ。くれぐれも根津がビビって逃げるような」

「全部聞こえてますよ! バカですか浦島くんは」

 相原だったらドロップキックが飛んできそうなセリフと共に根津が現れた。

 おかしい、俺が呼びに行くまでは教室の入り口付近で待機しているように約束していたはずなんだが。そして窓辺で喋っていた俺達の問答を余すことなく聞いていたのだとしたら、根津は相当な地獄耳だ。

 不用意なことは言わないようにしようっと。

「ずっと聞き耳立ててましたけど、浦島くんってモテないですよね。バカだから」

「お前、ホントに容赦ないな……」

「初手からデートに誘うなんてダメですよ。まずは相手の都合とかを聞いて」

「それで予定が合わなかったら遠慮して、デートに誘うのを諦めるのか?」

「なっ、ば、ばかにしているんですか。私のこと!」

「ふたりとも。ケンカしないの。……この前も気になったけど、いつの間に仲良くなったの?」

 口ごもってしまった根津に代わって、アルバイト先の中華料理屋で会ったこと、根津が一ノ瀬ともっと仲良くなりたいと思っていることなどをかいつまんで説明した。好きとか嫌いみたいな話は遠慮して伏せたのに、横でうつむいていた根津から睨まれたのは解せない。これでも頑張って隠し事をしているんだけどな。

 やっぱり俺に、隠し事なんか向いていないのだろうか。

「それで、あの、えっと」

 うつむいた根津は内股気味に立ちすくむと、スカートを固く握りしめて動けなくなった。俺には容赦のない悪口の雨を降らせてくる癖に、一ノ瀬の前じゃ借りてきた猫みたいに大人しい。

 肩をすくめて、一ノ瀬に視線を送る。この状態の根津とずっと仲良くしてきたなら、扱い方も分かっているに違いない。俺と比べれば百倍以上の付き合いがある彼女なら、根津を正しく導けるはずだ。

 一ノ瀬が、うつむいた根津に声を掛ける。

「みーこ。デートしようよ!」

「あ、一ノ瀬もストレートに誘う派なんだ」

「だって互いに分かっている状態だし。あとは私が誘うだけでしょ?」

 それで、どう? と一ノ瀬は根津に視線を向ける。

 彼女は頭に手を当てると、髪をぐしゃぐしゃと丸めながら顔を覆ってしまった。

 新種の妖怪に見えなくもないな。

「…………ぃ」

「は? 返事が小さいぞ、根津」

「煩いんですよ口だけヤンキーの癖に。黙っててください」

「おい一ノ瀬。こいつって俺にだけ厳しいのか? マジで何なの」

 俺の質問に答えようにも、一ノ瀬は腹を抱えて笑い出したせいで喋れない。しょうがないので根津に向き直ると彼女は俺をにらんでいた。こいつらも大概、変な奴らだ。相原には負けるけどな。

 一ノ瀬はどこまで根津の気持ちを知っているのだろう。考えても空想の域を出ないけれど、言葉にしたら彼女達の関係が壊れてしまう気もして、俺は質問を重ねることが出来なかった。

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