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買い物に行った息子が友達を連れて帰ってきても、泰子達は驚いた顔ひとつせずに出迎えてくれた。ああだこうだと妙なことを言いながら付いてくるが、どうやら俺の新しい友人に興味があっただけらしい。
台所にテーブルに買い物袋を置いて、ようやく一息をつく。
そこまではよかった。
だけど了の一言に、相原が飛び上がった。
「分かった! キミ、はじめちゃんの彼女なんだね!」
「違いますけどっ? いや、あたし、否定していいんだよね?」
「ほらほら、はじめちゃん。どうするの、このままじゃ脈ナシになるぜ」
「あのな、了。息子の友達に余計な心労をかけんなよ」
「あぁ、キミはそういう認識なのね。僕、把握しました」
「と、とりあえずあたし、お手洗いを借りたいんですけど」
「ほー、逃げの一手ですか。やっちゃん、案内してあげてよ」
泰子に連れられて、相原が台所から出ていった。
母親とふたり残されて、なんだか微妙な気分だ。
了は、なんだか楽しそうだけど。
「で? 本当のところはどうなのよ」
「相原も言っていただろ。別に、そういう関係じゃないよ」
「じゃあ、今後の展望は?」
「考えたこともございません。ほら、仕事で疲れているんだろ? 部屋に帰れって」
「あやしー。ふたりでイチャイチャしながら料理するつもりね?」
ヤンチャな血が騒いで腕が上がりそうになった。だけど俺だってもう高校生だ。常日頃から鍛えた拳よりも自制心の方が強いところを了に見せるチャンスだ。滅多にない機会を不意にすることはしたくない。
ぐっとこらえて、頬を引きつらせながら笑って見せた。
「マジで。相原とは。そういうのじゃないから」
彼女が否定しているのに、俺が嘘を吐いて状況を乱す意味があるのだろうか。ひょっとして相原の否定には言葉以上の意味があって、俺にそれをくみ取れと……いや、考えすぎだ。だって、了だし。適当にやっているに違いない。
「気持ちってのはぁ、言葉にしないとぉ、伝わらないぞぉ?」
とぼけた顔で笑う母親の肩を、俺は優しく叩く。
そしてガッチリと掴んで、謝るまで手の力を徐々に強めていった。
「ごめんて。マジごめ、いぎっ、砕けるから、マジで肩砕けちゃうから! あ、相原さん。パス、パスパース。僕は片付けがあるからさ!」
昨日届いた荷物の片付けが終わっていない了は、それを口実として逃げるように部屋を出ていった。入れ替わりに、相原が台所へ戻ってくる。彼女は、了が走り去っていった階段の方へ視線を向けていた。
「僕っ娘でイケメンな女の人、リアルで見たの初めてかも」
「……ずっと一緒に居ると慣れるよ。相原ほどじゃないけど奇行に走るし」
「あたし変なことしませんけど? ていうかー、ケンカはダメだよ。誰も得しないし。浦島君が怒っている理由は知らないけどさ」
俺の手の甲を指ではじいて、彼女は反省を促してくる。言い返せなくて、相原の顔を見るのが少し怖くなる。ぐっとこらえて顔をあげると彼女は俺を真っ直ぐに見つめていて、その頬には柔らかな笑みが浮かんでいた。
相原は買ってきたスーパーの袋を覗き込むと、何かを思いついたように拍子を打った。取り出した茄子を両手に握りしめて、拳銃に見立てながら俺へ向けてくる。ご丁寧にバンと撃つ真似までしてきたから、ゴボウブレードで対抗することにした。
俺達、本当に高校生だよな。小学生じゃないよな?
ひとしきり食材と戯れてから、炊事場へと向き直る。
さて、準備を始めるかな。
食材を袋から出して、明日の朝ご飯のパンは棚へと仕舞い込んだ。
俺にパンを手渡しながら、相原が質問を重ねてくる。
「泰子さんって、浦島君のお姉さん?」
「いや、母親だけど」
「それじゃ、了さんがお姉さんか」
「いや、そっちも母親。俺には二人の母親がいるんだ」
「えー、ふたりともめっちゃ若いじゃん! お父さんもふたりいるの?」
相原が冗談めかして聞いてきた。
茄子のヘタをむしりながら、果たしてどう答えたものかと考える。
まぁ、嘘をつくのは下手だから正直に答えてしまおう。
「父親の顔は見たことがないんだ。泰子が中三の時、一年間行方不明になって、ある時ひょっこり帰ってきた。その時に抱きかかえていたのが俺なんだよ」
「えー、それって冗談? よく分かんないんだけど、どういうこと」
「アブダクションされたんだよ、十五歳の夏にね」
「アブ……何それ?」
冗談なのだから、適当に聞き流してほしい。
アブダクションとは宇宙人による誘拐事件のことだ。その対象は人間から家畜、果ては非生命体にまで及ぶとされている。俺は幽霊の存在を信じているし、宇宙人だってこの世のどこかにはいるだろう。
ま、本当にアブダクションだったのかは分からないけれど。
詳細を不明にしておいた方が幸せな事件もこの世には存在している。
俺を連れて帰ってきた泰子に一年間の記憶はなく、快活で明るい少女だったという彼女は日がな一日子供を抱きかかえて俯くだけの女性になっていた。最初こそ彼女の帰還を喜んでいた家族とも徐々に疎遠になっていき、彼女曰く寂しい毎日だったそうだ。
泰子が帰ってきてから五年が過ぎた頃、街のスーパーで偶然に出会った了と意気投合したのが人生の転機だった。家族の元を離れて、今のボロ家で了と一緒に暮らすようになってからは元の明朗な性格を取り戻して、現在に至る。十年が経っている。泰子と了の物語に俺が立ち入る隙はなくて、家族でありながら、それは遠い世界の話だった。
泰子にとっての俺は息子であって、弟でもある。あいまいな認識とおぼろげな記憶だけで彼女は俺を家族として愛してくれている。それで、俺には十分だった。
「それって……うーん……」
「他人には言いふらすなよ。これを話したの、他には香奈城だけだから」
「うん、絶対言わない。……あたしに教えて良かったの?」
「相原は悪いやつじゃないだろ。そういう奴に打ち明けると、俺も心が軽くなる」
抱える秘密が大きいほど、心に差す影も大きくなっていく。個人が耐えうる痛みには限界があって、許容できないほど膨れた痛みによって心が爆発すると、周囲にも悪い影響を与えてしまうものだ。
秘密を打ち明けられた側に多少の負担を強いる形にはなってしまうけれど、その時はまた、彼女も俺に秘密を打ち明けてくれればいい。互いに互いを頼る、それも人間のひとつの形だろう。それこそ、了や泰子のように。
「とりあえず、家庭の過程が複雑ということは分かった。これ以上は聞きません!」
「懸命だ。それで、相原はどのくらい料理が出来るんだ」
「初めて包丁握った」
「今すぐ手に持ったものを下ろしてくれ。通りで握り方もおかしいわけだ」
「だって、サスペンスとかじゃこの持ち方だよ?」
「人間を調理するわけじゃないんだから。家庭科でもやったことないのかよ」
「うん。面倒そうだったから、あたしは皿洗い当番やっていたので」
思わず頭を抱えた。
相原に危ないことはさせたくないが、手取り足取り教えるにしたって包丁の持ち方から教えるとなると手間がすごいことになる。どうせならカレーとか、もっと簡単で味のブレが少ないもので教えた方が本人も自信が付くだろうし。
迷っていたら、彼女の側から提案してくれた。
「見ているだけでもいいよ。あたし、応援係ね」
「なんか、ごめん。悪いな」
「いいよー。据え膳上げ膳も最高! 美味しいご飯作ってよね」
ニカっと歯を見せて相原が笑う。せっかく手伝おうとしてくれたのに、なんだか悪いことをした。ちょっと気合を入れて料理しよう。それが彼女のやる気に報いるひとつの方法だろう。
「まずはシイタケで出汁を取るぞ。本当は昨日の夜に戻し始めると良かったんだが」
時間をかけたくないから簡単にやってしまおう。耐熱性の容器に適当な量を見繕って、水で浸す。レンジで軽く温めた後に十五分ほど置いておけば、意外とバカにできない出汁が出る。
「チン終わったら出しといて。そこに手袋あるから、火傷しないように」
「イエッサー! それで、次は何をするの?」
「かつおぶしで出汁をとる。コツは弱火で攻めること」
沸騰したら火を止めて、薄削りのかつおぶしを入れる。ゆっくりと三分ほど弱火で煮たてれば、料理に使う味の濃い出汁が取れる。説明しながら手を動かすと相原が目を輝かせながら相槌を打ってくれた。
小学生の頃、泰子に見守られながら料理をしたのを思い出す。
順番に料理を進めて、天ぷらを揚げていたら料理の手際を褒められた。
「すごいじゃん。料理の上手な浦島君にひとつ、お願いがあるんだけどなー」
「急だな。別にいいけど」
「厨房でアルバイトしていた人が、再来週で辞めちゃうんだよ。週末だけでいいから、ウチで働いてみない? 野菜の下処理とか、お皿を洗ってくれるだけでいいから」
「……接客しなくていいなら、いつでも手伝ってやるよ」
「ははーん、さてはキミ、シャイボーイだな?」
「うるせ。人と仲良くなるのが苦手なだけだ」
「ふふ、知っているよ。何せ一年もキミを見ていたからね」
一年か。長くないか? と頭をひねる。
俺が紅やに通い始めたのは一年ほど前からだから、相原の言葉が正しければ、彼女は俺が店を訪れた当初から俺のことを追いかけていたことになる。
接客業をしていると相手の顔を覚えるのが早くなるのかな、とか思っていたら相原は携帯片手に部屋を飛び出して行ってしまった。新しい従業員が見つかったことを親に報告しに行ったみたいだ。
初めてのアルバイトに思いを馳せていると、了がニヤニヤ笑いながら近寄ってきた。どこから湧いて出てきたんだか、ハエトリの罠を設置するにはまだ早い時期のはずだけど。
「青春しているねぇ、はじめちゃん」
「友達に料理を教えたら青春ポイント貰えるのか?」
「まぁ、うん。キミはそういう奴だったな!」
了は俺の背中をバシバシと叩いて、泰子を起こしてくる、とまた台所を出ていった。俺の周囲には変な奴ばかりが集まるようだ。
「俺も磁石人間だったりしてな」
軽くレンジにかけた人参と玉ねぎで、鼻歌交じりにかき揚げを作る。
料理は楽しい。勉強よりも、家で洗濯や炊事をしている方が好きだった。
「仕事かぁ。やれるのかな」
大人になっていく自分の未来に微かな不安を覚えて、一瞬、料理の手が止まる。
相原にウマいものを食べさせてやろうと思い返して、ひとつ、深呼吸を挟む。
「なんとかなるでしょ」
それはきっと、いつかの了が泰子に向けた言葉。
歪でも確かな親子関係みたいに、人生ってのはどうにかなるものだろう。
「ただいまー。お、もう完成?」
「まだ。でも、そろそろ出来上がるよ」
「そっか。それじゃあ手伝いも終わりということでー」
「いや、皿を出してほしいんだけど。……なんか、いいことあったか?」
「うん。浦島君がウチで働いてくれると、色々と助かるもん」
相原がずっと笑っている。客の立場では分からないが、彼女の店はそこまで忙しいのだろうか。知らない人と働くよりも顔見知りと一緒の方が気も楽だとか、そういった事情もあるのかもしれない。推測や憶測で相原が上機嫌な理由を探して、見つからなかったから諦める。
そして諦めた後にこそ、バカみたいな発想が浮かんでくる。
例えばそれは、相原が俺と一緒の時間を増やしたがっていると仮定して。
「相原、俺のこと好き?」
「…………」
純度100パーセントの冗談を飛ばしてみたら、返事がなかった。ひょっとして聞こえなかったのか、それとも呆れかえって言葉も出なくなったのか。振り返ろうとしたら背中に鋭い痛みを感じた。
間違いなくグーだった。それも本気の。
ただの冗談なんだけど、いや、待って。
「いっで。相原、ちょ、俺まだ揚げ物しているんだけど」
「変なことを口走ったバツです。クチバシ攻撃をくらえ!」
「ただの貫手突きじゃないか。待てって、後でいくらでも相手してやるから」
「ヤダ。だって正面からケンカしたら負けそうだし」
どうして拗ねてしまったのか、背後から執拗に攻めてくる相原をなだめながら晩御飯を作り終える。なんだか笑ってしまうほどに牧歌的で、泣きたくなってしまうほどに俺が求めていた何かがそこにあった。
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