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コーヒーや茶菓子の用意をしている間に、了はシャワーを済ませてきたようだ。
真っ黒なシルクのパジャマは第二ボタンをはずしていて、覗く鎖骨と白い肌がよく映える。高身長でスタイルも良く、我が母親ながらモデル並みに美人だった。そう評することに抵抗はない。母親だという認識がなければ、小学生の俺は彼女に恋をしていたかもしれなかった。
「昼飯は?」
「食べてきた。晩御飯は遅めがいいな。あと、あったかいやつ」
「分かった。揚げ茄子で天ぷらうどんとか、どうよ」
「いいじゃーん。はじめちゃん、私の好みを分かっているねー」
よしよし、と頭を撫でてこようとしたので抵抗してみる。
頬を膨らませた了は、まるで思春期の少年のようだった。
「あ、それでね。次の映画なんだけど――」
泰子と了が仕事の話を始めたから、静かに部屋を離れる。することもないし、晩御飯の材料を買いに行こうかな。財布と携帯電話、その他買い物に必要なものを持ったか確認してから家を出た。
自転車にまたがって、駅前の大型ショッピングセンターに向かう。併設されたスーパーが俺の目的地だ。なんだかんだで品揃えがいいし、安定した値段で商品が提供されるのが大手の強みだ。近所のスーパーでもいいけれど、曜日によっては入荷されない商品もあるからな。ほしいものが決まっているのなら、大手に通った方がいいのだった。
「買うのは茄子と、シイタケと。それから人参と玉ねぎ……」
食料品店の手前で購入リストを頭の中に作っていたら、入店してきた女性に目が引き寄せられた。褒められたことではないけれど、綺麗な人がいるな、と思って目で追いかけてしまう。
可愛らしい花模様が刺繍されたベレー帽。
くちなし色のセーターと落ち着いたカーキのロングシャツワンピ。
丈の短いデニムを履いた美人には見覚えがある。
相手が相原小紅だと気が付くまで、少々の時間を要した。
彼女もこちらの視線に気づいたようで、澄まし顔を一瞬でほころばせる。
「おぉ、浦島君じゃないかー。お店の外で会うの、初めてなんじゃない?」
「学校で毎日会っているじゃん。記憶を捏造するなよ」
「それもそうだね。あはは」
鈴を転がすような笑い声に、毎度のことながらつられてしまう。
相原は手ぶらだった。
いいな、それ。
俺はもっと、相原と仲良くなりたいんだ。
「それにしても似合うな。モデルみたいだ」
「褒めても何も出ませんぞ。――浦島君も、っくいいね」
「ホントかよ。褒めたら調子に乗るからな、俺は」
ちょっと喉に引っかかったような言い方に文句をつけつつ、一応は自省してみる。
黒いジャケットと丈の長いシャツ。そして履き慣れたジーンズに真っ白なスニーカー。了や香奈城が着ると格好いいと一言で終わるけど、俺が同じ服装をしていても格好いいという評価より怖い奴という印象が勝つらしい。去年の夏も似たような服装で夜に出歩いていたら職務質問を受けたし、他人から俺がどう見えているのか気になってきた。
ヤンキーと不良は、似ているようで違う。
俺はちょっと身長が高くて目つきが悪いだけなんだから、勘弁してくれよな。
「相原は遊びに来たのか」
「うん。今日はお休みな気分なので。家にいると、手伝えって言われるからさ」
逃げてきましたー、とその場でまわる。
俺にとって、休みの日は退屈な日だった。香奈城に誘われなければ家を掃除する程度しかやることがない。自発的な行動を取らなくても求めてくれる相手がいる相原のことを、少し羨ましく思った。
帽子が似合っているなー、とか考えていたらぐっと腕を掴まれて、流れるように腕を組まれた。顔が近いな。
「浦島君、今日の予定は? 暇なら一緒に時間潰そうよ」
「時間なら余るほどあるけど、晩御飯を買いに来たんだよな、俺」
「えっ、マジ? ひょっとして、浦島君って料理できるの?」
「当然。めちゃくちゃうまいぞ。どうしてもっていうなら食べさせてやろうか」
「いいの? あたし本気にしちゃうぞ」
「遠慮する必要はないよ。なぜなら、俺は自分の料理を自慢したいから」
「分かった。じゃ甘えようかな! ……あ、もしもしお母さん?」
相原は慣れた手つきで携帯を取り出して親への連絡を済ませてしまった。あまりにも早すぎて、冗談だと口を挟む暇もない。でもまぁ、了が家に来たときも、このくらい唐突だったのだ。文句を言われても受け流せるように心の準備をしておこう。
よく考えたら香奈城もアポなし訪問してくるよな。
了や泰子にとっては、今更のことだったかもしれない。
電話を終えた相原に、今晩のメニューを説明する。
「今日は揚げ茄子の天ぷらうどんだ。出汁から作るぜ」
「海老天は? ない感じ?」
「欲しけりゃ作るけど。他に、何か食べたいものあったら言ってくれよな」
買い物かごをカートに乗せて、食料品売り場を練り歩く。
別段通路が狭いわけでもないのに、相原との距離は普段よりも縮まっている気がした。事実、腕を組んでいるわけだし。少し体の軸を傾ければ肘で押せるほどに密着してくる彼女は何を考えているのだろう。少なくとも今は晩御飯のことしか考えていないのだろうけど。
そして、腕を組まれて気付いたことがある。
「相原、意外と大きいんだな」
「急にどうしたの。え、というか何の話……」
「背丈。俺よりは低いけど、女子としては高い方だよな」
「そっちか。浦島君だって、学年でも特に大きい方でしょ」
のっぽさんだ、と彼女は俺の頭を撫でる。了よりも少し背の高い彼女には、頭を撫でられても抵抗しようと思わなかった。遅い反抗期はもう終わってしまったか、と自身を客観視してみる。出来ているのか?
ひとしきり撫でまわして満足したのか、相原は腕を解いてくれた。
「相原って休みの日は何をしているんだ」
「えー、何も。部活やってないし、家の仕事の手伝いくらいかな。浦島君は?」
「香奈城と映画観に行くか、ゲーセンに行くか、家でゴロゴロしている」
「男同士でデートですかぁ。お熱いですなぁ」
「あれがデートなら、相原と俺もデートしていることになるな」
「そんなわけないでしょ。変なことは言わないの」
適当に喋っていたら相原に頬をつままれた。
そこまで真剣に否定しなくても冗談だと分かるだろうに、変な奴だ。
俺を先導するように野菜コーナーへと歩を進める相原は、自信満々に棚からシイタケのパックを取り出した。ふむ、天ぷら用だろうか。どうせなら肉厚なものを選んだほうがいいんじゃないか、と思っていたら色んなキノコを放り込んでくる。
待たれよ。
「最初はお出汁の材料を買わなくちゃね」
「は?」
「シイタケ、昆布、かつおぶしー」
歌いながら食材を買い物かごに放り込んでくる相原を追いかけつつ、いやこれは違う奴だし使わない奴だしと棚に戻していく。出汁を取るためには生のシイタケよりも干しシイタケの方がいいし、昆布はウチじゃ使わない。鰹節は使うけれど、小袋じゃなくて出汁用の大袋を買った方がいいし、あぁ、ツッコミが追い付かない。
いろいろと問題が多すぎて咄嗟に腕をつかんだ。意外と柔らかくて、相原の二の腕の触り心地に魂まで吸われそうになる。いや、落ち着け。腕の触り心地なんてものはどうでもいいだろ。
二の腕を掴んだまま動かなくなった俺に、相原は不思議そうな目を向けてくる。
「あれ? あたしが入れた奴がなくなっているんだけど」
「ウチじゃ使わない奴だから、の前に聞きたいことがあるんだけど」
手のひらに残る奇妙な感覚を振り払うようにもう一方の手で覆う。そして、ごまかすように相原に質問を向けた。
「相原、料理を作ったことは?」
「ない! でもレシピ的なのはテレビでみたことあるし。大丈夫でしょ!」
「いや……うん……それじゃ、少しずつ教えるからステイ。動くなよ」
「え? 私、何か間違ったことしました?」
「どこから説明すればいいのか分かんないレベルだよ」
冗談と嘘の境目があいまいな女の子、相原小紅。
俺は彼女に、どこまで振り回されるのだろうか。
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