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 五月の連休は香奈城とゲーセンを巡り歩いた。

 その後の学校生活も相原と競争する日々が続いている。クラスメイト達との関係も良好で、入学前に感じていた不安も少しずつ拭われていた。

「ホント、一年って早いよな。一か月とか一週間は、もっと早いぜ」

 光陰矢の如し、と呟いてみる。

 月末の、なんてことのない日だった。休日だというのにすることもない。香奈城はクラスメイトに誘われて遊びに行っているらしいし、一ノ瀬は推しが配信をするからと引きこもっていた。相原には予定を聞いていないけど、当然、家の仕事を手伝っているだろう。

 暇だった。

 三和土にしゃがみこんで、普段はサボっている靴磨きをしていた。

 年一しか履かない革靴を擦っていたら、派手なエンジンの音がした。あの人が帰ってきたようだ。出迎えの準備をするために掃除の手を止める。俺も原付の免許をとってどこかに遠出しようかな。と言っても家とラーメン屋を往復するくらいにしか使わない気がするけど。

 片付けを済ませたところで、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 玄関を蹴り飛ばす勢いで開けて、彼女は家に入ってきた。真っ赤なシャツに黒いジャケット。履きつぶしたジーンズが良く似合っていて、いつも格好いい人だった。

「ただいまー! あ、はじめちゃん。久しぶり」

「おかえり。昨日届いた荷物、部屋に運んでおいたから」

「おぉー、はじめちゃんは仕事が早いねぇ。の自慢の息子だ」

 にこやかに頭を撫でてくる彼女は、俺のもう一人の母親、了。五歳の時、泰子とふたりの母子家庭だった浦島家に突然やってきて、そのまま俺の家族になった人だった。

 どたどたと階段を駆け下りる音がして、泰子が了にダイブしていった。

「お帰り、了ちゃん!」

「ただいま、やっちゃん。今回も熱烈な歓迎だね」

「だって一か月ぶりだもん。長すぎるよ」

「……いちゃつくなら玄関閉めてくれない? 恥ずかしいんだけど」

「うわ、はじめちゃんが思春期に」

 なってねぇよ、と否定するのも癪に障る。

 抱き合ったまま動こうとしないふたりに代わって、俺が玄関の戸を閉めた。

 相変わらず仲の良いふたりを見て、お似合いだなと感想が漏れる。細身で凛々しい了が、小柄で愛らしいと評判の泰子を抱きしめていた。泰子は了の胸元に顔を埋めていて、了は泰子の髪が伸びた頭に頬ずりをしていた。息子からみても恥ずかしくなるほどに、彼女たちは愛し合っている。

 誤魔化すように、了へと話し掛けた。

「今回は長かったな、了。ホントに一か月も帰ってこなかったじゃん」

「それだけ大変だったってこと。僕、それなりに責任のある立場だから」

「仕事、大変なのか」

「まぁねー。やりがいはあるけど」

「貧乏クジを引いただけ、で終わらないといいな」

「意外と皮肉屋だよねー。モテなくなるぞ?」

 既にモテてないけどな、と悲しいツッコミを入れておいた。

 了が家を空けていたのは仕事の都合だ。映画関連の仕事と聞いたことはあるけれど、どんな仕事をしているのかは知らない。泰子が沢山の映画を見て様々な資料をまとめているのは、彼女の仕事の手伝いも兼ねているようだ。母親に宿題の出来を自慢する子供みたいに、泰子は腕に抱えた紙の束を了の前に広げて見せる。

「頑張ったんだよ。もっと褒めて」

「よしよし、努力賞だ。チューしてあげるっ」

「了ちゃん、はじめちゃんが見ているのにいいの?」

「いや、今更過ぎてどうとも思わんが。好きにやってくれ」

 促すと、泰子は了へと唇を突き出した。

 親のキスシーンを眺める気にはなれなくて視線を逸らす。多分、それは熱烈な愛の証になるのだろう。了はキャリアウーマン然とした格好いい女性の雰囲気をまとっていた。だけど、泰子と話が出来ない日は眠れないほど愛に飢えている。少女のように華やいだ笑顔を見せる泰子に、了はきっと救われているのだろう。

 了の瞳に浮かんでいるのは慈愛か、それとも恋慕の情なのか。

 十年経った今も、俺には愛のカタチが分からないのだった。

 泰子と熱烈なキスを交わした了が俺に向き直ってくる。

 ちょっと警戒した。

「はじめちゃん。僕、お風呂に入りたいんだけど。シャワーでもいいや」

「掃除はしてあるから、いつでも入っていいよ」

「ありがと。はじめちゃん大好き!」

 キスじゃなかったことに安心して、ハグに少し照れる。

 どたどたと風呂場へ走っていった了の背中を目で追いかけた。

「泰子。一緒に入らなくてもいいのか」

「むっ、はじめちゃんも私を子ども扱いする気?」

「……いや、そういうわけじゃないけど」

「変な気は遣わなくてもよろしい。夜に頑張るから」

 鼻を膨らませた泰子をみて、そういうことねと苦笑する。

 俺は了のことをあまり知らない。家族では会ったけど仕事で家を空けることも多いから、近所のお姉さんレベルでしか彼女の話を聞かなかった。格好いいレザースーツに身を包んで、バイクを乗り回しているところが印象に残っている程度だ。

 泰子とめちゃくちゃ仲が良くて子供ながらにドン引きした覚えがある。実の母親を奪われる恐怖とか嫉妬心よりも前に「こんなに甘々なカップルにはならないようにしよう」と子供に思わせるレベルには熱い関係を築いていた。それでいいのか。いいのだろうな。

 だって、愛は当事者のものだから。

 そんな言い訳を用意する俺には、恋愛など向いていないのだろう。

 だから。

 誰かが恋をしているなら、それを応援せざるを得ないのだった。

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