Draw Go
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入学式に寝坊した。
高校生活、最初の遅刻だ。
母親が仕事で見ている映画が面白そうだったから、釣られて夜中まで鑑賞会をしてしまったのが原因だ。幸いにも入学式の後に行われる各クラスでの説明会には間に合いそうだから、学校へは連絡を入れずに登校した。入学式は校長やお偉方の訓示を聞くだけで出席をとることはないだろうし、黙っていればバレないはずだ。
人のいない校舎を隠れるように歩く体験は、悪戯心と好奇心の両方を刺激して、無難に時間を潰すのが難しいほどだった。春の陽気に照らされて、三年間の青春を捧げる聖域は輝いている。
「へへっ、最高じゃん」
こんな性格だから馴染む相手も少ないのだろう。
不良少年と呼ばれるのもやむなしだ。
誰もいない校舎を歩いていたら、小学校一年生の夏休みに学校を探検したのを思い出した。あの頃と同じように、気の赴くままに足を進めて学校内の設備を見て回る。受験のときは気にも留めていなかったけれど、たった三十分で出身中学との大きな差を実感した。
赤レンガが敷き詰められた歩道脇には丁寧な手入れが施された花壇がある。植えられたパンジーは鮮やかに生徒たちの行く先を彩り、清掃の行き届いた校舎はそれだけで過ごす時間の価値を高めてくれる。定期的に整備されるテニスコートや運動場、そして去年改装したばかりの屋内プールなど、部活動に使う施設も万全の体制だ。
豊富な施設や学のある教員が生徒たちの知的好奇心に応えてくれて。
高みを目指す仲間であり、切磋琢磨する好敵手でもある同級生がいて。
高校生活は実りあるものになるのだろうと期待ばかりが膨らんでいった。
「お? 終わったみたいだな」
体育館からあふれ出してきた生徒にこっそり紛れ込んで、自分のクラスへと足を運ぶ。黒板に張り出された名簿でもう一度自分の名前を確認して、窓際の前から三番目にある席へと向かった。
一年六組三番。それが、俺に与えられた番号だ。クラスメイト達をぼんやりと眺めていたら、見覚えのある赤毛の少女が近寄ってきた。彼女はこのクラスの出席番号一番の少女。
相原小紅だった。
「よっ、少年。広垣北高校へようこそ!」
「いや、相原と俺は同期だから。年上っぽい振る舞いはやめてくれよ」
相原はなぜか、学ランに身を包んでいた。
クラスメイト達の視線は自然と彼女に集まっていて、そして彼女に話しかけられている俺も興味の対象であるらしい。相原は周囲の視線など気にも留めていないようで、ずっと俺ばかりを見つめていた。
「ね? どうよ。カッチョいいでしょ」
「そうだな。似合っているよ」
「へへっ、そう? お兄ちゃんに買ってもらったんだ」
自慢げにくるくると回る相原だが、女子生徒が着ているという点の他に目新しさはない。俺が着ている学生服とも差異はないようだ。ただし胸元は膨らんでいる。あまり視線を向けたくないが、男とは明確に違うそれに目が奪われていた。
「男子用しかなくて、お直ししたんだ。いやぁ、意外と大変だったぜぃ」
「サイズぴったりだもんな。格好いいぜ」
「でしょー。セーラー服と学ランが気分で入れ替えできるなんて、いい学校だねぇ」
「そうか? そうだな、そうだろうな」
一応は肯定してみる。
頭の中では違うことを考えていた。
広垣北高校では、相原の言うように制服を自由に変えることが出来る。一応、男女別に標準の制服が定められてはいるものの、本人が自覚する性別によって自由に服装を選ぶ権利が校則によって明文化されているのだ。相原の思惑通り、その日の気分でどちらを着ても問題はないのだろう。
相原の考えているような意図で作った校則ではないだろうし、学校の運営をしている先生方が服飾と性別についての深い見識を持っているとは思えない。時代の変遷と社会の要望に応えてルールを変えただけだろう。
まぁ、それでも。
楽しそうな相原の姿に、俺も釣られて嬉しくなったのは否めないな。
「で、浦島君。どうして入学式に出なかったんだい?」
「寝坊したんだよ。夜明けまで映画を見ていたんだ」
「うわー、文化的―」
賞賛とも煽りともとれる言葉を贈られた。香奈城から大福と生米の中間みたいだと曖昧な評価を受けたこともある頬を、相原が細い指で突いてくる。なんだか楽しそうで、彼女にとっての俺がどんな存在なのか不安になった。
出身中学からこの高校へと進んだ生徒は俺と香奈城しかいないから、ひとまずの知り合いがいて安堵する。そして緩む頬に相原の無限突きが続いていて、振り払っても止まらない。
相原は俺のことを玩具か何かと勘違いしているのかな。
「やめろよ。それで、香奈城は? 入学式で会わなかったのか」
「会ったよー。五組なんだって。三人揃わなかったのは残念だったね」
「隣のクラスか。確かに、残念だな」
「ね。……ちょっと失礼しまーす」
相原は俺を押しのけるようにして椅子に座ってきた。ふたつ前に自分の机と椅子があるのに、なぜ俺の居場所を奪うのか。中学の同級生にやられたらキレ散らかしていたと思うけれど、相原が相手だと怒りが湧いてこない。不良が相手じゃないからか?
疑問は尽きないが、あえて考える必要もないだろう。
妙な感じだ。
柱にもたれかかったまま、俺の席を占領した相原とのお喋りに興じる。
「それでさ、浦島君。入学式の話なんだけどね」
「うんうん」
「始まるまでずっと、香奈城君と一緒に浦島君の名前を呼んでいたんだよ。体育館の隅にいても聞こえるように、うーらーしーまーって」
「おいコラ。あんまり悪目立ちさせないでくれないか」
「えー。私たちのおかげで一年生はみんな、絶対にキミの名前を覚えたのに?」
「顔と名前が一致してないだろ」
名前だけが独り歩きしても困る。友達はある程度増えた方がいいけれど、関わることもない相手から一方的にキャラ付けをされても困ってしまうし。入学式をサボった程度で妙な印象を植え付けられてしまったが、挽回できるだろうか。せめて高校では浦島太郎だとか、宇宙人などと渾名をつけられないように立ち回ろう。
それに、だ。
例え宇宙人だったとしても、俺には浦島仁という立派な名前があるのだから。
ぐだぐだとお喋りを続けていたら、前の席にセーラー服を着た子が座った。髪型はショートカット。細身で華奢な身体の、後ろ姿だけでも可愛いと分かる子だった。相原が彼女の肩を叩いて、振り向いたところで待ち構えていた相原の指が彼女の頬に突き刺さる。俺の五十倍くらいは柔らかそうだった。
困ったように眉尻を下げた表情も、相原とはまた違った方向で魅力的だ。
「一ノ瀬美鶴ちゃんです! 可愛いでしょ、入学式で知り合ったんだよ」
「相原のこと、今度から磁力女って呼ぶわ」
「は? なんで? ははーん、人を惹きつけるチカラがダダ漏れだからだな?」
その通りである。相原は自分の知り合いを周囲に引き寄せる力があまりにも強すぎる。地球の重力や月の引力と比べ物にならないほど身近に感じることのできるそれを、俺は磁力としか表現できない。
女神のあだ名は伊達じゃないようだな。
一ノ瀬は相原と同じクラスになったことに喜びを述べて、ついと俺へ向き直る。
そして、不思議な問いを投げかけてきた。
「私、どっちだと思う?」
薄っすらと笑みを浮かべた一ノ瀬の、その質問の意図を考えてみる。どっち、と聞くからには二者択一の答えがあるはずで、その材料は既に手元へ配られているに違いない。細い糸筋を辿って、それが可愛い系か綺麗系かを尋ねたものだと理解した。
「可愛い系だな」
「は?」
「一ノ瀬は可愛い系。間違いない」
「……ぷふっ。あははっ!」
腹を抱えて笑い始めた一ノ瀬に、返す言葉を間違えたかと不安になる。答え合わせと助け船の両方を求めて相原に目を向けると、脇腹に弱めの握り拳が飛んできた。困惑する俺に顔を寄せて、相原は一ノ瀬と同じ質問を投げかけてくる。
「あたしは? どっちだと思う?」
「綺麗系」
今度は強めに殴られた。
「女の子にキレイとかカワイイとか評価をつけるのはよくないんだぞ。ていうか美鶴ちゃんのときは悩んだのにあたしには即答ってなんだよ元からキレイとか思っていたのかこのヤローとか考えてないから。っていうかどこを見てキレイと思ったのかまで説明しろ」
「は? なんて?」
「うるせー」
なぜか頬を膨らませている相原は、聞き取れないほどの早口で文句を並べ立てている。入学式で何かあったのか、それとも待ち時間に喋っていたら仲良くなっただけなのかは知らないけれど、一ノ瀬なら何か分かるかもしれない。
今度は一ノ瀬に視線で救いを求めると、彼女は笑みを浮かべたまま俺達を眺めていた。はやく助けてくれよ、と今日であったばかりの同級生に縋る。彼女ははぐらかすように肩をすくめた。
「あなたが浦島君だね? ふふっ、面白いじゃん」
「顔と名前が一致する感じ? それはそれで……いいことなのかな」
「そうだよー。初見の印象だけで面白い人ってモテると思うし。素敵じゃない?」
「生まれてこの方、彼女なんていたことございませんが」
一ノ瀬は人を見る目がないのでは、とまだ複雑な顔をしたままの相原を横目に見た。相原は自分も可愛いと言われたかったのかな、それとも俺に評定を下されること自体が嫌だったのかも。いや、だったら私は? とか聞いてこないか。
よく分からん。
そして俺は考えるのをやめた。
「はーい、新入生のみんなー。座ってー。ホームルームしまーす」
小柄な先生が入ってきて、手拍子で生徒たちを自身の席へと促していく。俺の席を占領していた相原もようやく立ち上がって、自分の席へと足を踏み出す、前にくるりと振り返った。
ようやく椅子に座れた俺に耳打ちするように、小さな声で話しかけてくる。
「ところでキミ、どんな子がタイプ?」
意味のある質問ではないのだろう。綺麗か可愛いかを尋ねるのと同じように、俺の価値や判断の基準を知りたいという好奇心で出た言葉に違いない。真面目に考えようにも色恋沙汰など経験したことがないし、映画の知識程度しか持ち合わせようがない。どんな人を好きになるかと聞かれても答えようがないし、事実、すぐには答えられなかった。
コンマ一秒考えて、特に何も思い浮かばなかったので言葉を濁す。
そんなのはつまらなくて。
見つめ返した彼女の瞳は、綺麗なガラスみたいだった。
「相原みたいな奴だよ」
ぽん、と背中を押して彼女を送り出す。
相原はなぜか満足したように頷いて、スキップで席へと戻っていった。
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