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 相原は背筋を伸ばして、斜め前に座った香奈城に話し掛けた。

「オホン。あたし、相原小紅といいます」

「あ、どうも。僕は香奈城。浦島とは中学が一緒なんだ」

「そうなの? あの、あたしも会話に混ざっても良かですか?」

「言葉と行動の順序が逆だろ。それに仕事はどうするんだ、サボりかよ」

「ちっちっちっ。……あ、今終わった」

 にこにこと笑いながら彼女が指を差した先で、壁に掛けられた時計が正午を告げる。テレビ番組もニュースからバラエティに切り替わって、急に騒がしくなっていた。こんな時間に仕事を終わらせて、本当にいいのだろうか。

 俺の心配などどこ吹く風と、相原は笑顔を見せている。

「あ、君達の分はあと五分くらいで出来るから待っていてね。浦島くんとカナ……」

「香奈城。香奈城旬っていうんだ、こいつ」

「さっき聞きました。あだ名をつけようと悩んでいたところなの」

 名前を覚えられなかったわけじゃないらしい。口で文句を言うだけでは飽き足らず指先で俺の肩を突いてきた。彼女は距離感が近くて、いつもどうやって対応すればいいのか分からなくなる。助けを求めて香奈城に視線を送ったら、彼も変な顔になっていた。

 うん、俺の感性は正常だったようだ。

 左手一本で相原の両手突きを振り払っていたら、彼女は手を握ってきた。ついでとばかりに餡子味の飴を渡される。……美味しいのだろうか、これ。

「はい、飴ちゃんあげるね」

「ありがと。このタイミングでやることじゃないけどな」

「いいの。今日は私、もうレジにも立たないから」

 ぐっとサムズアップした相原からは、絶対に仕事をしないと、固い意志を感じた。だけど解せないことをするものだ。飴玉は会計を済ませた客に渡すオマケだし、何もこの場で握らせてこなくてもいいはずなのに。

 香奈城が面白くなさそうに頬を膨らませていたから、飴を一個わけてあげた。

 彼は相原を斜め前の席から見つめている。

「キミと浦島、どこで知り合ったの?」

「知り合うというか、浦島君が毎週食べに来るんだよ。それで、毎回めちゃ笑顔で食べてくれるから顔を覚えちゃった。お客さんの中でも特に目立つもん」

「そっか。うん、浦島の笑顔はいいものだからね……」

「ちょっと待った。俺ってご飯食べながらニヤニヤしているのか? キモくない?」

「いいじゃん。美味しいんだな、って分かるし」

「そうだよ。それにね、浦島君はニヤニヤじゃなくて、こう……」

 相原がろくろを回し始めた。いったいどんな笑みなのかは分からずじまいだったが、香奈城が腕を組んだまま無言で頷いている。週に一回しか会わない奴と、ほぼ毎日顔を突き合わせていた奴の両方から言われているのだ。本当にニヤついているのだろう。

 ちょっと頬が熱くなって顔を覆う。それでも相原に肩を叩かれてすぐに向き直ってしまうあたり、俺に隠し事やごまかしは向いていないようだ。

「ねぇねぇ。あたしも来週から高校生なんだ。ふたりはどこの学校?」

「広垣北、って前も言ったことなかったっけ」

「北はいいところだよ、ってことしか聞いてないもん。で、合格したの」

 ぐっと身を乗り出してきた相原に腕を掴まれて、つい顔を背けてしまった。

 真っ直ぐな奴と一緒だと、捻くれ者の自分が嫌になるな。

「ギリギリでな。香奈城はヨユーで合格だってよ」

「じゃあ、あたしと一緒の高校じゃん! クラスも同じになるといいね」

「お気楽だな、相原は。そんなに都合よくいかないのが人生なんだよ」

「そうかなぁ? 運命は、時に、粘着質に絡みついてくるものなんだぜ」

 自信満々にピースサインを向けてくる相原は、確かに女神の称号を貰い受けるのにちょうどいい性格の持ち主だった。楽観的で、前向きで、そして明るい奴だから。

 笑顔のままピースサインで固めた指を俺の顔へと向ける相原と格闘していたら、入店時に出迎えてくれたおばさんが現れた。苦笑を浮かべながら、娘である相原をたしなめる。

「お待ちどおさま。うちの娘がごめんね」

「いや、いいですよ。俺の方こそすいません、忙しい時間に人手を奪うようで……」

「いいのよ。どうせ小紅は働かないんだから」

「せっかく雑誌の取材とか受けてあげたのにー。お客さんも増えたでしょ?」

「はい、はい。ありがとね」

 おばさんがそれぞれに注文したものを持ってきてくれて、テーブルの上が料理で埋まる。俺達が注文したランチセットは一品料理とサラダ、から揚げとお新香に加えてラーメン半人前がついてくる。他の店舗で言えば大盛くらいの量があるが、更に無料で、選べるサイズのライスまで追加できるのだから俺が贔屓にするのも分かってほしい。特大ならどんぶり飯だぞ、頼まないはずがないだろう。

「量多くない? 僕、こんなに食べられるかなぁ」

「食べきれなかったら俺が手伝ってやるよ」

「浦島君、それは食べすぎだと思うけど……」

 たしなめられても、大食いだけはやめられない。

 相原も一緒に昼飯を食べるようだ。彼女は中華飯のセットからサラダとか、から揚げを省いた奴だった。少ないな、と横から眺める。お新香を横に置いて麻婆豆腐から食べようと手を伸ばしたら、とんとん、と相原に肩を突かれた。

「ところで浦島君、中華飯はお好きかな?」

「あんまり好きじゃない。だけど、ここのは美味しかったから好きだよ」

「そーか、そーか。それじゃ私から進呈しよう。代わりに麻婆豆腐ちょーだい」

「作ってもらえばいいのに」

「一口食べたいだけなの。ほら、あたしの中華飯をあげるから」

 相原に求められるまま、小皿へ麻婆豆腐をよそった。

 彼女へ分けたよりも沢山の中華飯が返ってきて、こちらもより多くの麻婆豆腐を盛ろうと蓮華を動かした。送り付けた分だけ中華飯になって戻ってきて、小学校の国語の授業でやった狐と狸のおかえし合戦を思い出す。

 こらえきれなくなって、相原が鈴の鳴るような笑い声をあげた。

「あはは、キリないじゃん。麻婆豆腐であたしの皿が埋まっちゃうよ」

「俺だって、相原の中華飯を三分の二は貰ったと思うけどな」

 皿から溢れる前に食べ始めたが、それでも相原は盛り付けてくる。わんこそばを中華飯でやっているような気になっていた。こいつ、自分の昼飯がなくなる心配をしていないんじゃないか?

 自由な奴だ。

 その奔放さが眩しくて、羨ましくもあった。

「うらしまー。僕にも一口くれよ」

「いいよ。あ、香奈城に教えてやるよ。ここで一番ウマイのは麻婆豆腐なんだぜ。山椒が入っていないから、いくらでも食べられて最高なんだ」

「マジ? それって麻婆豆腐って言えるの」

「ヤだなぁ香奈城くん。山椒なんか入っていたら辛くて食べられないじゃん」

「いや、でもそれが……え……?」

 青空みたいに爽やかな声で喋る相原。

 困ったように笑いながら俺達を見比べる香奈城。

 都合よくいかないのが人生だと割り切っていても、彼らと同じクラスになれたら楽しい毎日が送れるかもしれないと、淡い期待を抱くのだった。

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