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「紅って、ホンって読むのか」

「浦島ァ。そんなことも知らなかったの」

「知っていましたが? バカにすんなよな」

「はいはい、分かったよ」

「俺をバカにしたな? バカにしただろ。んだコラ」

「ふふっ。可愛いね」

 不良っぽくイキってみたら鼻で笑われて秒でへこんだ。

 香奈城に連れてこられた中華料理屋は、俺が良く知る"紅や"だった。

 夜でもはっきりと目立つ黄色の看板と、中華風に朱色で塗装された外壁。そして無秩序に飾られた電飾が派手に主張している。店構えだけなら超有名店と比較しても負けないだけの迫力があった。今日も駐車場にはバンや軽トラックが停まっていて、街の職人たちが昼休憩を兼ねて食べに来ているようだ。

「流行っているわけじゃないのかな。駐車場に空きがあるけど」

「行列が出来るほど人気だったらもっと有名だろ」

「それもそうだね。ということは美味しくないのかな」

「は? 何を食べてもウマいんだが?」

「ひょっとして、浦島は来たことあるの?」

「まぁ、一応は」

「女神様にも会ったことある?」

 素直に首肯する。

 香奈城は、ずるいぞと俺のケツを叩いてきた。

 紅やは街の中心部から、自転車で十五分ほどの場所にある中華料理店だ。創業二十年ほどと歴史はそんなに長くないが、何を食べても美味しくて、量が多い上に値段も安い。食べ盛りの少年にとっては魅力に満ちあふれた店舗だった。力仕事をする職人にも人気なのは客層を見ても良く分かる。俺は基本的に週末にしか来ないけれど、平日の方が客足も伸びる傾向にあるらしい。

 それなりには繁盛していて、駅を挟んだ街の反対側に姉妹店があるよ、と店員の女の子に聞かされたことがあった。よく話し掛けてくる、笑顔が印象的な店員さんだ。

 彼女は今日もバイトに精を出しているのだろうか。

「いらっしゃい。好きなところに座ってね」

「ッス。香奈城、あっち行こうぜ」

 出迎えてくれたおばちゃんの指示に従って、空いている席を探す。テーブル席もいいけれど、胡坐をかきながら食べられる座敷席の方が好きだった。畳敷きのスペースへと足を運ぶと、作業着のおじさん達が振り返った。もはや顔馴染みになっていて、にこやかに挨拶しながら頭を下げる。

 俺達が腰を下ろした周りにはごついおっさんばかり座っていて、香奈城はちょっと身を縮めていた。不良少年と友達の癖に、親切な街のおじさんに怯えないでほしいものだ。

 さて。

「どれにしよっかなぁ」

「ご機嫌だね、浦島」

「だって、どれを食べてもウマいんだもん」

 置かれているメニュー表はラミネート加工が取れるほど古い。これも味のひとつなのだが、初見の素人にはみすぼらしく思えるのだろう。食ってみれば分かる。この店の飯は他のどの店よりも旨いのだ。

 パラパラとページをめくって、食べたいものを探した。

 ランチタイムにはお得な日替わりランチを頼むのがベストだが、お気に入りの定食メニューも捨てがたい。回鍋肉、天津飯、油淋鶏。レバニラやエビチリ、青椒肉絲。好みの味こそあれど、何を食べても最高の一言だ。いつ来ても迷ってしまう。一分悩んでも決められないときは、いつも同じ奴を頼むことにしていた。

「僕はニラとホルモンの炒め物。浦島は?」

「……俺は、まぁいつものでいいか」

「いつものって? オススメとかある感じかな」

「あるぞ。俺のイチオシは、」

「お待たせしました!」

 一年間通い続けて見つけ出した最高のメニューを説明しようとしたら、顔の横からぬっと細い手が伸びてきた。心臓がきゅっと縮まって、息も一瞬止まった。宇宙人でも、驚くことはあるのだ。

 唐突に現れた手はなぜか三つもコップを持っていた。それをテーブルに置いて、そのまま俺の肩に手を乗せてくる。ぐにぐにと凝ってもいない肩を揉みほぐされて変な声が出た。この迷惑な腕の持ち主は容易に想像がつく。

 文句を言うために振り返ると、バランスを崩したのか、彼女が俺に肘鉄をかましてきた。

「うわっ、ごめん! 本当に今の、わざとじゃないんだよ」

「……いいけど、急に割り込んでくるなよ。びっくりするだろ」

「うん。ごめんね。気を付けるよ」

 彼女がぺこぺこと頭を下げるたび、後ろで結んだ長い髪がぴょこぴょこと跳ねる。あと、ちょっといい匂いがした。彼女から顔を逸らして香奈城に向き直ると、彼は件の店員をまじまじと眺めている。

 先手を取ったのは、紅やの名物店員だ。

「初めまして。浦島君のお友達かな? 珍しいね」

「いいだろ、たまにはこういう日があっても」

「ん。仲良きことは善きことかな」

「説教クセー言い方。相原、芝居っぽい喋り好きだよな」

「浦島君だってチンピラっぽく喋ること多いじゃん」

「ンだコラ。ケンカならケガしない範囲で買うぞ」

 んべっ、と彼女が舌を出してからかってくる。

 彼女は相原小紅。香奈城が言っていた美人店員、だと思う。

 うん、そうだな。言われてみれば確かに、彼女は息をのむほどの美人だったかもしれない。変なことばかりしてくるけど。そのせいで魅力もクソもあったもんじゃないけど。

 香奈城は唐突に登場した相原に面食らっているのか、まだ動けないでいた。俺と彼女のやり取りは常連さんにとっては馴染みのものになりつつあるようで、周りに座っていたおじさん達はニヤついていた。

 しゅばっ、と声に出しながら彼女が伝票を取り出す。

「へい、お待たせしました! ご注文をうかがいます!」

「……あ、僕はニラとホルモンの定食を。ライスなしで」

「はーい。浦島君は? いつものでいいかな」

「おう。ライス特大。ラーメンは台湾豚骨に変更で」

「おっけー。それじゃあ、しばし待たれよ!」

 ペタペタとサンダルを鳴らしながら去っていく後姿を眺めていたら、彼女のポニーテールが目に留まった。初めて出会った頃よりも長くなっているようだ。肩にかかる程度だった髪は今や肩甲骨の終わりまで伸ばされている。ショートカットの方が可愛いのに、と彼女のオシャレを真っ向から否定してみる。特に意味はない。ポニーテールの方がより綺麗に見えると母親が言っていたのを思い出したから、逆張りしたくなっただけだ。

「香奈城。ホンヤの女神って相原――あの子で間違いないんだよな」

「今の子だよ。雑誌よりも、その、元気だったね。インタビュー記事を読んだ限りだと落ち着いた子ってイメージだったけど。知的美人……なのかな?」

「いやー、雰囲気は実際に会うまで分かんねぇからな」

「うーん、まぁ、そうかも。ねぇ浦島。あの店員さんは誰にでもあんな感じなの? 浦島とは仲良しだから、特別って感じ?」

「いや、どうだろう。相原に詳しいわけじゃないし」

 他のお客さん相手にはちゃんと真面目な接客をしているのだけど、相手が俺のときだけあんな感じになるのだ。初対面の時は、絶対にこんなんじゃなかったのに。よく見掛ける灰色の作業着を着たおじさん集団に、なぜ彼女が俺にだけ態度を変えているのか聞いてみたことがある。そのときは冗談ではぐらかされたけれど、彼らは何かを知っているようだった。八人が掛けたテーブルで六人までが笑っていたから、悪いことではないんだろうけど。

 うーん、なぜだろう。謎だ。

 それにしても、来週からもう高校生だなんてな。

「学校かぁ」

 料理を待つ時間は退屈で、壁に掛けられたテレビを見ていた。新学期に必要なものとして様々な雑貨が紹介されている。基本的には便利アイテムの類で、なくても学校生活に不便のないものばかりだった。

 定規にもなる消しゴムとか、いったい誰が使うんだ。

「高校、友達が増えたらいいね」

「だよなー。せめて、喧嘩とかをしなくてもいい生活がしたい……」

「ウチの中学、治安が悪かったからねぇ。進学校ならそんなことないでしょ」

 だといいけど、と相槌を打つ。四月から通うことになる高校に求めるものを香奈城と言い合っていたら、ぬっという擬音を自分で口に出しながら、ホンヤの女神が俺達の会話に割り込んできた。

「ねぇ、浦島君は高校生じゃなかったの。あたし、ずっと勘違いしていた系?」

「勘違いも何も、年齢とか聞かれたことないじゃん」

「うわ。聞かれなかったから、で隠し事するタイプかよー。ショックぅ」

「浮気男みたいな扱いやめてくれる?」

「あたし、浮気には厳しくいくタイプだから。あ、ちょっと邪魔するね」

 相原はずりずりと擬音を口にしながら二人用の席を横に動かす。俺達が座っていた席と合体させて、四人掛けにしてしまった。家族連れが来た時に四人掛けを六人掛けにしていたのは見たことあるし、このお店では意外とよくあることなんだけど。

 彼女は俺の横の席に座ったまま動かない。気が付けば働くときに着けているエプロンも何処かへとやってしまっていた。店の真ん中で堂々と休憩をするなんて胆力が強すぎる。

「どうしたの、急に」

「へへっ。あたしにいい考えがある」

「やめとけ香奈城。まともに聞こうとするな。九割冗談だから」

「えー、ひどい。あたしのこと嫌い?」

 ぐいっと身を乗り出して、彼女は俺の顔を覗き込んでくる。

 俺も見つめ返して、その瞳を覗き込む。

「そんなわけねぇだろ」

「じゃ、大丈夫だね」

 はにかむ彼女が何を考えているか。

 俺にしては珍しく、ぼんやりと理解できるのだった。

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