第188話 王都からの帰還

 自分の結婚式の後もすぐには帰れない。

 パトリシアやローラの友人達の結婚式にローラとともに出席するから。


 そして4月28日、やっと僕とローラはスウォンジーへの帰途についた。


 なお新婚旅行という習慣はフェリーデこのくににはない。

 旅行がもう少し一般的になれば作ってみてもいいけれど。

 だから僕とローラもスウォンジーへ直帰だ。


 ウィリアム兄夫妻はパトリシアの結婚翌日の24日に帰った。

 父はまだまだ行事があるので王都バンドンに残っている。

 まあ父については例年通りだけれども。


 今回の帰りはダラムまでは王都屋敷のゴーレム車。

 ダラムからは領都特急3号ガナーヴィン、スウォンジー北門、エーロング行。

 停車駅はネイアン、ビンシントン、ヤラハス、ビーシーツ、アベルタ、ガナーヴィン。

 ビーシーツまでエーロング行を併結していて、アベルタまでスウォンジー北門行を併結している。


 ダラム駅で後ろから3両目、スウォンジー北門駅行車両に乗車。

 車内は席の八割くらいが埋まっている状態だ。


「自分で運転するならともかく、人の運転するゴーレム車に1泊2日も乗るのは退屈ですし疲れます。こうやって鉄道で帰ることが出来るのは楽でいいです。

 ゴーレム車より広くて快適ですし」


 ローラの言葉を聞いて思い出す。

 そう言えば王都バンドンまで、スウォンジーやガナーヴィンからだと1泊2日かかっていた。

 つい1ヶ月前までそれが当たり前だったのだと。


 既にスウォンジーからダラムまで2往復しているからだろう。

 僕の中では当たり前のような感覚になってしまっていた。

 考えてみれば昨年秋の講演会の時だって片道1泊2日だったのだ。

 あ、でもあの時は確か……


「確かにそうだな。ただダラムから王都バンドンまでの道が混むようになったかもしれない」


 そう、あの時は第六街道をスムーズに走れたと記憶している。

 しかし今日ダラムまで行く道は、いや来る時のダラムから王都バンドンまでの道もかなり混んでいた記憶がある。


 ダラムから王都バンドンまでは第二街道。

 同じ道ではないから比べられないかもしれないけれど。


「それはあると思います。以前のガナーヴィンのようになったら大変です。けれど鉄道どころか道路を広くするのも大変でしょうね。直轄領は代官ごと決裁ですから。


 線路が通っていれば王都バンドンからダラムまでの時間でガナーヴィンまで行く事が出来そうですね」


 確かにそうだと僕も思う。

 何せ今日、シックルード家の王都屋敷からダラム駅まで2時間ちょっとかかってしまった。

 勿論時間的な余裕をみたというのもあるけれど。


 どれどれ、それではちょっと計算をしてみるとするか。

 王都バンドンまで鉄道が出来た際、どれくらいの時間がかかるかを。


 今回乗った領都特急3号、領都特急としては停車駅が多いし、途中で2回も分割するからそれほど速くない。

 ダラム~スウォンジー北門間は1時間と5半4時間48分で、表定速度は時速42離84km/h

 

 同じ領都特急でもアオカエン・ノマルク行には速達タイプがあり、ガナーヴィンまでノンストップ。

 領都特急1号のダラム~ガナーヴィン間は1時間と30半19時間38分

 表定速度は時速50離100km/hを超える。


 そして秋の講演会ではダラム~王都バンドン間を13離26kmと計算していた。

 時速4590kmで走れるとして、60半17時間17分か。


王都バンドンからガナーヴィンまで、最速の列車だと2時間を切れるかな。

 ただスウォンジー北門駅までの領都特急は停車駅が多いから、2時間をちょっとだけ超えそうだ。

 まあ単純計算でだけれどさ」


 距離的にはスウォンジーの方が王都バンドンに近い。

 しかしスウォンジー直通列車の速度が遅いので余分に時間がかかってしまう。

 だから最速の列車で比べるとこうなってしまう訳だ。


 そんな話の他には、駅弁を食べたりなんて事もした。

 途中、車内販売がやってきたので買ってみたのだ。


 購入したのは『ダーリントン領名物弁当』という弁当。

 黒豚、鰹そっくりな魚を甘辛く煮たもの、キギラフというさつま揚げみたいなものと、具のない押し寿司のような御飯という内容だ。


 このキギラフという食べ物は実は初めて。

 食べてみるとなかなか美味しい。

 さっぱりしていて、それでいてしっかり旨みがある。

 

「美味しいな、これ。肉よりさっぱりしていて」


「でもこの黒豚のステーキも美味しいです。私達よりお兄様達向きな気がしますけれど」


 確かにウィリアム兄やジェームス氏が好きそうだな。

 なんて事をしたり車窓を楽しんだりしていると2時間足らずの列車旅はあっという間。

 あっさりスウォンジー北門駅へ到着し、マルキス君操縦のゴーレム車で家へと向かう。


「さて、帰ったらニーナさんやブルーベルに頼まれた件の話をしておこうか」


「そうですね」


 パトリシアとゲオルグ氏に頼まれたのだ。

 1人寄こすから是非うちの料理を学ばせて欲しいと。

 なお上手く出来るようになったら、売れそうなメニューを選んで料理店を出したいそうだ。

 

『正直今の役所の環境で最後まで勤め上げる自信は無いんですよ。酷い環境ですから。


 貴族は出来る人ほどさっさと見切りをつけて辞めていって、残っているのは馬鹿か、嫡子に跡継ぎがいないから仕方なく残っているかです』


 以上、ゲオルグ氏の言い分だ。

 なおパトリシアはブルーベルの事は以前から知っている。

 割と人見知りをする事もだ。


 それでも一応ブルーベルのストレスの元にならないような人を選んでくれと念を押しておいた。

 だからまあ、多分大丈夫だろう。


 ところで『嫡子に跡継ぎがいないから仕方なく残っている』というのはフェリーデこのくにの貴族家独特の風習というか習慣によるものだ。


 貴族家の長子は通常、跡継ぎとして学校卒業後、領主代行として領地の事を学びながら経験を積み、やがて領主となる。

 しかし万が一、その領主代行や領主になった長子が、自分の子供がいないまま事故や急死で亡くなった場合。

 当たり前だが次子が後を継ぐ事になる訳だ。


 ただ次子が領内の仕事や一般商会に勤めていたりした場合、貴族としての領地運営の経験が無いまま代行あるいは領主をやる事になる。

 それはまずいという事で、次子は王都バンドンにある国の役所で上級役人として行政経験を積みつつ、貴族としての経験も積む。

 つまりフェリーデこのくにの貴族では次子は国の上級役人に就職するのが一般的なのだ。


 しかしそれなら最初から自分の領地で領主代行を補佐すればいいだろうという意見があるかもしれない。

 実はフェリーデこのくにでも建国当初はそういった形で次子が補佐している事が多かった。


 しかしその結果、いざ領主が亡くなった場合、嫡子と次子が領主の地位を争って家が割れるなんて事案が多発。

 結果として『次子は家の外で、かつ行政と貴族の経験を積む』為に国の上級役人となるのが常識となった訳だ。


 ただ国の役所、職場としては問題が多いらしい。

 シックルード家うちの次男であるヘンリー兄も結婚式前に雑談で話していた。

『もうそろそろ限界。ウィリアム兄に子が出来たらこんな仕事はすぐやめるのだけれどさ』と。


 そうしたら僕も鉄鉱山と森林公社をヘンリー兄に投げられるだろう。

 ただ結婚して10年以上経つのに、未だにウィリアム兄夫婦に子供はいない。


 結果、ヘンリー兄も未だにお役所勤め。

 そして僕も北部大洋鉄道商会と2公社を兼務したままという訳だ。


 でも僕の方はジェフリーが更正したら任せられるかもしれない。

 1年近い教育の結果、最近は大分まともになったと聞いているから。

 まだまだ勉強で覚える事が山ほどあるらしいけれど。

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