第7話

 水晶の中に煌めいた光。

 それは病室を照らす明かりだ。

 ルイに見えるのは、綾音が眠るベッドと近づいていく塔矢の姿。ルイは何度見てきただろう、彼が彼女に語りかける光景を。ノートを開くでもなく、彼女の様子を観察するでもなく、ただ語りかける。


「起きろよ、綾音」と。








 漆黒の空に月が見える。

 その光がいつもより眩しいのは何故だろう。

 暑さも寒さも感じられない体。

 だが景色が変わっていくことで、季節の巡りを知ることが出来る。風に舞う花びらが綾音のひざの上に落ちた。


「……桜」


 綾音が思いだすのは小学校の入学式の朝。

 桜並木の下、塔矢と肩を並べて写した写真。あの時、塔矢より少し高かった背はすぐに追い抜かれた。

 大人になった塔矢はどんなふうに笑っているだろう。

 ベンチに捕われていなければ会いに行けるのに。

 花びらが舞い、綾音にひとつの幻を見せた。

 遠のいたクリスマスイヴの日、綾音の頬に触れ砂になった白い羽根。


「……ろよ」

「え?」


 声が響いた。

 懐かしくも大人びた声が。


「起きろよ、綾音」


 ——起きるって、どうやって? 私は死んで……幽霊になったのに。


『違うよ』


 頭の中に響いたもの。

 聞き覚えがある子供の声だ。


『あの日、君の意識を公園ここに連れて来たのはボクなんだ。兄が変えようとした運命に抗うため。君を死なせないために』


 ——死なせない? 私……生きてるの?


 意識が途切れる前、綾音が聞いた声と体を締めつけた力。天使、悪魔、死神……何者かはわからないが、あの存在は明確な意志で綾音を殺そうとした。そして今、綾音に語りかける声は言った。


 死なせないと。


『ボクは思ったんだ。目を覚ました君を、神様と兄さんは殺そうとはしないだろうと。だって死にかけた君を見た人達は知ったんだから。幸せの裏にある悲しみや嘆きを。だけど願いが生みだした執着は、あるものに形を変え君を閉じ込めてしまった。なんだかわかる? 君が座っているベンチだ』


 塔矢と来た時にはなかったベンチ。

 それが自分を捕らえて離さない。そうさせていたのは強い想い。死んでしまったのだと、幽霊になったのだと思い込んで……ずっとここに。


『君の存在は、幽霊の噂になって彼に届いている。だけど彼は違う形で君を救おうとした。聞こえるでしょ? 彼の声が』


 ——声? 塔矢の……声。


 心を静ませ耳を傾ける。


『……ろよ』


 ——聞こえる。

 温かな……塔矢の声が。



「起きろよ、綾音」









 真っ白な天井と明かりの眩しさに目を細める。

 自分のものとは思えない呼吸いきの音と消毒液の匂い。


「やっと起きたか。……遅いんだよ」


 白衣を纏う青年、その目に宿るのは綾音が知る親しげな光。





 ***





 ———数日後———





 眩しい陽射しの下。

 病室を出て敷地内を歩くのは、若い医師と車椅子に乗せられた女性ひと


「驚いたな、塔矢が医者になってたなんて」

「だろ? そうさせたのは綾音だけどな。将来の夢、いっぱいあったのに」

「どうして医者になろうと思ったの? 想像つかないな、塔矢は大の勉強嫌いなのに」

「馬鹿かお前、約束のために決まってるだろ」


 ぶっきらぼうな塔矢の声が綾音の心を温める。

 過去の約束を叶えるため、綾音を助けるために塔矢は医者の道を選んだ。


「話……聞いてくれるの?」

「長いつきあいだからな。なんだって聞いてやるよ」


 空を見上げ塔矢は微笑む。

 風に舞う花びらと、何処からか響く鳥の囀り。


 綾音が持つ2冊のノート。

 読み終えたら塔矢に返さなければならない。だがそれはずっと先のことだ。ノートを読むより話すことがいくらでもあるのだから。


「楽しみだな、クリスマスイヴ」

「まだ先のことだろ? それよりこれ」


 塔矢に渡された小さなビニール袋。

 真っ白な砂に見覚えがある。塔矢と公園に行ったあの日、綾音の頬に触れ手の上で砂になった白い羽根。


「風に乗せて旅をさせてやろう。誰かの幸せに繋がる光になると信じて」


 塔矢に言われるまま破いたビニール袋。

 風に舞う砂がキラキラと光輝いた。

 

「レナ‼︎ 彼は言ってくれたよ、ボクの羽根が誰かの幸せに繋がるって」


 声を弾ませたルイのそばでレナは微笑む。

 水晶の中に見えるふたりを、やがては照らすワインカラーの夕陽。

 それは長い時の果て、消えゆく命を照らす温かな光。



 幸せを輝かせ、喜びを弾かせながら。

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ワインカラーのラストロマンティック 月野璃子 @myu2568

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