新井さん、しまらない。
俺は勝手に借りた阿久津さんグラブを外しながらベンチに座り、ゴキュゴキュとスポーツドリンクを飲み干した。
「いやー、このメンツでもなんとかいけそうだな!」
そんな風にサードを守れるというだけでテンションが上がっているだけの楽観的な俺を見て、今日はショートの浜出君が苦笑う。
「まだシートノック終わっただけじゃないっすか」
「まあそうだけど。俺のサードもなかなかのもんだろ?」
「あれは岩田コーチが捕りやすいボール打ってくれたからじゃないですか」
「うるさいんだよ、いがぐり頭め。バット振っとけ」
「新井さんも一緒にやりましょうよ」
「待って。ちょっと手を洗ってきますわ」
俺は浜出君にそう言ってベンチ裏の水道に向かっていったのだが、その途中。
バックネット裏に当たるところで、うちのおっきいお腹おじさんと、ハードバンクスの監督さんと5人の審判おじさんが何やら協議している様子だった。
「一応、プロ野球の規定ですと、不慮の事故や事件などによって、試合を行うに十分な人員や準備が叶わない場合、両チームの了解とプロ野球連盟の許可があれば、試合を延期することが出来ます」
そう話すのは、今日は2塁審判を務める責任審判のおじさん。何やら黒い革のカバーに入ったルールブック的なものを広げながら、佐鳥コーチとバンクスの監督さんに説明をしていた。
「一応、交流戦の最後に予備日がありますし、今日は中止でもやむを得ないでしょう」
「そうですね。ビクトリーズさんはスタメンのほとんどがいないわけですし、選手達に何かあってからでは遅いですから………」
「それでは両チーム合意ということで。すぐに球場内にアナウンスして………」
などと、集まったおじさん達が今日は帰ろう帰ろうと店じまいをしようとしていたので、俺は慌ててその中に加わっていった。
「ちょっと、ちょっと! 中止ってどういうことですか! もう試合の準備は終わってるんですよ」
ずかずかとやってきた俺に、責任審判おじさんは少しうんざりした顔をした。
「新井くん、そうは言ってもね………これは仕方ないんだよ」
「何が仕方ないんですか! うちはまだ14人も選手が残っているんですから、十分試合は出来ますよ」
「君がそう言ってもねえ………」
「ハードバンクスの監督さん! どうもはじめまして! 監督さんだって、こんな形の中止は本意ではないでしょう」
俺がそう訊ねると、あれ、こっちにも聞いてくるのと少し参ったような顔をして、帽子を外した。
「スタンドを見ましたか。熊本の野球ファンがたくさん集まっていましたよ。今日しか野球を見に来られない人もいるんですから、試合をやり遂げましょう。俺達はみんな野球のプロなんですから」
それが俺の今言える全て。
決め台詞だった。
そんな中、うちの佐鳥コーチはゆっくりと視線を下に落とす。
「野球のプロなら、まずはズボンのチャックを閉めろ。話はそれからだ」
「「ギャハハハハ!」」
おじさん達にめっちゃ笑われた。
「大変お待たせ致しました! 只今より、斑鳩自動車、プロ野球東西交流戦。福岡ハードバンクス対北関東ビクトリーズの試合を行います。まずは守備に就きます、ハードバンクスの選手をご紹介致します」
ウグイス嬢のご紹介で、ハードバンクスの選手が守備位置に散っていく。
もう最近はさ、ネットで色んな情報がすぐ手に入りますから、ビクトリーズナインに集団食中毒が起きて試合開催が危ぶまれたなんてニュースがすぐトレンドのトップに躍り出たと、宮森ちゃんが騒いでいた。
ネットの野球チャンネルでは、ビクトリーズファンの人間が緊急召集のスレッドが立ち、ハードバンクスファンとの争いやビクトリーズが宿泊したホテルが特定され始めたりしている。
「さあ、間もなく試合開始ですが、ご覧のようにビクトリーズのスタメンが昨日までとは全く違うものになっています。放送席にはまだ詳細が伝わってきていない状態なんですが、ビクトリーズ側に何かアクシデントがあったと………。ちょっと心配ではあるんですが………解説の牧野さん」
「そうですね。心配ですよね。もしかしたら試合をするのは無理なんじゃないかと話を聞いたのですが、ビクトリーズ側がやりましょうと、言ってきたという話でしたんでね。ちょっと今日はどうなるのか分かりませんよね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます