第弐拾伍話 鈴鹿の草子と宇治の院

 此度こたび語りやすは、現世うつしよ浮世うきよのモノガタリ。

 此の世は地獄と云いやすが、其処に救いは在るのかどうか——。



『此の世にも 奈良坂の金飛礫かねつぶて、鈴鹿山の立烏帽子と申すもの侍りけり』


 是れは平康頼たいらのやすよりの著書、宝物集にございやす一節でさァ。

 鈴鹿山には立烏帽子あり。はてさて、此の立烏帽子とは一体何者だったのでございましょうか。


 華やか誉れの鬼退治、然し裏を返せばなんとやら。




 べべん、とひとつ琵琶の音。


 伊勢国と近江国の境にまたがる鈴鹿山脈、大小様々な山が連なり、古くは著名な関所も置かれていた場所である。

 また平安の世には、此処を根城とした鬼や盗賊の被害に、朝廷も周辺諸国の人々も困り果てたと云ふ噺も残っている。


「今となっては昔のことか、争いの痕も、同じくして。栄華破れて山河は在りし、城は廃れど四季巡り、荒れ野はやがて草木深しと云いまさァ」


 その鈴鹿峠をひとり歩むは白き様相の坊主。山歩きには似合わぬ軽装、顔は白布でぐるぐると覆い、手入れの行き届いた琵琶を担ぎ、また其の背には古びた葛籠をひとつ背負っている。

 其の足が、ふと。峠の片隅にある道祖神の手前で止まる。


「剣をいつぞやお返ししようと思うておりましたのに、いやはや数百年経っても見つかりませんでェ。黄泉路で貴方の手元に戻っておれば良いのですが」


 とくとく……と、其の白き手が神酒を注ぎ、供えた。


「山で呪いとなるならば、か。一体、人ならざるもの達にとっては、何が正しきことなのでしょう」

「ま、どこぞの皇太子の成れの果て、より潔いンでねェのかぃ? ま、おめぇに譲った時点で、戻らねェ腹積もりだったのかもしれねーしよゥ」


 数拍、手を合わせて静まる坊主。顔を上げては峠を再び進みゆく。


「なんでぃ、おめぇも成仏したくなったンかよゥ」


 けたけたけた、と葛籠が嗤う。

 山は静まりふたりを窺っておった。


「さぁて、如何でしょうねェ」


 鈴鹿の山には其の昔、鬼が棲み着いておったそうな。


 いつの世か、鬼の跡形すらなくなった其の峠。

 またいつの頃からか道祖神が置かれ、手入れのされた琵琶だけが、其処でまるで持ち主を待つかのやうに、静かに供えられておったそうな。


 俗世を渡りし葛籠の鬼と、不死の鬼が、此の地に幾度も幾度も参ったと云ふ噺は——此の山に潜む人ならざるものたちしか知らぬと云ふ。




***



 今は昔、田村丸が鈴鹿山への討伐の命を受け旅立った刻のことにございやす。

 此処、鈴鹿峠には姿の見えぬ立烏帽子と呼ばれる者が時折現れ、人を攫い、朝廷への貢物を奪っておったそうな。

 はて、田村丸は立烏帽子を探し続けやしたが、一向に其の足取りひとつ掴めやしやせん。とうとう「此の宣旨を賜わった身、例え屍となろうとも、討てぬとしても……姿も見ずに帰れるものか」とひとり山に残ったそうにございやす。

 ある刻、禊をし祈りを手向けておった田村丸の目の前に、見ず知らずの景色が突然現れた。祈念のしるしやらんと、草木を分けて進みいれば、其処には池があり五色の波が立ち、水際には蓮の花が咲き乱れ、東西南北には其々四季が視えると云った有様で。ええ、まるで極楽浄土のようであったと云いやす。


 さぁ其の先の館に踏み入れば、其処にはまこと美しい女がひとり、佇んでおったそうにございやす。

 声をかけれどすっと彼女の姿は消えるばかり。はっと田村丸は「是れが立烏帽子の正体なのかもしれぬ」と思いやした。ようやっと姿を現した女は鎧を身につけており、田村丸はえいやっと己の剣を投げやったのでございやす。

 すると如何したことか、女も剣を抜いて投げ返すのでさァ。幾度となく、ふたりは剣の応酬を交わし、とうとう是れは討ち取れぬと田村丸は覚悟を決めたそうな。


「殿は男なれども、剣ひとつ。妾は女人なれども剣をみっつ下げておりまする。もうお分かりでしょう? 妾は決して討たれませぬ」


 然し、田村丸には迷いがありやした。前世でどんな因果があってか、己は此のやうな美しい女人を斬らねばならぬのかと。

 すると女は怪しく微笑み、こう云ったそうにございやす。


「其のやうなことを考えてらしたのですね。三千世界を見るに、よもや妾たちは出逢い、契りを交わす運命だったのではないでしょうか」


 田村丸は此ののち、剣を交えた立烏帽子と認め合い夫婦めおととなり——三年ののちに都へと戻り、今度は大獄丸の討伐へと向かったのでございやす。


 ええ、お判りでしょう? 鈴鹿御前とは——鈴鹿の山に棲まうもうひとりの鬼、立烏帽子だったんでさァ。

 田村丸は、知らなかったのでございやすよゥ。

 夫婦となる以前、鈴鹿山へと天降あまくだったとされる立烏帽子は。日本の国土を我がものとしようと、大獄丸へと文を幾度か届けたそうにございやす。

 大獄丸は「国の者が総出で掛かっても敵わぬ」とも「五年あらば此の国から人を絶やせる力を持つ」とも評されておった鬼にございやす。然し乍ら、そう。彼は国と云ふものに別段、興味もなかったのでございやす。ただ、彼女の美しさに「妻にならぬか」と返したところ……立烏帽子は次なる策を打ってでたんでさァ。

 其れが、田村丸と夫婦になり大獄丸を討伐すると云ふもの……。


 ええ、そうでさァ。立烏帽子の目論見は、朝廷権力を奪うこと。ひいては国を意のままに操ろうとしておったのですよゥ。

 大獄丸の首を持ち帰れば、自ずと田村丸の妻として都にも入れましょう。其れを狙っておったのでございやす。

 惑わされたのは大獄丸ではなく、田村丸の方だったんでさァ。


 おやおや……勘の鋭い方はお気づきになったでしょうか。


 そう、此の鈴鹿山の鬼退治、鈴鹿の草子の立役者ともされた美しき女。

 鈴鹿御前、いや、立烏帽子。

 其の正体は、名を変える前の那須野の狐——。

 のちの世をすら騒がすことになる、玉藻前、だったのでございます。




***




「ンあァ? 己の首を処分してこいたァ、おめぇ一体如何云ふつもりでぃ? 第一、百年以上も昔に討伐されたってェ鬼が、なんで同じ鈴鹿山にいやがる」


 はて、平安の世も末のこと。

 鈴鹿の山へと登りし小童は、大嶽丸の意思を持つ鬼と対峙しやす。

 然し、そう。葛籠の云ふ通り、言い伝えの通りであれば大獄丸は数百年前に討伐されており、其の首級は宇治の院へと納められておるはず。


 白い肌、白い髪に紅き瞳の小童。

 一方、対峙する者は青白い肌に黒色の髪、其の頭頂にはまごうこと無き鬼の証、二本の立派な角が生えておりやした。

 ふぅん、と其の蒼き——四つの眼がじろじろと眺め回しやす。


「其処の……箱か? 厭に変な氣を発していやがるが、お前も何かのあやかしのものか?」

「箱じゃねぇ、俺っちは葛籠だばかやろう」

「……いや、そうではなくて」

「此の者は元は地獄の鬼、わたしの恩人じゃ。今はやむをえぬ理由で魂を葛籠に移し、俗世を歩んでおる」

「鬼ぃ? なんだ、鬼は鬼でも地獄の鬼ってのは勝手が違うのか?」


 如何云ふ意味でぃ? そう問う葛籠に、鬼は其の腰に下げた剣を、鞘ごとずいと向けやした。


「鬼は、強ければ強いほど、其の肉塊は封じられでもせぬ限りは生きておるもの。歳月をかけ月光を浴びれば、其の切れ端が再生し別の鬼として存在することも可能だ。まあ重ねて云ふが、強い奴だけだがな。地獄の鬼はそうではないのか?」

「知らねーよ、使いもんにならなくなったら打ち棄て処分、それが地獄の決まりごとだからな」

「き、切れ端……」


 ええ、宇治橋にて茨木童子より小童へと投げつけられた「切れ端」の意味、つまりはそう云ふことだったんでさァ。

 大江山も、ましてや其れより数十年も前の鈴鹿山、鬼の首こそ封印せども身体の方は打ち棄てられておったはずでしょう。つまりは道中、小童がようあやかしどもに狙われておったのも、酒呑童子の肉塊に同じと思われておったからでありやした。


「嗚呼、切れ端だけでも喰えばぐんと強くなるはず。其の元の鬼が強ければ強いほど……ってなんだ、そんなことも知らないのか。鬼は強くなるためならば共喰いも辞さん。茨木童子こそそうだろう、聞いてないのか? 奴は生き残るために多くの兄弟たちと殺し合いをさせられた上、唯一生き残った実子のはずだ」


 淡々と語る鬼——大獄丸の言葉に小童は絶句しやす。


「ンじゃぁなんでぃ、おめぇは其の、大嶽丸の肉塊から再生した鬼ってことかァ?」


 否、と大嶽丸は其の四つの眼を閉じて頭を振りやした。

 彼の声とは別に、「おい莫迦、今更なんでぃしっかりしろやい」と云ふ声と、ぱしんと云ふ音が小さく響きやす。


「俺は別に、此処に棲んでた大嶽丸の切れ端ってわけじゃない。寧ろ大嶽丸そのもの……には違うまい。誰の入れ知恵か知らんが、顕明連を貸せとはそう云ふことだろう?」

「……?」


 するり、と大嶽丸が剣を鞘から引き抜き。かちっと陽の光にかざしたかと思えば、其の刃で大きく半月の形を描きやした。

 すると如何でしょう。其の刃筋の空間に、黒い夜が見え、何処ぞで鴉が鳴いておりやす。瞬きの間に、其の景色は移り変わり、雪国も砂漠も、極楽浄土も、黄泉路の暗きも見透せるかのやうでありました。


「天竺に預けておった顕明連、此奴のおかげで分断された御魂と共に俺は此の世に舞い戻ってきたのさ。つまり……宇治の院に在る俺の首級は、俺であって、此の俺ではない。元は同じ魂だが、完全に切り離された別の大獄丸だ、首が今何を考えてるのかすら、俺にはわからん」


 それになぁ、と。そう大嶽丸は呟きやす。


「憎い憎いと仇討ちばかりを考えて、俗世に戻ってきたものの。俺はもとより国なぞ望まん、力も魂の分断と黄泉がえりで半分以下に落ちたしな。そして女も面倒だ、できれば今後あまり関わりたくない……」

「なんと……」

「あー、心中お察ししてやるぜぃ」


 如何も大獄丸は、今の見た目である齢十七前後のやうな、澱みの少なき魂で黄泉から戻ってきてしまったそうで。宇治に封じられた首に在るのが己の邪の面であれば、きっと碌でもないことしか考えてはおらぬ、いっそ貴族の権力誇示の飾りとなるよりは、滅してしまう方が良いと考えておったんでさァ。


「だが俺は腐っても鬼だ、宇治の院には近づけもしねぇ」


 もし封じられたあやかしどもの残党や、其の肉塊が首を求めて入ってこれぬやう、あの場所には人の身と法力無くして出入りの出来ぬ結界が貼ってある、と大嶽丸は云いやす。


「そして顕明連は鬼切、妖切の剣だ。ヒトの……ただの剣では鬼もあやかしも斬れん。立烏帽子も己が斬られぬやうにと、他のふた振りを奪ったのだろうなと思うと、今更ながら其の策略に乗っちまったのが口惜しいもんだな」


 ほらよ、と鞘に収めた顕明連を大嶽丸は差し出す。


「刀を振るえそうななりには見えんが、此奴を使ってお前は何をしたい?」


 一瞬、戸惑いつつも小童は其の剣を両の手で受け取りやした。


「酒呑童子を……討ちとうございまする」

「へぇ、大きく出るな」


 小童が俯くやうに頷いたのを、大嶽丸は薄く嗤って見つめておりやす。


「わたしの知らぬところで、多くのものが彼の鬼に苦しめられた。わたしは……親より先に逝った罪として浄土へ渡れず、此の世へと堕ちた者。であれば答えはひとつ、我が実の父を討たねばならぬ」

「ほぉ、茨木の縁者と云ってたが、つまりはそう云ふことか」


 上の一対の眼が納得したやうに細められ、下の一対は驚いたかのやうに見開きながら大嶽丸は少々楽しげに語りやす。


「其の腹づもりってなら、其の顕明連、貸し与えよう。約束は忘れてくれるなよ」

「無論、此の剣はお返しに参りまする」

「嗚呼、そうではなく……と云ふか、剣を渡した時点で俺で試し斬りをしようともせんとは。お前は本当にあの外道の権化とも謂われる酒呑童子の仔か?」


 小童も、其の言葉に紅き眼を少々細め、「そうらしい」と困ったやうに小さく頷きやした。実のところ、逢ったこともない父親を如何と受け止めれば良いのか、小童には未だわかっておりやせんで。


「別にお前が此処へ戻って来ずとも、だ。全て世の流れ、定めかと俺は気にせぬよ。其の刻は其の刻だしな……」


 では約束の証に……と、大嶽丸は宙よりふたつの大きな盃を取り出しやした。

 中に注がれておったのは血のやうに赤い酒のやうなものにございやす。


「別に、餓鬼のなりでもひと口くらいいけんだろ? 飲んでけ」


 先にぐびっと飲み干し、毒はねぇと嗤う大嶽丸に続くやうに赤い液体を口にすれば、奇妙な味と共にまるで喉や腹の内が焼けるやうな感覚が通り抜けやしたが、約束の証ならば……と小童は其れを全て飲み干したんでさァ。


「ぶっっ……な、んじゃ。これは、喉が焼けそうじゃ」

「かかかっ、酒呑童子の餓鬼のくせに酒は苦手か! こりゃいい」


 予想外の強い味に小童は胸を押さえ、ごほごほと咳き込んでおりやした。


「其処の箱にも一滴やろう」

「ンだからよぅ、俺っちは……んが、あっうめぇなこれ」


 かかかっ、と機嫌よく嗤い大嶽丸はいつの間にやら手にしておった徳利より、葛籠の蓋を開け、数滴其れを零したそうな。


「もうひとつ。約束の証として其の琵琶を代わりに置いてゆけ」

「琵琶……にござりまするか」

「かかかっ、なに剣を返しに来た時に必ずや返そう。見たところ其れもお前の大切なもののやうだ、壊したりはせん。本来なら剣に見合う……其の葛籠・・を置いてけと云いたいところだが、如何も宇治の院には其奴も必要そうだからな」




 さて、護りの剣を大嶽丸より貸し受けやした小童。しかと其の剣を胸に抱き、目指すは晴明の待つ京——宇治の院。


 其の白き小さな後ろ姿を見送り、琵琶を手にしたまま大嶽丸はふと空を眺めやす。雲はまるで、小童の後を追うやうに流れておりました。


「さて、酒呑童子よ。もしお前が此処まで見越して、あの小僧を世に放ったのなら……俺はお前に対しての見方を改めねばならんが、果たして如何かな」




 さぁさ、いよいよ向かうは宇治の院。

 極楽浄土を模したとさる堂が立ち並ぶ其の一角に、古きより佇む宝殿が存在しておりやした。

 宝殿は堀に囲まれ、其処は龍神が守護するとも云われておりまさァ。


 いよいよを以って、小童は実の父、悪党外道の鬼の大将——酒呑童子と対面するのでございやす。

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