機能不全家族

M.S.

機能不全家族

 僕の家族は、『機能不全家族』の典型だった。


 父親はギャンブルに明け暮れて真面まともに仕事をする試しが無かったし、たまに働きに出たと思っても日雇いで、日払いで貰ったお金はこっちに渡るはずも無く、ギャンブルの軍資金か酒に消えていった。


 母親も、僕が物心付いた時には既に可笑おかしくなっていて、よく、どこかの宗教団体の人が、昔から家に出入りしていた。よく解らない品を売りつけられて、借金をしてはそれを買うという事を繰り返して、ようやく『何か可笑しい』と本人が朧気おぼろげに思う頃には僕等家族の軋轢あつれきは修復不可能な所にまで来ていた。


 そのお陰で僕も大学に行く事は無かったし、父親はかく、母親は結構名の有る大学を出ていたのに、そんな人間でも、搾取されるだけの牛の乳頭みたいな人生を送るのであれば、行く必要も無いと思うのが必然だった。


 なので、今の生計を支えるのは、精神病の診断を受けた母親が受け取っている障害年金と、週六でフリーターとして働いている僕の収入が頼りになっている。


 そのようにして、それぞれが各々おのおの、自分達の役割をまっとう出来ないでいた。

 父親は、お金を稼がないし。

 母親は、子供より高価な壺やら数珠じゅずを愛すし。

 僕も、このまま資本主義社会の一番下で死ぬ事が決定事項となった。


 元々は国が、歯止めの効かない少子化に対策として制定した『人間機能支援』という制度が出来た事が始まりだった。

 これは独身の男女を国が無作為に抽出して、強制的に付き合わせる事が目的の悪法で、この制度が制定される当初は、人権、道徳の問題や、結婚相談所等で働く人達の利権の問題等で一悶着起きたらしい。だが結局、こんな小さな島国で、国を国として成立させ続けるには、昔、この国の文化として行われていた『お見合い』を、国が主導して強制せざるを得なくなったのだ。


 父と母は、その悪法によって『出逢わされた』。

 全く国もいい加減で、少しはその抱き合わせが可笑しくならないよう考慮すれば良いのに、適当に二人をくっ付けるものだから、こんな事が起こる。

 そして、子供を頑として作らなかった二人に、孤児として『施設』に保護されていた僕を、国がてがったのだ。


 そして、この法律を作った官僚は、形だけの夫婦を装って、それとは別に自分の好みの愛人と毎晩しっぽりやると、電子の海では記事が流れる事も多々ある。

 その有り余る性欲で、『機能不全家族』の代わりに、一夫多妻制でもやれってんだ。


 そんな、生きてる意味が有るのか無いのか、解らない人生の年数を数えるのを止めて、いつものように思考を停止して寝床に入った時。

 父が煙草のヤニでベタベタになったテーブルを叩いて、何やら叫んでいるのを聴いた。

 大方、賭けに負けた腹いせだろう。

 パチンコ台を壊してそのままお巡りに連れて行かれてろ。


────────────


 次の日は日曜だったので、微睡まどろみに脳味噌をもてあそばれながら惰眠を貪った。

 それに飽きた頃にスマートフォンを見ると、午後の一時だった。

 だから、何。

 別に、用事は無い。

 ただ、アルバイト先が週七では働かせられない等とのたまうから、こうして家の汚い寝床で人生の反省会をしているだけだ。


 寝ているだけでも、腹は減る。

 それが忌々しい。

 生きる理由も無いが、自分を自死に追い込む程に状況が切迫している訳でも無い。

 いや、実際は今すぐにでも死んだ方が良い状況なのに、そこに身を永く置き続けている所為せいで感覚が麻痺して、それに気付かないだけかもしれない。

 どうでも良い。


 起きて、台所下の戸棚を漁る。

 カップ麺の買い置きは、切れているようだ。

 仕方が無いので、もう何年も着ている某格安衣類量販店で買ったジャケットを羽織って、コンビニに向かう支度をした。


 丁度、ジャケットのジッパーを首にまで上げた所で、テーブルの上に何かが置いてある事に気付いた。

 役所からの葉書だった。

 差出人は、『○○市役所 人間機能支援課』と書いてある。

 中身には、僕の家族三人の構成が戸籍のように並んでいる。

 一番下の、『子』の欄に、僕とは別に、知らない人間の名前が載っていた。

 『新規被支援者:子:K』

 国はまた、正常な営みから溢れてしまった孤児を一人、このクソみたいな家に充てがうらしい。


────────────

 

 僕は仕方が無いので、役所の人間が来ると言うその日、アルバイトを休んで家に居る事にした。

 父は朝からパチンコに行って家には居ないし。

 母は精神病を患ってからは亡霊のように、街へ徘徊に繰り出すようになった。

 元より、二人に役所の人間の応対が出来るとは思っていない。


 インターホンが鳴り、重い腰を汚い床から上げて、玄関へ向かう。

 扉を開けると、役所の人間と、今日からこの家の『子』として生きなければならない、十四、五くらいの女の子が居た。

「お忙しい所、申し訳ありません。人間機能支援課の者です。通知は届いていますでしょうか?」

「ええ」

「……こちらが、新しい『子』になるKさんです」

 Kという女の子は紹介され、軽く頭を下げる。

「……K、です。……本日から、宜しくお願いします」

 一瞬、こちらに眼を向けたが、うつろなものだ。

 僕がこの家に、『子』として充てがわれて来た日の事を思い出す。僕も、彼女のように空虚な瞳で、今の両親に挨拶をしたのだろうか。

 きっと彼女も『施設』で、今まで孤児である事相応の扱いを受けて、挙句の果てにここまで来たのだろう。

 僕と同じように。

 心中を、察した。

「では、これで」

 役所の人間は用事は済んだとでも言うように、そそくさと立ち去ろうとする。

「少し、良いですか?」

 僕はその背中に、声を投げ掛けた。

「……なんでしょう?」

「なんでしょう、って、うちの状況、役所の人なら分かっているんですよね? どうして態々わざわざ、僕のような家に孤児を充てがうのですか? どうして、裕福な所に孤児を送らないのですか? 彼女が、可哀想です」

「公平を期す為に、厳正に選考した結果、彼女をこの家の『子』とする事に決めたのです。ある程度、様々な所得層の家庭に、まばらに『子』を充てがわないと、各方面の人間から批判を受けますから」

「でも、うちはもう、完全に『機能不全家族』です。全うになる所か、彼女のこれからに良い影響が与えられる自信がありません。……彼女のためにも、彼女を引き取れません」

「それが、決まりですから。……そもそも、貴方あなた達が、自分達の力で始めから『ちゃんとした家族』をやっていれば、問題は無かったはずでは無いでしょうか?」

「っ……」

「制度によって作られた『家族』の大半は、大体上手くやっています。……私とて、Kさんをこんな肥溜めのような家に送り出したくありません。でも、決まりであれば、それは仕方の無い事なのです、お互いに」

 僕は、まさか自分が悪者にされるとは思ってもいなかったので、その反論を聞いた時に、膝が崩れそうになった。

 今までの事は、全部、自分が悪かったのだろうか?

 確かに、僕の立ち回り方次第では多少、この家庭の状況は変わったかもしれない。

 でも、始めから全てが整っている家庭なら、そんな事しなくても始めから『普通』なんだ。『普通』じゃない僕が、『普通』になる為の努力をして、それでもやっと『普通』なんだ。

 そこまで解って、それでも頑張ろうと思える人間が、一体、全体の何割居る?

 十割ではない筈だ。

 頑張れないと、生きちゃいけないのか?

────もう何を言っても、無駄だろう。


 多分その後は、怒鳴ったと思う。

 役所の人間は、僕をさげすんだ目で一瞥いちべつし、去って行った。

 結局、僕も父親と似たようなもんか。血は繋がってなくても、似るものだな。


 彼女は自分の荷物を入れてあるキャスタートランクの取っ手をぎゅっ、と握って、すっかり俯いていた。

 それもそうだろう。受け入れ先の人間がいきなり怒鳴り出して、『引き取りたくない』だなんて言いだしたのだから。僕は感情に任せて物を言って、彼女を傷心させたであろう事を悔いた。

「ごめんなさい……、中、どうぞ」

「……はい」

 そのような最悪の出会いを経て、家族が一人増えてしまった。


「ごめんなさい。さっきは、気分を悪くさせるような事を言って」

「大丈夫です。慣れていますから」

 慣れている、か。

 彼女の顔を覗き見ると、いくらかの瘢痕はんこんが見え、消えない傷となってしまっているのが分かった。痣のような色素沈着らしいものもある。今まで『施設』でどういう過ごし方をしたかは、訊かない方が良さそうだった。

 彼女が俯くと、その傷達は、彼女の長い前髪に隠れた。

「さて、酷い所に来たね。ようこそ、って言うのも違う気がするけど……、まぁ、いいや。取り敢えず僕の名前はA。Aと呼んでくれて構わない」

「はい、宜しくお願いします。ここの家は……、Aさん一人ですか?」

「あー、一応、父と母が居るんだけど、どっちもしょっちゅう出掛けているんだ。……血は繋がっていないんだけどね」

「……と言う事は、Aさんも、『施設』から来たんですね」

 僕の発言から汲み取ったのか、彼女はそう言った。頭の回転はどうやら早いみたいだ。

「……うん。僕も昔、この家に『子』として、充てがわれたんだ。丁度、今日の君みたいに」

「そう、ですか」

 丁度、そこで僕のスマートフォンに電話が入った。どうやらアルバイト先の店長から、『人数が足りないので午後だけでも出勤して欲しい』という事だった。

「ごめん……、今日は一日空けていたんだけど、午後からアルバイトに行く事になっちゃった」

「いえ、お構い無く」

一先ひとまず……、そのソファにでもくつろいでいてくれ。明日から近くの中学校に行かないといけないんだろう? そのまま寝床にしてしまってもいい。申し訳無いけど、敷布団の予備が無いんだ。……あと、その内、父と母が帰って来ると思うから、簡単に挨拶だけしておいてくれ」

「分かりました」


 家から近い、という理由だけでスーパーのアルバイトに応募したのは間違いだったのかもしれないが、今更職種を変えて、一から別のアルバイトの仕事を覚える程の気力は無かった。

 何が良くないかって、沢山の人間と接しないといけない所。

 その人間の中には僕の家みたいな『機能不全家族』のような人達はほとんど見かけない。そういう客層は、このスーパーには来ないのだろう。

 このバイトでレジ打ちをしていると、まるで、自分が全く違う世界に踏み込んでいる錯覚に陥って、萎縮してしまう。

 子を肩車している父親。

 子にお菓子を買ってあげている母親。

 喜ぶ子供。

 唯々ただただ、それを見せつけられるのは、苦しい。

 勿論、当の本人達に見せつけているつもりは無いのだろうが、自分が矮小わいしょうな所為で、そう思ってしまうのだ。

 こんな事なら、どっかの倉庫で段ボールでも運ぶ仕事をしておけばよかったんだ。


 余った惣菜をまかないとして貰い、帰路に就く。

 これからは、店長に訳を説明して、多めに賄いを貰えないだろうか?

 そんな事を考えながら、家のボロアパートの玄関扉の前まで来ると。

────何やら家の中から、叫ぶ声が聴こえて来る。

 扉を開けると、母がKの髪を引っ張りながら、何やら叫んでいた。

「……やめて、やめて下さい……」

 Kは口ではそう言うものの抵抗する事無く、正座のままで髪を引っ張られ、母に哀願していた。

「いつの間に入り込んだの! ……あぁ! A! この子がっ、この子がうちを乗っ取ろうとしている! なんとかして!」

 その騒ぎに嫌気が差したのか、父親はチッ、と舌打ちして僕の脇を抜けて何処かへ出掛けて行った。

 使えない父親。

「母さん! 何してる……、その子は今日からうちに来たKさんだ! この葉書の通知書を見てないのか⁉︎」

 僕は、テーブルの上に置いてある役所から来た通知書を、母に見せ付ける。

「こんなの知らない! ……きっと機能支援ビジネスをしているゴミクズ共がグルになって私達から金を巻き上げようとしているんだわ! 早くこの子を追い出さないと!」

 そもそも、うちに巻き上げられる程の金なんかねーだろうが。

「午前中にちゃんと役所の人が来てたよ! 正式に『子』として、うちに来たんだ! お願いだから、落ち着いて……」

 僕は母をなだめて薬を飲ませ、横にさせた。

 被害妄想が酷くて、こんな事はしょっちゅうだ。依存心が強い所為か、よく訳の分からない品を買わされ、母の寝床の周りには奇っ怪なオブジェが日に日に増えている。それが母の心の平静に繋がるならまだ良いが、全く効果は無い。

 無駄。

 なにもかも。


「ごめん。……こういう家なんだ。……大丈夫? 叩かれたりしたか?」

「いえ、……髪を引っ張られただけです。……大丈夫です」

「……昼間、『君を引き取りたく無い』って言ったのは、こう言う事なんだ。……まぁ、部屋の散らかり具合からも分かると思うんだけど。……もっと、マシな家庭に引き取ってもらえないか、あの役所の人に抗議したつもりだったんだ」

「ええ、その辺は、分かっているつもりです。嫌な風には、思っていません」

「……そう言ってもらえると、助かる。……僕も、『施設』からここに来た日の事を思い出してさ。……君にも同じ思いをさせたく無かったんだ。でも、結局これじゃあ……、『施設』もここも、どっちもどっちだよな」

「……ふふ、そうですね」

 僕の笑えない自虐に彼女は顔を上げて、屈託無い微笑を見せたけれど。

 そこで彼女の笑顔を初めて見た訳だが、そこには諦観の成分も含まれているような気がして、僕の胸には、無い陰が落ちた。

「……アルバイト先で、惣菜を貰って来たんだ。お腹が減っているなら、食べようか?」

「……はい、ありがとうございます」


────────────


 その次の日から、少しだけ新しい日々が始まった。

 Kが中学校に向かった後、少しして次に僕がアルバイトへ向かう。

 父と母は、相変わらず街をぶらぶら。

 Kには、家に居れそうな状況じゃ無ければ、近くの公園に避難するか、僕のアルバイト先に来るよう言ってある。

 昼間は学校があるので大丈夫だと思うが、夜に何か問題があった場合、すぐに駆けつけられない。彼女には申し訳無いと思うが、それが一番安全に思えた。


────────────


 その夜も、彼女は僕の帰りを健気に待っていた。

 夕飯が、僕の持ち帰る惣菜であるから、先に寝るにしても腹が減ってしまうと思うので、起きていなければならない事は申し訳無く思う。

「ただいま」

「……お帰りなさい」

 僕は、テーブルに貰って来た惣菜を並べる。

「好みのやつが、あれば良いけど……」

「いえ、食べれるだけで、嬉しいですから……」

 彼女は台所の引き出しから箸を、僕と自分の分、二膳用意してくれた。

「ありがとう」

「いえ、……いただきます」

 冷えた鳥天の衣を齧っている最中に、気付いた。

 彼女が口に食べ物を運ぶ時、髪を掻き上げた際に。

 その顔に、この家に来た時には無かった真新しい痣が出来ている事。

「……その、痣、どうしたの?」

 訊かない方が良かったかもしれない。

 『施設』にいた頃は、視察に来る人間に痣が見つかると面倒だから隠せ、と『施設』の職員に良く言われたものだった。だから、痣に対してはその頃、本当に機敏だった。

 今はそんな心配はするだけ無駄なのだが、その時の性質が、洗っても洗っても取れない油のように僕の体にこびり付いて、僕にそうさせた。

「……っ」

 彼女はその薄い肩をびくっ、と跳ねさせた。

「……?」

「何でも、無いです」

 そう、彼女は。

 惣菜の上に涙を落として、言った。

 何でも無いなら、涙が産生される理由が無い。それは、『何でも有る』事の証左だった。

「学校の階段で、転んだだけです……」

 遂に、彼女はその痣を隠すように、啜り泣きながら自分の顔を両手で覆ってしまった。

「嘘だろう」

「……うっ、うぅ……」

 人に心配を掛けまいとする為に吐く、見え透いた嘘程、哀しいものも無い。

 僕も昔、その手の嘘は良く吐いていたから、すぐに気付いてしまった。

────昔、母に、全く同じ嘘を、吐いた事があった。

 その時母は、『ならいい』と納得していたが、僕は、そのようには出来ない。

 もう、彼女の嘘を、余す所無く看破してしまった。

「明日、学校に、行ってやる」

 それは、義務と言うには何処か温みがあって。

 愛情と呼ぶにはまだ汚かったが。

 彼女を見ておこった、それに近い気持ちが、僕をそうさせた。


────────────


 アルバイトを早退し、バックヤードから裏口に出る。

 Kは道のガードレールに寄り掛かって、僕を待っていた。

「行こうか」

 彼女の希望で、人がけた授業後に、担任に相談しに行く事にした。

 僕としても、態々人目に付くような、人が多い時間帯に学校に行こうと思っていないし、向こうの都合もある。


 学校に着くと、応接室に通され、しばらくして彼女の担任であるという先生が出て来た。

 その先生は、僕の顔を見て驚いた表情も隠さずに、不躾ぶしつけな視線を寄越しながら訊いてきた。

「どういった御用件で……?」

「その、何と言うか……、うちの……妹が、この学校に来てからすぐに、新しい痣が出来たようなので。端的に言って、虐めがあるんじゃ無いのかな、と」

 僕は彼女との関係を一から説明するのが面倒なので、便宜的に彼女を『妹』とする事にした。僕の顔にも幾つか消えない古傷があるので、似たようなものだろう。

「本人が、そう言いましたか?」

 担任はそう訊いた。

 僕は彼女に顔を向けると。

 彼女は、少しぐずっていた。

 それが答えだろう。

「ふむ……」

 担任はうなり、どうしたものかと思案した後、口を開いた。

「虐めと言うのはですね、本当に難しいのです。はたから見て虐めに見えないもの、周りは虐めているつもりが無いもの、本人の性質によるもの、色々あるのですが……。どれも、単純に『虐めを止めろ』と言った所で、それを言われた腹いせに、更にエスカレートしてしまう場合もあるんですよ」

 言いたい事は、解る。僕の時も、似たようなものだった。

「結局、これに関しては、虐められている本人が変わるしか無いんですよね。虐めの原因が無ければ、虐めは起きませんから」

 苛々いらいらして来た。

「仰る事は、分かるのですが、せめて、妹がやりやすい風に、計らってはくれないでしょうか? 自宅学習にするとか、……ここでの生活が難しければ、フリースクールへの転校の手続きとか……」

「はぁ……」

 担任は溜息で、僕の抗弁を遮った。

「そもそも、痣、増えてますか? この子、元々痣だらけだし、顔をあまり見せない所為で分からないんですよね」


 怒鳴った。

 怒鳴り散らした。

 こんな事して、何の解決にならない事は分かっている。

 けれど、ここまで味方が一人も居ない事に、笑えて来る。

 その叫びは、何と言うかその担任に向けたものじゃなくて、そういう世界に反抗して悪意をばら撒きたいが為の、慟哭のようなものだったかもしれない。

 汚水が溜まったダムが、とある事を切っ掛けに崩壊するような。

 そこから先は、覚えていない。


 気付けば、家の近くの公園のベンチで、僕は項垂うなだれていた。

「ごめん、何の、役にも立たなくて」

「……」

 彼女は『大丈夫』という意を表したのか、俯いたまま首を横に振った。

「……これじゃあ、僕、モンスターペアレントだよ…、本当に」

「……妹」

 彼女が、ぼそっ、と呟いた。

「……?」

「妹だから、Aさんは親じゃない……」


────お兄さん。

 そう、彼女は続けた。


「だから、Aさんは……、モンスター、ブラザー?」

「……っぷ、何だ、それ」

 僕と彼女は、自虐で笑い合った。

 いつだって、僕達を笑わせてくれるのは、傍から見て、憐れな自虐だった。

 それでも。

 笑えるだけ、マシだ。

「……学校さ、止めちゃえば?」

 僕がそう言うと。

 彼女は、会ってから今までの間、一番の笑顔で、こくり、と頷いた。


 その日から、彼女は僕の事を、『お兄さん』と呼ぶようになった。


────────────


 アルバイトを少し減らして、彼女の為の時間を作る事にした。

 彼女には、中学校を辞めさせて、僕が勉強を見る事にした。

 僕がアルバイトに行く時に、彼女は必ず見送ってくれた。

 『行ってらっしゃい。お兄さん』

 僕がアルバイトから帰って来ると、彼女は必ず出迎えてくれた。

 『お帰り。お兄さん』

 そんな何でも無いような日常が、つい最近、とても愛おしく感じるようになり、同時に、世界中に嫉妬した。

 こんなにも優しいやり取りが、実際は今までそこら中で行われていたという事に。

 僕は、他の人には大分遅れたが、やっと俗に言う『普通』を享受出来た気分になっていた。


「いただきます」

 二人で、僕の持ち帰った惣菜を摘まむ。


 この惣菜、いつも余っていますね。

 ああ、そうなんだ。人気が無いんだろうね。

 何だか、余り物の私達みたいですね。

 はは、面白い事を言うね。差し詰め、僕等みたいな『施設』の子は、割引きシールを貼られた余り物って訳か。

 ふふ、言い過ぎです。

 でも、こうして僕等が食べてあげているだろう? この惣菜は、僕等にとっては必要なんだ。

 ……私も、お兄さんと一緒に惣菜になって、誰かに食べてもらいたい……。

 なんで、そうなるんだよ。

 うふふ。


 こんな時間が、一生続けば良いと思った。

 『普通』の家の人達からしたら、クソみたいな人生かもしれない。

 クソで、結構。

 僕にとってはどうやら、この底辺が心地良いみたいだ。

 蝿がたかった生ゴミの袋を枕にするのも、彼女と一緒なら悪くない。


 アルバイトも、自然に精力的にやるようになった。

 彼女の為に、少しでも良いものを食べさせてあげたい。

 彼女の為に、テキストを買いたい。

 彼女の為に、服を買ってあげたい。

 今まで非道い扱いを受けた僕達には、少しくらい幸せを享受する権利が、あるはずだ。


────────────


「ただいま」

 その日、出迎えてくれる筈の、彼女の姿が見えなかった。

 毎日欠かさず、『お帰りなさい』を言ってくれていた彼女が。

 途端、胸の中で何か蠢動しゅんどうした。

 彼女を知った僕の心は、すっかり彼女にほだされて硬度が無くなっていた。今まで何にも期待しなかった分、少しの綻びも許さなかった僕の心は、彼女の存在に溶かされてしまっていた。


 耳を澄ますと、風呂場の方から、シャワーの音が聴こえる。

 彼女は、いつも僕の帰りを待ってくれている。この時間にシャワーを浴びたりする事は無かった。

 風呂場に近付くと、彼女の啜り泣きが聴こえて来た。

 風呂場の扉は開いていた。

「……お、お兄さん…、お帰りなさい……」

 彼女は、泣きながらうずくまって、シャワーを浴びていた。

 その体の震わせ方と蹲り方を、僕は知っていた。

 『施設』でも、そうやって泣いている女の子を、何人か見た事がある。


 僕はそれを見て激昂した。

 父の寝床に迫った。

 すると、父は下半身を丸出しにして、酒の臭いに塗れながらいびきをかいて寝ていた。

 僕は、そんな父の睾丸を思い切り踏み付け。

 潰した。

 ぱきっ。

「ぐああああああああああああああああああああああああああああああ」

 関係無い。

 もういい。

 殺してやる。

巫山戯ふざけやがって。死ねよ。殺してやる。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」

声に合わせ、『死ね』の回数だけ僕は、その醜悪な獣の顔面に拳を振り下ろした。

 何回も。

 何回も。

 何回も。

 何回も。

 何回も。

 顔面の原形が無くなった。ピエロのマスクを裏返したような面白い顔になっている。

 じゃあ次は、四肢だ。

 包丁で滅多刺しにして、四肢を無理矢理引き千切って割き、さばく事にした。

 中々包丁で斬れないので、関節に刃を当てがって、そこを足で踏んで押し込んだら、意外と簡単に切断出来た。

 その要領で。

 肩関節。

 肘関節。

 橈骨手根関節。

 手根中央関節。

 手根中手関節。

 指節間関節。

 股関節。

 膝関節。

 足関節。

 ショパール関節。

 リスフラン関節。

 趾節間関節。

 体幹も、似たように料理した。

 体幹は、下から解体する事にした。

 第五腰髄から、第一頸髄の椎間板を。

 刃を食い込ませて切断していく。

 椎骨の一つ一つがサイコロステーキみたくなった頃。

 もう部屋中真っ赤になって。

「……お、お兄さん……、そ、それは……」

「……ああ、これは賄いでね、スーパーで貰ったんだ。ちょっと汚いミネストローネだけど、一緒に食べちゃおう? じゃないと、余り物の賄いが可哀想だからね」

「……でも、ちょっと、多いね。……一日じゃ、食べ切れない……」

「タッパーに分けて、冷蔵庫に入れておこうか? そうすれば、日持ちするだろうし」

「……じゃあ、タッパーが沢山要るね」

「うん、今から一緒に買いに行こう?」

 彼女は、会ってから今までの間、二番の笑顔で、こくり、と頷いた。


────────────


 数日掛けて父を食した。

 それから、僕達の世界に、母は邪魔だという結論になって、母も解体してミネストローネにした。

 父より味はマシだったけど、やっぱり精神病の薬を常時服用していた事もあって、風味がちょっと不味かった。


────────────


 そして十年後、完成された家庭である僕達の元に、新たな『新規被支援者』としての『子』が、うちにやって来る事になった。


 うん、きっと僕達なら、上手く育てられる筈。

 父と母みたいには、なるものか。


 K、愛しているよ。


 来た『子』を、一緒に愛してあげようね。

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