山田と恋文と気持ちの行方

金石みずき

山田と恋文と気持ちの行方

「じゃあ、次の問題を――加藤」


 ――くぁ……。


 隣の席の山田はいつも眠そうに欠伸あくびをする。


「……加藤ー」


 授業も聞いているのか、聞いていないのか。

 竹内せんせいにバレたらまた怒られちゃうぞ。


「おい! 加藤沙映さえ!」

「――っ、は、はい!」

「なんだ、お前。寝てたのか? 受験まで日がないのに、いい度胸だな」


 ヤバい。気づかなかった。竹内がこめかみをひくつかせながら、私を睨むように見ている。

 さぁーっと血の気が引き、心臓がばくばくとせわしなく内側から身体を叩く。


「す、すみません!」

「そんなに余裕なら当然わかるよな? 前に出てさっさと解け!」

「はい……」


 板書されていた問題は幸い、以前解いたことのある問題だった。必死に頭の中から解答を引っ張り出し、黒板にチョークを滑らせていく。少し手が止まることもあったが、なんとか最後までたどり着きそっと息を吐いた。


「……ちっ。正解だ。戻れ」


 なんとか許されたらしい。

 心がだんだんと落ち着きを取り戻していく。

 というか『ちっ』ってなんだよ。まるで正解して欲しくなかったみたいに。……まぁ、私が悪いんだけどさ。

 内心不貞腐ふてくされながらも、表情と態度だけはしおらしく。

 席に戻った私は今度こそ授業に集中すべく、意識を黒板に移した。



「加藤、さっきヤバかったな。寝てたん?」


 山田が悪戯いたずらな表情で私を見る。少しムっとするが、まさか本人に『お前を気にしてたんだよ』なんて言えるわけがない。


「別に。ちょっと考え事してただけ」

「なんだよ。昨日面白いドラマでもやってたのか?」

「どうでもいいじゃん、そんなこと」


 投げやりな私の態度が気に障ったのか、山田が眉根を寄せて口を歪めた。


「なんだよ。苛立ってるからって俺にあたるなよ」

「あたってないし。別に怒ってもない」

「はぁ? どう見ても怒ってんだろ。……ははぁ。さては失恋でもしたな?」

「は? なんでそうなんの? マジで意味わかんないから!」


 突拍子もない話に今度こそ本当に怒った私は、荒々しく両手を机に叩きつけ、勢いそのままに立ち上がると教室の外へと向かった。

 背中の方から「――あ、おい、待てよ!」と聞こえてくるが、無視してそのまま廊下に出る。


 本当、なんなの。意味わかんないから。



 それから少し経ったある日の休み時間。

 自席で単語帳を広げていると、山田の話が聞こえてきた。


「山田、願書どこ出したん?」

「あー……石川大の経済」

「お。やっぱ石川か。学部は違うけど大学は同じだな。来年もよろしく」

「気が早えーよ。推薦組は気楽でいいな。こちとら必死だってのに」


 へぇ? 結局、石川大にしたんだ。

 じゃあお互いに受かれば春から同じキャンパスに通うことになるのか。


「ま、落ちても私大受かってるからいいけどな。立学大」

「東京じゃねーか。お前の学部の可愛い子を紹介してもらう俺の計画はどうなる」

「自分でなんとかしろや」



 その日の放課後。

 バス停に立っていると、山田もやってきた。

 私との距離はだいたい人一人分。手を伸ばせば届くけれど、並んでいるとは言い難い。


 山田はぼんやりと鈍色にびいろの空を眺めている。

 ぼけっと開けられた口からは白い息がほわほわと立ち上っては消えていく。周囲に人は多いのに、山田の周りだけが少し寂しくて。観客のいない舞台で一人スポットライトを浴びるようなそれを、私はなぜか許せなかった。

 

「――山田」


 声を掛け、一歩距離を詰める。足元で雪がぎゅっと音を立てた。


「……加藤?」


 山田がこちらに視線を移す。スポットライトが消えて、舞台が放課後の体育館に変わった。


「今、帰り?」

「うん。加藤も?」

「うん」

「そっか……」


 場を沈黙が支配する。私たちはどちらからともなく視線を外して、お互い前を向いた。

 何か話さなきゃ、と思うけれど、喉から先には何も出てきてくれない。

 迷子になった思考を必死に巡らせ、やっとのことで言葉を絞り出した。


「……受験校」

「――え?」

「受験校、さっき話してたの聞こえてた。私も、同じとこ」


 ぼそぼそと発した言葉は届いてくれただろうか。

 不安を誤魔化ごまかすようにマフラーに顔を隠して、返答を待った。


「――そっか。じゃあ、どっちも受かれば春からも一緒だな」

「……うん。そうだね」


 聞こえてくれていた。

 ほっとして、こっそり深く息を吐いた。


「もう赤本解いた? 俺はさ――」


 すっかり普段通りになった空気に安堵し、私は相槌を打ちながら山田の言葉に耳を傾けた。



 受験当日は雪だった。

 試験開始の合図を待つ中、窓際の席で私ははらはらと静かに落ちる花弁雪はなびらゆきをぼんやりと眺めていた。

 早まった心臓の鼓動すら聞こえるほどにしんと静まり返った試験会場は、まるで寒空の中かのように張りつめていて、息が詰まりそうだった。


「――それでは試験、開始」


 問題冊子を開く音が次々に響く。続いてカンカンと鉛筆が机を叩く硬質な音が聞こえてくる。

 一拍遅れて私も動き出す。冊子を捲り、解答用紙に名前を記入した。


 最初は英語の長文読解。

 過去問を見た限りでは読めるはずなのに、目が滑って全然入ってこない。


 焦りが募るが何も進まないまま、一分、二分と時間だけが過ぎていく。


 一旦切り替えようと、鉛筆を置き、深呼吸した。


 ――ふと、山田の顔が浮かぶ。


 そうだ、受かれば山田と春から同じキャンパスなんだった。

 今より少しは近づけるだろうか。――そう、なりたいな。


 先ほどまでとは少し違った調子の鼓動に包まれて見た問題文は、今までに見た過去問と何も変わらないくらいの難易度で、なんでこれが読めなかったのか不思議に感じるほどだった。


 これなら、いける。

 鉛筆を握りなおして私は再び試験へと意識を戻した。



 そして試験から一〇日後の合格発表。


 ――私は合格し、山田は落ちた。



 合格発表の次の日。

 お祝いしてくれるというので、友人の京子とともにケーキ屋に来ていた。


「はぁー……」

「どうしたの? 浮かない顔だね」


 どうやら会話の途中でうっかり溜息をついてしまったらしい。


「せっかく合格したのに、何か悩み事?」

「ううん、なんでもないよ」


 いけない、いけない。

 山田とはこれっきり。あとは卒業式でばいばいするまでの付き合いだ。

 今さら考えてもどうしようもないし、今は京子との会話に集中しないと。


 だが私の思考なんて見透かしたように、京子は言った。


「まー、沙映の考えなんて大体わかるけどね。山田くんでしょ?」

「……えーっと?」

「まさか私が気づいてないと思った? ……彼、残念だったね」

「……まぁ、こればっかりはどうしようもないしね」


 まさかバレていたとは。

 意外だったが、すっかり否定することは諦めて、苦笑しつつ京子の話に合わせる。


「告白しないの? 東京なら新幹線でたったの二時間半じゃん」

「そんなの迷惑でしょ。わざわざ最後に困らせたくないよ」

「それで納得できるの?」

「――するしかないんだよ。そんな勇気もなかったからここまで来ちゃったんだし」


 京子は難しそうな顔でうなる。

 否定したいが、うまく言葉が見つからない。そういう表情だ。


「じゃあ恋文ラブレターを書いて渡すっていうのはどう?」

恋文ラブレター?」

「うん。卒業式に渡して、さっさと帰るくらいなら出来るんじゃない?」


 まぁそのくらいならいいか。時間も取らせないし、ダメでももう会わないから後腐あとくされもない。


「じゃあ……そうしようかな」

「うん、高校の恋は高校で蹴りをつけた方がいいよ。それが実るにしても実らないにしても、さ」



 今日は卒業式。

 京子に言われた通り、頑張って恋文ラブレターを書いた。死ぬほど恥ずかしかったが、まぁ、最後だし。


 式典そのものは終わっており、あとはこれを渡して帰るだけだ。

 

 目的のやつを探して歩き――ようやく見つけた。


「――山田」

「お、加藤。今日は寝なかったか?」

「いつも寝てないよ。山田じゃないんだし」

「ははっ。違いないや」


 一瞬、会話が途切れる。

 だがすぐに山田が「あー……」と少し気まずげな表情で話し出した。


「俺、落ちたから立学大に進むわ」

「知ってる。噂で聞いた」

「そっか。ま、今後会う機会もあまりないだろうけど、もし見かけたら声くらいかけてくれよな」

「そっちこそね」


 どうしよう。いつ渡そう。

 このままだと、もう今にもばいばいして終わりの空気だ。


 少し足をずらして立ち去ろうとする山田を縫い留めるべく、ポケットから丁寧に折りたたまれた便箋を取り出して声をかけた。


「あのさ「――山田くん!」」


 後方から可愛らしい女の子が駆けてくる。

 山田がぱっと弾かれたようにそちらを見た。


 山田の表情は私と話していたときとは大違いだ。

 目尻が下がって、頬が優しく緩み、顔はほんのりと彩度を上げている。


 ――あー、そういうこと。


 女の子は山田に用があるみたいで、どこかに連れ出そうとしているようだった。

 山田は一旦了承したが、思い出したように「あ、ちょっと待ってて」と、私の方を向いた。


「ごめん、さっき何だった?」

「――ううん、何でもない」


 私は手に持ったままだったそれを後ろ手に隠すと、誰にも見つからないようにそっと握りつぶした。


「ほら、彼女と何か用事なんでしょ? 待たせたら悪いし、さっさと行きな」

「彼女じゃねーわ。でも、わかった。じゃあな」

「うん、ばいばい」


 彼女じゃないのか。……どっちでもいいか。あと三〇分もすればそうなってるだろうし。



 家に帰った私は鞄を部屋の隅に放り出し、背中からベッドに倒れ込んだ。

 ポケットに手を突っ込んで、すっかりくしゃくしゃになってしまったそれを取り出し、シーリングライトにかざしてぼんやりと眺める。


 渡せなかった恋文ラブレター

 行き場をなくして宙ぶらりんなこの気持ち。


 どちらも今日手放してしまえるはずだったのに、どういうわけかここに残ってしまった。


 えい、と軽く腕を振ってみれば、綺麗な放物線を描いて飛んでいく。


 ――こんな簡単に捨てちゃえればいいのに。


「山田……」


 口からこぼれたその言葉はいつまで経っても私の周りに留まって、どこにも行ってはくれない。


 私は枕を手に取ると顔に押し付けて、そのままじっと朝が来るのを待った。

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山田と恋文と気持ちの行方 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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