第13話 プリルヴィッツ邸
────翌朝。灰色の空がしとしと雨を降らせて町はいつもより静かだった。
とはいえ宿は少し騒がしい。宿泊客が朝食を嗜み、酒場の隅では飲んだくれが幾人も泥のように眠っている。『鍋の底』ではよくある光景で、あるひとつの名物とも言えるだろう。ローズとシャルルのふたりも、まだ眠たい目をこすりながらカウンター席に座っていくらか覗ける厨房で忙しそうにする料理人を眺めていた。
「ふわあ……なんだかまだ眠いや」
結局、昨晩のあいだに町を巡回していた警備隊に引き渡してから、フランシスも含めて事情を尋ねられ、あれこれと対応を重ねているうちに疲労も溜まり商館へ行くのは後日にしようと決めたのだが、眠ろうにも妙に眠れず、ようやく寝息を立て始めたのが深夜になってしまってふたりとも元気がない。
「まったく昨夜は散々だったな。おかげで頭が痛い」
「こう、疲れを取り除く魔法とかない?」
「あればやってるさ。眠気覚ましくらいは出来るがね」
シャルルの顔の前でぱちんと指を鳴らす。一瞬だけ紫の輝きがふわっと舞い、さきほどまで感じていた強烈な眠気はどこかへと飛んだ。いわゆる元気の前借りみたいなもので効果は一時的。疲労は蓄積されて急激な眠気に襲われるとローズは言った。
「ま、今日の夜くらいまでは快活に過ごせるはずだ。明日の昼にはウェイリッジを出るつもりだから、今日は時間の許す限りであちこち見ておこう」
運ばれてきたこんがり焼けているトーストとスクランブルエッグの香りに朝を感じながら、ミルクをひとくち飲んでローズはシャルルに微笑みかける。
「ああ、でもその前に片付けておきたい用があるんだが構わないか?」
「うん。終わってからふたりで、ゆっくり見て回ろうよ」
せっかくの観光で他のことに気を取られては良い思い出にはならない。シャルルはローズとふたりで思い出を作りたいと思ったし、なにより彼女といっしょに楽しく穏やかな時間を過ごしてみたいと感じて、そう答えた。
「そうだな。お前の言う通りがいちばん良い」
早々に食事を済ませてチップを置き、ふたりはいったん宿を出る。雨は止んでいたが灰色の天気に気分も乗らないまま歩きだして、最初に向かった先は昨晩ローズが足を運んだプリルヴィッツ邸だ。
朝にもなると正門前には馬車が停まっていて、すらりとした背の高い壮年の男が整った身なりをして御者となにやら話し込んでいる。
「茶会にでも誘われたのかね、クリストハルト?」
ローズが声を掛けると男は渋いものを口に含んだような顔を一瞬だけ差し向けたが、相手が魔女だと分かるとすぐに取り繕ってみせた。
「これはフロールマンさんではございませんか! わざわざ訪ねてくださるとは光栄だ。今戻ってきて御者に労いの言葉を掛けていたところですよ。また雨が降らないうちに中で話でもいかがです? 体が冷えてしまいますでしょう」
クリストハルトの態度は打って変わってとても媚びているふうだ。それが素ではなく演じているものだとローズは知っているので、彼のことを内心では〝反吐が出るほど嫌いな偽善者〟としているが、そんなことはおくびにも出さない。
「ありがたい。実は珍しく連れもいるんだが構わないかな?」
「もちろん、お連れ様もどうぞ。お茶菓子を用意させますよ」
門をくぐってクリストハルトが案内する後ろをついて歩く。さほど広くはつくっていない前庭は、それでも見る者の目を惹く美しい仕上がりで「よくできた庭師を雇っていますから」と自慢げにする彼にローズは愛想笑いを浮かべる。
「シャルル、お前はヤツを知っているか?」
ローズが小声で尋ねると彼女は小さく頷く。
「城で何回か会ったことあるよ。気さくで弁舌さわやかな人柄だから、立場問わず人気者だね。母様からもそれなりに信頼の厚いひとだよ、よくお茶会に誘ってるみたい。でも正直ボクはあまり彼を良く思ったことはないけど……」
苦笑いを浮かべるシャルルに、ローズが俯いてくっくっと笑いをかみ殺す。
「えっ。あ、あの、ボク何か変なこと言ったかな?」
「いやいや、その逆さ。お前は実に賢い子だ、と思ったんだよ」
戸惑う彼女の肩をさすって優しく笑う。彼女の視線はクリストハルトの背に向けられる。冷たく、鋭く、しかし何かを企んで笑っているふうにも見える瞳で。
「たまには慈善事業も悪くないかもな」
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