第12話 ネズミを追う

 ラフな服装に着替えたら、ふたりはデニスに出かける旨だけを伝えて商館に向かおうとした。受付にいる彼は困った顔をして頭を掻いていて、やってきたローズを見つけて不安を隠すことなく声を掛ける。


「ああ、出てきたな。どこか行くのか?」

「カレアナ商会に用があってな。何かあったのか」

「実はフランシスにゴミ捨てを頼んだんだが、中々戻ってこなくて」

「わかった。見かけたら心配していたと伝えておこう」

「わるいけど頼むよ。今は手が放せなくてな」


 フランシスはそこそこに働き者で、忙しいときに抜けだしたりするような人物ではない。それが不在というのだからデニスも気になって落ち着かず、ローズなら夜だろうが平然と出歩くので頼めると思ったようだ。


 早々とシャルルの手を引き宿の外に出たあと、フランシスの姿を見つけることもなくローズは歩き出す。デニスの心配をよそに彼女は大して気に留めていない。


「探さなくていいの? フランシスさん、いないみたいだけど」

「見かけたら声を掛けるとさっき言ったろ」

「でも……何かに巻き込まれてる可能性だってあるのに」


 町へやってきたときローズから聞いた〝そういう事件〟の話がどうしても頭から離れないシャルルは、彼女が何かに巻き込まれていないかとを心配する。夜風の冷たさと町にやってきた静けさが不安へいっそうの拍車をかけた。


「魔女は慈善活動じゃない。そんな話はどこにでもあるさ。たまさかそれが知ってる顔の人間だっただけだよ。現場を目撃したと言うのなら話は別だ……が……?」


 もし、その光景がわずかに月明かりで照らされていなければ気付かずに通り過ぎただろう。路地の狭い道を進んだ先で知った顔の女性が男たちにちょうど連れ去られそうになって必死に抵抗しているのを見てしまえば「じゃあ、さようなら」で済む話ではない。


 夜遅い町の静けさが、急に嵐にでも見舞われたようだった。


「ち、見つかった! てめえらがもたもたしてっからだ!」

「文句言ってる場合じゃねえ、あいつらも捕まえろ!」


 人数を見れば男たちは五人の集団だ。だれもそれなりにしっかりした体つきで、背の低いシャルルやローズを無理やりにでも押さえつけることくらいは可能だろう。目が合ってしまったのなら仕方ないと彼女は頭痛にげんなりした。


「いいか、シャルル。不幸とはまさにこれだ。弱者を餌にする害虫そのものに目を付けられれば、まあ大抵は結末が決まっている。想像するのもおぞましい」


 ポケットから銀貨を指で弾いて迫ってきた男たちのひとりの額に見事に命中させる。跳ねて宙を舞った銀貨は瞬間、紫色に光り輝いて炸裂し周囲に鼻を衝くようなきつい香りのする煙を振りまいた。


 男たちに動揺が広がり咳き込む声が聞こえるが、数秒も経たない間に彼らは次々と意識を失って倒れていく。煙が晴れてみると、どうやら眠ってしまったらしくフランシスを捕えている男はひどく焦った様子をみせた。


「な、なんだ!? もしかしてあんた魔女────」

「黙れ、その汚いガサついた声で喋るな。お前の選択肢はふたつだ」


 指を二本立ててローズは言う。


「フランシスを置いて立ち去るか、抵抗して痛い目をみるか」


 まともな思考を持つ人間ならば、たとえどれだけの悪事に手を染めていようが魔女に逆らおうとするはずがない。当然フランシスは解放されて、男は眠った仲間など構いもせずに脱兎のごとく逃げ出した。


「災難だったな。無事か、フランシス?」

「え、ええ。ありがとう、助かったわ……」


 伸ばされた手を取って立ち上がり、フランシスは泣きそうな顔をする。ローズは彼女を心配する素振りもなく傍で眠っている男たちを見て冷たい顔を向けた。


「しばらくは起きないから今のうちに警備隊を呼んで来よう。こんな末端を捕まえたところで大した変化はないかもしれないが放置するよりはマシだ」


 宿のすぐ近くだったこともありローズはシャルルに「フランシスを連れて先に宿へ戻れ」と伝えて自分は寒空の下を歩き、巡回中のふたり組の警備隊に声を掛けて何があったかを知らせた。


 彼らが血相を変えて走り出すのを背に、彼女は自分の手のひらを見る。


「さて、さっきのネズミはどこへ行ったかな」


 輝く紫紺の光はたばこの煙のようにふわりと漂い、やがてどこかへ流れていく。彼女は輝きの向かう先へおもむろに歩き出す。


 辿り着いたのは大きな屋敷の前だ。そこで輝きは風に乗って消えた。


「なるほどな。ここはたしか……プリルヴィッツの屋敷だったか」


 プリルヴィッツ伯爵家といえば、ウェイリッジにいくつか存在する貴族のひとつだ。歴史としては浅くあったが知性高く国民を重視する考え方を持っているとされ、根強い人気がある。そんな屋敷になぜ人さらいが逃げ込んだのか? 


 ローズは余計なことを考えない。男の居場所がわかるなり、訪ねることもなく宿へと引き返したのだった。

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