第11話 縮まる距離

 泡を流して湯舟に肩までしっかりと浸かる。雲ひとつない煌めく星空を見上げながら、シャルルが「きれいだねえ」と言った。ローズは自慢げだった。


「だろう? 旅へ連れて行くと決まったときから見せたくてな」

「じゃあ、この景色をいっしょに見るのはボクがさいしょ?」

「ああ。いつもはずっとひとりだ。寂しいと思ったことはないが」


 横顔を見て、うそだとシャルルは思ったが口にはしなかった。


「いっしょにみれて良かった。ね、このあとは寝るだけ?」

「町に出てもいいが、どこも店は閉まってる。宿か酒場以外はな」

「そっかあ……じゃあ、明日の朝がいいかな」


 ローズは「商館なら案内してやれる」と彼女を気遣う。


「このウェイリッジにはふたつの商会があるが、そのうちカレアナ商会は夜に仕事も大半が落ち着いているから、話をしに行くにはちょうどいいかもしれない」


 湯上がりで出かけるのは体を冷やしてしまうのでローズの望むところではないが、シャルルの興奮はきっとおさまらない。寝付けず朝になってからぐったりとされては困りものだ。泊っている宿『鍋の底』から遠くないカレアナ商会は、彼女が深夜に目を覚ますことがないくらいには期待を満たせるだろう。


「ま、過度な期待はしないことだ。ウェリイッジはヴェルディブルグの城下町なら簡単に手に入るようなものばかりだから、お前も見慣れているだろうしな」


「そっかあ。ふふ、でもローズが連れてってくれるならどこでもいいよ」

「純粋なやつだ。私より犬と戯れてるほうが有意義とは思わないのか?」

「別に犬は犬だし、ローズはローズだよ。どっちも違ってどっちも好き」


 ふいっ、とローズは顔を逸らして遠くを見つめた。


「……まあいいさ。今はとりあえず、のんびり温まろう」


 ふたり揃って空を見上げる。いくつもの星が輝き、まんまるな月が彼女たちを照らした。穏やかな時間はゆるく過ぎ、少しずつ熱で頬も仄かに赤くなる。


 抱くのは、これからの旅への期待と不安。ローズも誰かを連れ歩くのは柄になく、百年以上を生きて来て初めての経験だった。


「どうだ、今はもう寂しくないか?」


 馬車に乗って駅へと向かうときのシャルルのすがたを思い出して尋ねてみる。彼女は「うーん」と考えてから、陽気のある笑顔をみせた。


「今は平気! 列車に乗ってるときから、ずっとボクのことを気遣ってくれてるでしょ? それに宿にいる人たちはとても温かくて……今はとても楽しい」


 ぐいっ、と伸びをする。冷気が腕を撫でてシャルルはさっと湯のなかに沈めた。


「ふふ、ちょっと寒いね?」

「だな。とはいえ浸かったままも良くない。そろそろ上がろう」


 湯舟の傍に畳んで置いてあったタオルに触れる。ローズの腕がぼんやりと光り、濡れていたタオルはすっかり乾いた。しかも仄かに温かく熱を帯びている。


「大きめのタオルにしておけばよかったな。ないよりマシだが」

「えへへ、あったかいねえ。濡れてもすぐ乾くし」

「それで体を拭いておけ、濡れたままだとすぐに冷えるから」

「うん、わかった。いいな~、ボクもそれくらいの魔法が使えたら……」


 ローズが指を弾いて彼女の額にこつんと当てる。


「必要以上の贅沢を求めるな。許された領分のなかだけで満足しろ」

「は~い……。いたた……結構本気でやったでしょ、今の」

「わりと強めにはしたさ。お前にこんなことが出来るのは私くらいだろ?」

「だね。たぶん、母様でもしないよ。ちょっと嬉しかったけど」


 ローズの眉間にぎゅっとしわが寄る。


「お前、まさかそういう趣味が──」

「じゃなくて! ほら、立場的なアレだってば!」

「……ああ、そういう。悪い、勘違いをした」


 シャルルはヴェルディブルグでも誰もが羨む地位──望んでいないとはいえ──をほしいままにしている。メイドや執事、それどころか貴族に至るまでの誰もが彼女がわざと生意気なことを言ってみても、叱るどころか愛想笑いをつくって「そのとおりですね」と相槌を打つだけだ。


 マリアンヌも忙しく、世話役に任せきりで彼女はいつもどこかにぽっかりと穴が開いたような気持ちを抱えていた。


 ローズは違う。彼女の生い立ちに興味もなければ立場など気にも留めない。たとえば相手が気にするとしても対等に接する。ジョークに笑いもするし、悪いことをしたと思えば謝ったり、生意気なことを言えば窘める分け隔てなさを持っている。


「なんだかとても新鮮なんだ。ありがとね、ローズ」

「どういたしまして。ほら、風邪をひく前に服を着ろ。商館へ行こう」

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