第5話 本当の気持ちは

 僕たちは動物園の入口にたどり着くと、大勢の家族連れが楽しそうに行き交う中、園の中に入るかどうか迷い、しばらく立ち尽くしていた。


「ねえ、せっかく動物園まで来たんだから、中に入ろうか?私、久し振りにパンダを見てみたいな」

「う、うん」


 僕たちは動物園の中に入り、由香子に連れられるかのように園内にいるあちこちの動物を見て回った。パンダ舎に入ると、フェイフェイ、ホアンホアン、そしてトントンと生まれてまもないユウユウのパンダ一家が仲良く餌を食べている場面に出くわし、由香子は興奮気味にその様子をじっと見つめていた。


「すごい!一家そろって竹を食べてる所に出くわすなんて、今日の私たち、すごくラッキーかもね」


 そこには、悩み事を話している時と違う楽しそうな由香子の表情があった。


 僕たちは、時間を忘れて動物園の中を歩き続けた。たくさんの動物たちの姿を見て、興奮しながらお互いに感想を述べあい、園内のほとんどの動物を見て回っていた。

 気が付いたら、動物園の閉園を告げるアナウンスが流れ始めていた。そして空には鉛色の雲が立ち込め、ぽつぽつと冷たい雨が二人の頭上にしたたり落ちてきた。僕の帰りの電車の関係もあり、別れの時間は刻一刻と迫っていた。次はいつ会えるのだろうか?三年生になり、これから本格的に受験勉強も始まるし、会う機会も無くなってくるだろう。それに由香子は、悩みを聞き、受け入れ、アドバイスしてくれる僕にきっと好意を抱いている。そうじゃなければ、バレンタインにお菓子を送ってこないし、会いたいなんて自分から言うはずもない。

 今こそ、自分の気持ちを伝える最大のチャンス……!そんな目論見が、僕の背中を強く前へと押し出した。

 気が付くと、僕たちは待ち合わせ場所だった西郷像の前にたどり着いていた。

 頭上には満開の桜、そしていつの間にか強くなってきた雨。

 折り畳みの傘をカバンから取り出して開いた僕は、由香子の前でまっすぐ背筋を伸ばし、目を閉じつばを飲み込んで心の準備を整えた。


「由香子さん、僕……」

「なあに?」

「僕、由香子さんのことが好きだ。文通でも由香子さんの真心に触れて心が惹かれていたし、今日こうして直接会って話して、やっぱり素敵な人だなって思ってる。だから、これからも……文通が主になるとは思うけど、ずっとお付き合いしていきたいって思うんだ」


 すると由香子はしばらく沈黙を保ち、そのまま何も言わず僕に背を向けた。

 これはダメだったのかな?僕は自分の勇み足を深く後悔した。


「ありがとう。純平さんの気持ち、すごく嬉しかった。でもね……」

「え?」

「上手く表現できないけど……今の私は、純平さんの気持ちに応えられないと思うんだ。ごめんね」


 由香子はそう言うと、ポニーテールを揺らしながら微笑み、僕の持つ傘の手の下に軽く手を添えた。


「でも今日はすごく楽しかったよ!純平さんとこうして会って話ができてよかった!これはウソじゃない、私の本当の気持ちだよ」

「由香子さん……」

「ねえ、もうそろそろ最終電車の時間でしょ?間に合わなくなったら大変だし、帰りましょ!」

「う、うん」


 そう言うと、僕たちは二人で一本の傘を持って、上野駅の不忍口の改札へと向かっ

 た。初めての相合傘……すれ違う人達は、僕たちの姿を見て、間違いなくカップルだと思うだろう。そのことを僕は何よりも嬉しく、誇らしげに思っていた。

 改札の前にたどり着くと、由香子は僕の傘から手を外し、にこやかな表情で手を振ってくれた。


「じゃあね。気を付けて帰ってね」


 由香子はまだ僕を好きじゃないことは分かった。けれど、これからも付き合って行けば、いつかきっと僕のことを好きになってくれる。そう思った僕は、改札をくぐる前に、由香子の前に片手を差し出し、全身の力を振り絞って自分の想いを伝えた。


「また会いたいよ。いや、いつかまた会おうよ。たとえ遠くても、たとえ受験勉強で忙しくても、僕は駆けつけるから」

「ありがとう」


 そう言うと、由香子は笑顔で僕が差し出た手をそっと握り返し、やがて手を離すと、小さく振りながら遠ざかる僕の背中をずっと見守ってくれた。

 僕はいつまでも見送ってくれる彼女の姿を、時折後ろを振り返っては名残惜しく見つめていた。

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