第6話 勿忘草
四月になり、この町でもようやく桜が満開を迎えた。
春休み、図書館での勉強を終えて家に帰った僕の机の上に、由香子からの手紙が置いてあった。会ってからしばらく音信がなかった彼女からの手紙を心待ちにしていた僕は、早速封を切り、相変わらず便箋にびっしりと書かれ文字を一つ一つ辿るように読みふけった。
「純平さんへ こないだはありがとう。すごく楽しかった。純平さんに悩み事を聞いてもらい、満開の桜を一緒に見て、パンダも見れて、本当に思い出に残る一日でした。そして純平さんからの言葉、すごくうれしかった。でも、本当に申し訳ないけど、私は純平さんを彼氏と見ることはできません。上手く言葉にすることができませんでしたが、純平さんは私にとって、一輪の『勿忘草』でした。彼氏彼女の仲ではないけど、私にとって心の中にずっと居続ける人だと思います。私が『勿忘草』というペンネームで文通相手を募っていたのは、恋愛相手を見つけたいと思っていたわけではなく、自分にとって『勿忘草』と思える人に出会いたい、と思っていたからです。そして純平さんと知り合い、やっとそう呼べる人に出会えたと思い、すごく嬉しかったです。けれど、その一方で私のことを恋愛対象として見ている純平さんの期待に応えることは難しいな、と思いました。色々考えた結果、お手紙のやり取りはこれで終わりにしたいと思いました。こんな形でお別れするのは本当に寂しいし、自分勝手だし、純平さんを悲しませてしまうかもしれませんが……私の想っていることを理解して欲しいと思います。今まで本当に感謝しています。ありがとう、そしてさようなら」
「さようなら」……その言葉を見た時、僕の手元から力が抜け、読んでいた便箋がひらひらと床に舞い落ちた。便箋は二枚あったようで、もう一枚はまだ手元に残っていた。僕はもうこれ以上読みたくない、と思ったけれど、辛い気持ちを押さえつつ、もう一枚の便箋に目を通した。
「追伸・純平さんは優しくて真面目で、すごく頼もしい存在です。だけど、私と付き合いたいからって無理に背伸びなんかしなくていいよ。純平さんは純平さんのままでいい。私はありのままの純平さんから力をもらっていたんだよ。無理しないで、今のありのままの自分に自信を持ってください」
読み終わった僕は、しばらく呆然とその場に立ち尽くした。彼女から突如切り出された別れの言葉を受け入れられず、便箋を握りしめたままどうしていいか分からず立ち続けていた。
そして僕は、思い立ったように机の中から由香子との文通に使っている便箋と封筒を取り出した。今ならばまだやり直せるかもしれない。ひょっとしたらもう一度関係を修復できるかもしれない……。藁にもすがる思いで、ありったけの気持ちを込めて「ごめんなさい。文通を止めることを考え直してください」と伝えようと考えた。
しかし、鉛筆をにぎる僕の手はまったく動かなかった。彼女の書いた言葉を思い出すうちに、これ以上取り繕う気力が失せ、そして何を書いても今の由香子には言い訳にしか聞こえないと思った。
僕は由香子の気持ちを分かったようで、何もわかっていなかったのだ。由香子の気持ちを満たそうとしていたのに、実際には自分の自尊心を満たそうとしていただけだった。そして、由香子に好かれようとして、無理して自分を繕おうとしていた。
そのことを思い出すだけでも辛くて、自分が嫌になっていった。
僕は便箋を机の上に置いたまま、肩を小刻みに震わせ泣き出してしまった。
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