優しい選択 01

「君は優しい人だね」

 俺はいつの間にか椅子に腰かけていて、机を挟んで向かい側に一人の男性が座っている。

 その男性には見覚えがあった。本人曰く、この世界の管理人さん。テーブルに頬杖をついて、俺をにこにこと眺めている。

 彼の言葉を聞いた俺は一瞬間の抜けた顔をしたが、直ぐに眉間に皺を寄せ、唇を小さく噛んで、目線を逸らす。

「そんな事じゃないです」

 少し乾いたような声色だったと、自分でも思う。

「褒め言葉を素直に受け取ってもらえないの、結構悲しいんだけれど」

「それはすみません」

 けれど、俺からすれば、どうも素直に受け取れるほどの褒め言葉には思えなかったので。

「俺は、優しい人間ではないですよ」

「そうかな。昔からの君を見ても、多くの人が君を優しい人だと口を揃えて言うと思うよ」

 彼は自身の手元にあった紙の束に目を通し、薄く目を細めて、薄ら笑いを浮かべた。

「とりわけまじめで、頑張る働き者で、滅多に怒らないで、些細な事でも相手を褒めちゃう。簡単な事ではないんだよ」

「……そうせざるを得ないからですよ」

「ほう?」

「その様な動作をするのは、自惚れと爽快感からだ」

 ぽつり、と口から零れて呟いた言葉は、自分でも驚くほどに冷めていた。

「礼を言われれば心が軽くなり、疲れがとれたりもする。人に親切になれば、自分の事も好きになる。自分は優しい人間。自分は余裕のある人間。と、手軽に自分自身に酔えるからだ」

 目の前の彼には嘘は言えない。許されない。正直にならないといけない。

 彼と対峙するときに正直に話そうと考えてはいたが、言葉を選ぼうと、考えようとする前に、口が勝手に動く。脳の考える機能が無くなってしまって、口だけが自立してしまっているんじゃないかって。そう思わざるを得ないくらいに、勝手に動いていく。

「他人の為に自分が犠牲になって貢献しようとする行為そのものが、『自分は意味あって生きている』『自分は価値があって生かされている』『生きるのを許されている』という自己肯定感を生み出すんです」

「うん」

「俺が俺の為を思って、生きるのを誰に許されたいのかも分からないまま、それでも許されたいと思いつつ、自分を認めたくてやる。それだけだ」

 俺は、貴方が言うような、そんな立派で優しい大人なんかじゃない。

 溢れ出てきそうなものを必死にこらえるように唇を噛みしめて、今すぐにでもどこかに逃げ出したい気分でいっぱいだった。誰かが俺を握りしめてしまえば、砂の塊のように、ぐしゃりと、さらさらと崩れ落ちてしまうんじゃないかと思わせる。それほどに、俺は脆くてろくな人間じゃないのだ。

「この世界に認めてもらう為に、生きるのを許されるために、良い人で居ようとした。それだけだ」

「ふうん、そっかそっか。成程ね。人って難しいことを色々と考えてしまうよねえ」

 やれやれ、と言いたげに目の前の彼はテーブルに両肘を乗せ、手を組みながら、その手の上に顎を乗せて、小さく笑みを見せる。

「僕からすれば、生きているだけで勝ちだと思うんだけどね」

「……そう、ですかね」

 脳裏に浮かんだのは、杏哉くんと苺音ちゃんだった。二人揃って此方に顔を向けて、小さく笑みを見せてくれる。

「うん、君のことは分かった。これも仕事だからね。色々と聞いて悪かったね」

 彼は納得するように何度か首を縦に振って頷いて、にこりと笑みを浮かべた。

「それじゃあまた来週。来週が最後だからね。寂しくなるなあ」

 それだけを言って、彼は立ち上がってそのまま外へ通じる扉の方へ向かって行った。

 見送りは良いよ、と小さく手を振られたので、俺は立ち上がることもせず、彼の背中を見送るだけにとどまった。

 寂しくなる。嘘をついているんだな、というのは、何となく察した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る