優しい言葉 03

「おーい! 兄ちゃん!!」

 玄関先から、元気な声が響いた。幼い子供の声だったと思う。

 突然の大きな呼び声に驚いて思いっ切り肩を跳ねらせ、思わず玄関のある方へ顔を向ける。苺音ちゃんに謝ってから立ち上がって、キッチンから顔を覗かすと同時に、壁に寄り掛かっていた杏哉くんとばったりと鉢合わせた。

「うわっ! 杏哉くんいたんですか!?」

「……ごめん、居ました」

「いや、まあ、それは良いんだけど……」

 彼の手元を見れば、取っ手のついた白い箱。お店のロゴ入りのシールが張られているのを見て、この間のケーキ屋のものだと察した。

 彼はケーキを取りに行ってくれて、家にやってきた。それは分かったので良いのだが、玄関先から、その店員さんである日向くんの声がしたのだが。

「ケーキここに置いていい?」

「あ、ああ、良いですよ」

 リビングのテーブルに置いても良いかと問われたので許可を出しつつ、玄関へ小走りで向かえば、扉の所で日向くんが立っていた。眩しい太陽のような笑みを浮かべて、手を振られる。

「よっ、兄ちゃん」

「日向くんどうしたんだい。ここまで来て」

「んー……今日でさよならだから、挨拶に来たんだ」

 少しだけ寂しそうに眉を下げて、彼は言う。

「今日、なんだ」

「そう。バス停もすぐそこだから、兄ちゃんと一緒に来たんだ」

 えへへ、と少し気恥ずかしそうにいうもので、彼が本当に最後に会いたかったのは誰なのか、すぐに分かった。

「呼んでこようか」

「え!? いや、えっと!!」

 こっちまでつられて照れてしまいそうなほどに真っ赤になっている。

 可愛らしい。甘酸っぱい。

 小さく笑みを浮かべて、少し待ってるようにお願いをして、苺音ちゃんの名を呼ぶ。すれば、杏哉くんと一緒に、玄関へ向かって歩いて来た。

 涙が伝っていた苺音ちゃんの顔に、涙の痕はなかった。どうやら顔を洗ったらしい。

「日向くん、今日でバイバイなんだって。一緒にお見送りしません?」

「ええ!? 良いよ!」

 さらに顔を真っ赤にさせて、今にでも顔から湯気が出てきそうだ。苺音ちゃんは俺と日向くんを交互に視線を向ける。目を向けられた日向くんは、あうあうと小さく、言葉にならない声を零している。

 可愛らしい、と、面白い、の両方の感情が入り混じってしまう。面白い、と思ってしまっている辺り、自分は悪い大人だろう。

「……行きます」

「へ!?」

「うん、それじゃあ行きましょうか」

 彼女の手を掬いながら、彼女が靴を履く際に傍にいて。その間も、日向くんは、そわそわと視線を泳がせて、服を握りしめたり引っ張ったりしつつも、苺音ちゃんの方に目を向けていた。

 そんな彼の動作が、まさしく恋する男の子で、見ててとても微笑ましい。

 子供組が先に靴を履いて準備万端になったので、大人組である俺と杏哉くんも靴を履く。全員で玄関から出て鍵を閉めて。

 日向くん曰く、お兄さんはバス停で待っているらしい。


 *


「日向遅いぞ。もうすぐバスが来る」

「ごめんな~!」

 日向くんの言う兄ちゃん、という人は自身の腕時計を確認しながら、少し眉間に皺を寄せて此方を見た。

 日向君だけが来ると思っていたのに、彼を筆頭にぞろぞろと数人で歩く姿を見て驚いたのか、ぎょっと目を開いたが、すぐにどこか納得はしたらしい。ああ、と小さく声を零して、薄く笑みを浮かべる。

「ああ、貴方が知唐さんですね」

「え? ああ、そうです」

「話は聞いてますよ。大変そうですね」

「は、はあ……」

 お兄さんが笑みを浮かべながらも意味深な事を言ってきた。つられて笑みを浮かべる。

「皆さんでうちに来てくれたんでしょう? ありがとうございました」

「いえ。ケーキとっても美味しかったです。この後も食べるので、楽しみです」

「それは良かった。日向が、ケーキ屋やりたいって言ってたから。最終日まで、という約束だったんですよ」

「そうだったんですね」

 お兄さんは日向くんを優しい目で見つめてから、そっと彼の背中を手で押した。

「ほらほら、もうここには戻って来ないんだから。悔いの無いようにしなくちゃ!」

「はあ!? 何を!?」

「言っちゃえよ、ほら」

 ぐいぐい、と背中を押すけれど、日向くんは顔を真っ赤にして、お兄さんに負けない様に押し合っている。

 けれど、お兄さんに根負けしたらしい。彼は少しだけ口を尖らせてから、苺音ちゃんと真剣に向かい合う。

 胸元に手を添えて、数回、すうはあと深呼吸をして、最後に大きく息を吸ってから決心したようだ。彼は少しだけ前屈みになるような勢いで、気持ちを言葉にした。

「好きです!!!」

 その大きな声に、苺音ちゃんはパチクリと真ん丸な目を更に丸くして、驚きの表情を浮かべた。

 真っ赤にしている少年の方を暫し眺めてから、自分が好意を向けられたことに、段々と気付いて来たらしい。少しだけ頬を赤く染めて、俺と杏哉くん、そして日向くんの方へと、3方向へ視線を忙しそうに泳がせた。

「……苺音、真っ直ぐな気持ちには、素直に答えるんだぞ」

 顔を手で押さえながら杏哉くんは言った。お父さんショック受けてるじゃん。

 お父さんである彼のアドバイスを聞いて、彼の方へ一瞬目を向けてから、日向くんの方へ真っ直ぐと視線を向けて、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい!」

「だよな!」

 知ってた! と日向くんは服の胸元の部位を握りしめた。悔しそうに唇も噛みしめている。勇気ある行動だったと思う。君は素晴らしい。

 彼の様子に、苺音ちゃんも少し慌て始めた。少しだけ忙しなく手を動かしてから、唇を小さく噛んでから、ゆっくりとその小さな口を開いて、ぽつりぽつりと言葉にする。

「えっと、でも、嬉しかったです……」

「……本当?」

「あの、その、ほんとう、です」

 少しだけ恥ずかしそうに、顔を赤くしながら顔を下げていく。

 先程までの彼女が話していた内容を思い出した。学校を嫌っていて、人と関わろうとしていなかった彼女は、もしかしたら、同年代からこうして好意を向けられたことが初めてだったのかもしれない。それは友愛的な意味でも、恋心と言う意味でも。

 こんな純粋な好意を、真っ直ぐと向けられたことは、きっと、彼女にとって自信となると思う。フラれてしまった日向くんには大変申し訳ないが、俺も礼を言いたい気分になった。

「日向、次があるさ。良い経験になったな」

「うるさい、兄ちゃんのばか……」

 少しだけいじけている日向くんをお兄さんが宥めていると、バスが走ってきた。

 そちらに目を向ければ、小型のバスだった。乗客は見るかぎり一人もいないようで、まさしく田舎のバス。

 バス停でスピードを落とすと、空気が抜けるような音がして車体が少し沈んだように止まった。そのまま扉が開かれて、お兄さんが先にバスに乗り込む。

「ほら、日向。約束だろ」

「……分かってるよ」

 日向くんは最後にこっちを見ると、少し浮かべている涙を腕で乱暴に拭ってから、ニッと歯を見せて笑みを見せてくれた。

「少しだけだったけど、楽しかった! ありがとう!」

「……こっちこそ、美味しいケーキありがとう」

 また会えたらいいね。という言葉は口にする事が出来なかった。何故だかは分からない。

 きっと、彼とはもう会えないだろう、というのがハッキリと脳が訴えてきていたからだ。

 バイバイ、と大きく腕を振って、少年はバスに乗り込んだ。乗り込んだのを待っていたかのように扉は閉まり、少ししてからバスは発車する。

 一番後ろの席に座り込んだらしい。少年は最後まで此方に手を振っていて、俺達3人も揃って、手を振り続けていた。


 暫く手を振り続ければ、バスの姿もすっかり見えなくなった。

「……ケーキでも食べましょうか。今日は、苺音ちゃんの誕生日ですし。苺音ちゃんのケーキは大きく切り分けましょうかね」

「っ! はい!」

 俺の提案を聞いて、苺音ちゃんは元気良く返事をして、俺達より早く踵を返して、家に向かって足を進めた。

 彼女の柔らかく長い黒髪が揺れるのを見て、小さく笑みを零してから、彼女に置いて行かれないように足を進める。

「……さっき、苺音に色々と話をしてくれただろ?」

「……聞いてたんですか?」

「ごめん。立ち聞きしてた」

「べつに怒りませんよ」

 勝手に家に上がって良い、とは言っていたし、家主と大切な娘が真剣に話をしている場面を見つけたら、気になって耳を立てても不思議ではない。

「ありがとう」

「え?」

「俺、ちゃんとあの子に伝えられなかった。頭の良いあの子に、何を言えばいいんだろうって」

「……あの子は、どんな言葉でも受け止める子なんだと思います」

 杏哉くんが俺の方に目を向ける。小さく口元を緩ませた。

「良いことも、悪いことも、受け入れる。きっと長所ではありますが、辛いと思う事も増えると思う」

「……うん」

「だから、君の真っ直ぐな気持ちを。自身は苺音ちゃんの味方なのだという事を、素直に伝えてあげてください」

「……そうだなあ」

 俺の言葉を聞いて、彼は小さく吹きだした。

「誰かに似て、優しい子だからな」


 *


「はい、アンタの分」

「うん、ありがとうございます」

 真っ白なお皿に載った、真っ赤な宝石で彩られたタルト。あの少年の大好きが込められているような気分がして、より一層美しく感じた。

「苺音ちゃん、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 お祝いの言葉を述べれば、頬をほんのりと色づけて、口元をゆるゆるにしていた。

「……苺音おめでとう。俺は、お前の父親で嬉しいよ」

「……えへへ」

 父親からの真っ直ぐな言葉がこそばゆいのか、彼女は両頬を手で添えて、赤くなった頬を隠す。けれど、隠しきれずにいて、それが何だか可愛らしくて仕方ないのだ。

 なお、杏哉くんも、普段からは言い慣れていないのか、顔を赤くしている。その表情や態度がそっくりで、ああ、親子なんだなと思わせた。

「そういえば、杏哉くんの誕生日はいつなんですか?」

「パパは、今月の最初だよ」

「そうなんですか!?」

 思わず彼の方へ顔を向ける。それがどうかしたか、と言わんばかりの表情だ。

「言ってくださいよ、も~……」

「だって、アンタと会う数日前じゃん」

「そりゃあ、確かに? そうですけど?」

 出会った人の誕生日が、出逢う前にもう終わってしまってるほど虚しいことはない。

「よし、じゃあ杏哉くんの遅ればせながらのお祝いも込めましょう!」

「は!? 別にいいのに」

「良いんです。俺が祝いたかったので」

「……あんがと」

 大切な存在となった二人の誕生日を一緒に祝えて、逆に自分が幸せなのだ。逆に俺の方こそ礼を言わせてほしいくらいだ。

「……アンタの誕生日は? 覚えてる?」

「あー……分からないです」

「それじゃあ、一緒に祝っとく?」

「おお、何だろうこのお得感。それじゃあ、3人分の誕生日おめでとう、ってことで」

 ジュースの入ったコップを軽く、カツンカツンと鳴らし合って。

 ケーキが待ちきれなかったのか、それとも照れ隠しか。苺音ちゃんは目を輝かせて、フォークをタルトに突き刺した。迷いのない動きに小さく笑みを浮かべ、俺もつられて右手にフォークを手に取った。

 一番尖った部分を、フォークで刺してすくい取った。数分の一のサイズになった苺から一刺しされたタルト生地が、ホロホロと少しだけ崩れて、お皿の上にこぼれた。

 一口サイズの、少年の宝物を口に含んだ。甘酸っぱい苺の味を邪魔しない程度のシロップ。程用柔らかく、けれどさっくりとした食感のタルト。どこかさわやかな風味も広がって、脳裏には眩しい少年の姿が映し出された。

 砂糖がいっぱいではない、苺の甘みを生かしたケーキは、優しくて、何度も口に運びたくなる味がした。

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