優しい選択 02

 恥の多い生涯を送ってきました。

 とある有名作品の一説が脳裏に浮かぶ。恥の多い生涯ってなんだろう。罪を犯すことだろうか。誰かに償えない程の傷を負わせることだろうか。


 ガタン、ゴトン、という音と共に身体が少し左右に揺れた。

「うーん、やっぱり、窓くらいは閉めて来ればよかったかな」

 ぽつり、と呟いた俺の言葉に、俺の隣に座っていた杏哉くんは、一瞬だけ俺の方に顔を向けて、すぐに反対の方に目を向けた。

 杏哉くんとは反対の俺の隣には、苺音ちゃんが腰かけて本を読んでいる。

 俺達は今、いつもいる街から出て、電車に揺られている。

 簡単に言えば、弥生さんの言いつけを破ったのである。


 事の発端は至ってシンプルだ。

 俺は一人、ぼうっと庭で立ち尽くしていた。庭に咲いている花に、適当に如雨露で水をあげて。俺は花なんて詳しくないから、水さえあげてればいいだろうと言う安直な考えの元に行っていた。

 少しずつ雨の様に降り注ぐ露。太陽の光を反射して、きらきらとしている。

 管理人さんとの対話を、思い出していた。

 ふ、と誘われるようにして、空気を入れ替えるために少しだけ開いていた窓ガラスを覗きこみ、そこに映し出された自身の顔を見る。

 くたびれて疲れた顔が映っていた。

 これのどこが、優しい人間に見えるのだろう。

 ふ、と自嘲して俺が笑うと、うつった顔は、ほ、と笑う。ガラス面にうつる男は、意思を持たぬ虚無の表情に、稚拙に、ほ、と笑うように顔を歪めている。

 とろりと意志のない顔をして笑っている。違和感を覚え、顔に手をやれば、俺の口元もとろりと笑っている。

 恐ろしくなり、ふらりと後退る。

 ぱしゃり、と水たまりに足をついた音がした。

「ねえ、どうかしたの」

 後ろから声が聞こえて、ゆっくりと振り返った。その時に舞い起こった風で、ふわり、と俺達の髪の毛が揺れる。

 髪の毛越しに見えたのは、もう馴染みのある杏哉くんと苺音ちゃんの姿だった。

 彼等の姿が見えたので、どこか少し遠くへ行っていた自身を呼び戻して、小さく口角を上げて笑みを見せる。

「杏哉くんと苺音ちゃん。いらっしゃい。どうかしたんですか?」

 そんな俺の表情を見て、彼は眉間に濃い皺を寄せた。

 あ、あれ? 何か怒らせるようなことをしたかな!?

 慌てながら彼の名を呼べば、ずんずんと彼は俺の方へ歩み寄ってくる。顔が整っている人が感情を露わにすると、少し恐ろしく感じる。

 慌てながら、どうしたんだと何度も問いかけ、最後に彼の名を呼んだと同時に、彼に手首を握られた。

「気晴らしに、海行かない」

「……海?」

 彼の提案に思わず首を傾げると、そのまま、ぐいっと腕を引っ張られた。手に持っていた如雨露を落とし、中に残っていた残り少ない水が少し零れて、地面に水たまりを作る。

「い、今から行くんです?」

「そうだよ」

「どこの」

「電車に乗って、少し先の所」

「で、電車は乗っちゃいけないんだ」

 弥生さんの言葉を思い出す。乗り物に乗ると、行き先があやふやになって危険になるのだと、言っていた。

 そんな俺の言葉に、彼は少しだけ視線を横に動かしてから、すぐに何事も無かったかのように脚を踏み出した。

「え、ちょ……!」

「大丈夫だよ。俺達も居るし。俺達がよく乗る電車だから、行先とかも全部、分かってるから」

「そう、なんだ」

 それなら、行き先が迷子になることも無いかもしれない。

 先程までは抵抗をして、自身の方へ引っ張る様に力を込めていたが、抵抗する気持ちは失せてきて、彼の引っ張る力に任せるようになった。

 それを察した彼は、苺音ちゃんに声を掛けて、一緒に駅の方へ歩き始めた。


 電車内の窓は少しだけ開かれていて、外からの風が勢い良く入り込んでくる。やっぱり、家の窓を閉めて来ればよかった。もしかしたら、部屋の中に砂埃とか葉っぱとか、入り込んでしまっているかもしれない。とそんな事ばかりが頭をよぎっていた。

 海に行こう、と言われたものの、詳しい場所はまだ分からない。どのくらい時間がかかるのか、それも分からないまま、彼等に着いていく。

 電車内には人はいなかった。田舎の電車など、その程度だろう。それとも、俺の想像力が足りていないから、乗客を生み出せないのだろうか。


 電車は、30分もしないで目的地に到着したようだ。

 降りるよ、と杏哉くんに促されて、彼の後を追う様にしてついていく。

 駅は無人だった。改札口にICカードはおろか、自動改札機すらない。本来であれば駅員さんがチェックするのかもしれないが、居ないのであればチェックを行う事も出来ない。

 取りあえず、杏哉くんに習って、改札口に置いてある籠の中に切符を入れておいた。

 駅から出れば、すぐに潮のにおいがする。

 ぶわり、と海から舞い上がる様にして吹いた風が、俺達を包み込む。う、と小さく声を零して、顔をしかめて、少しだけ顔を伏せる。

 この駅は、海が目の前にあった。

「行くよ」

 杏哉くんに促されて、海風が吹いてくる元へ足を進める。

 夏とは言えない季節の海は、真っ青とは言えない色合いをしていた。

 夏のコントラストの強い海と空の組み合わせとは違って、今の季節の海と空は、どこか淡い色合いのフィルターがかかっているように見えた。

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