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「よっと」


 車のなかに飛び込む。


「ごめんなさい。出して出して」


 運転席。女性だろうか。固まって、動かない。


「あの。はやくはやく」


 あっ。

 しまった。

 とりあえず飛び込んだけど、タクシーじゃなかったか。車を出ようとドアに手を掛けたところで、ゆっくりと車が動き始める。


「ごめんなさい。もしかして、タクシーじゃ、ない?」


 運転席。女性。無言。


「あの」


 えっなんかこわい。綺麗な顔が、完璧なまでに、無表情。


「え、なんか、ごめんなさい。もしかしてたくしーじゃなかったですか?」


 彼女の唇が、開いて、何かを言おうとして、閉じる。そして、ちょっと間を空けて。一言。


「ばかにしてる?」


「え」


 やばい。やっぱりタクシーじゃなかったかもしれん。


「あ、あの。ごめんなさい降ります。タクシーだと思って」


 ドアに手を掛けたところで。


「うわっ」


 待って。けっこう速度出てる。


「あの。停めてもらわないと出れないの、あの」


 彼女の綺麗な顔が、ちょっとだけ。そして、戻る。また一言。


「ばかにしてる?」


 うわぉ。こわいよ。


「ごめんなさい」


 何か、ものすごく気をわるくしてしまうようなことを、したのかもしれない。

 いや、そりゃあそうか。タクシーだと思って見知らぬ人間が乗ってきて早く出せとか言ったら、そりゃあ、そうか。


「ごめんなさい。よく分かんないけど、追われてて」


 それしか言えない。


「で?」


 ええ。

 で、って。うそ。何を話せばいいのか分からない。分からないよ。


「あ、あの。記憶がなくて」


 いやまずいか。いきなりこんな話をしても信じられないか。


「起きたら、記憶がなかったんです。交差点のベンチで寝てて。そして、なんか人が追ってきて。よく分かんなくて逃げ回ってるんですけど。何も分かんなくて。車に乗っちゃってごめんなさい。ほんとごめんなさい」


 めちゃくちゃだな。でも事実だからどうしようもないんだよな。どうしよう。降りるに降りれないよ。


「名前」


「え?」


 彼女。

 なみだが。


「わたしの名前」


「え。え?」


「わたしのこと。言ってみて」


 えええ。んな無茶な。

 初対面ですよ初対面。


「歩待恭可。32歳。脇の下の胸との付け根が弱点。同僚に言い寄られている。まず同僚に俺を紹介して、3人で暮らせばいいのに。え。あれ?」


 うそ。何これ。めっちゃすらすら出てくるけど。何この情報。知らないんだけど。

 車のスピードが。

 だんだん。

 ゆっくりになって。

 止まった。


「正解」


 彼女の笑顔。

 まって泣いてる。彼女めっちゃ泣いてる

 いや分かんない。分かんないです。もう何が正解なのかも。何もかも分からないです。


「いいよ。大丈夫。ありがとう」

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