墓守り辺境伯と天使な修道女

4^2/月乃宮 夜

【求婚編】


《前置き1》

墓守り辺境伯の領主代行はそろそろいい年なので結婚相手を探していたが、土地は広いが不毛で魔獣に荒らされる、顔は良いが金が無い、権力も無いと無い無い尽しで縁談は断られ、付き合っても「墓ばかりで面白くない」「不気味」だの言われて振られる。半ばやけくそで昔から好きだった唯一この領土にある教会の修道女に求婚したところ、断られた。


《前置き2》

修道女は領主代行の事を幼い頃から好いている。しかしやつがヘタレで中々手を出して来ないので気を引く為に聖女になってみようかとか半ば冗談で考えていたら「本気で聖女になってみますか」の言葉だけを聞いた領主代行に「いいんじゃないですか」と応援される。弁明する暇無く、彼はその数日後にある社交パーティ出席の為に領地を出る。



「──……神よ、哀れな人々(死人)に安らかに眠りを…」


 満月の美しい夜。修道女がいつものように夜の祈りを捧げていたその時、ガタン、と、礼拝堂の扉が開く音がした。葉の色付く季節特有の、ひんやりとして腐葉土の香が混ざる外の空気が、修道女の元まで流れ込む。


「……どなたでしょう」


今は日付が変わり始める時間帯だ。しかし、修道女はあまり警戒していなかった。何故なら、夜は領土の人間以外は出入りできないように領地の境界にかなり強めな結界が張られているからだ。

 明かりのない礼拝堂をこちらに向かって歩く人影は足取りがおぼつかなく、なんだかふらついている。


「……(こんな時間に、酔っ払いかしら?)」


結論をいうと、酔っ払いである。修道女が聖女としてこの土地を離れるかもしれないと思い、パーティにてそれを忘れる為に酒を、気を落ち着かせる為に煙草を嗜み過ぎた領主代行だ。


「……あぁ、やはり、ここに居たんですね…」


ふ、と、相手の零した安堵の溜息で、その人影が領主代行だと修道女は気付いた。そもそも彼ほどの高身長な人間は領地内に居ないので、遠目からでも薄らとは分かっており、声で確信したのだった。


 身体はふらついて居るものの、周囲の椅子や机にぶつかったり、転んだりなどしていないので、流石軍人、と言うべきか。と、修道女は何となくで感心していた。


「…社交の招宴は終わったのですね?」


 彼は基本的に社交の為にパーティが終わるまで会場に残るらしいので、聞くまでもなく終わっている筈だ。なんだかいつもと様子が違うので、やや警戒しながら、領主代行に話し掛ける。


「…貴女が夜はここで祈っている事は知っていたのですよ…」


しかし、彼は修道女の問いかけには答えず、ゆっくりと近付いてくる。


「暗い中でも分かります、貴女の祈る姿はいつ見ても美しいですね…」


いつのまにか距離を詰めていた彼は目を細め、修道女の白い頬に触れた。


「……あの、」


 なんだか、普段よりも距離が近い。いや、近すぎる。その事に修道女は戸惑いつつも、ちょっぴり嬉しく思っていたりする。だって、中々近付いて来ないんだもん。


「…手放したく、ない」


頬に触れる彼の手もなんだか熱い。黒い革の手袋越しだと言うのに。そして、やけに近いその吐息に、酷く酒と煙の臭いが混ざっている事に気付いた。


「んんっ、」


彼が少し背を曲げ下がんだのを見た刹那、口内に苦味が広がった。頬に触れて居た手が後頭部にまで滑り、修道女の頭を押さえ付ける。


酒臭い、ヤニ臭い、苦い、苦しい。


口の中に、温かいものが入り込む。それは修道女の舌に絡まり、不思議な高揚感を与える。しかし、苦い。肺に流れ込む、彼の湿った吐息も煙たくて喉がヒリヒリする。


 何をするのだと訴えかけても、離れようと胸板を強く押しても、領主代行は止めてはくれない。呼吸がままならず、修道女は溺れているような心地だった。


「……行かないで、ください」


ようやく口付けを止めた領主代行は、掠れた声を零す。


「……あら?」


急に新鮮な空気を吸い込み咽せていた修道女は、その訴えを聞き、なんの話かしら、と内心で首を傾げた。「聖女になってみようか」と言った自身の台詞を一瞬忘れて居たのであった。


「私には…貴女しか居ない…」


修道女の背に腕を回し、領主代行はゆっくりと抱きしめる。


「貴女じゃなきゃ、駄目なんです…」


自身の台詞を思い出した修道女は、その弁明をしようと口を開こうとするが、


「私は、「世界の為を思えば…貴女が聖女にならなければならないのは分かってる」


「あの、「でも…」…」


彼は今、人の話を聞いてくれそうな状態ではなさそうだ。彼女は不満そうに少し口を尖らせつつも口を閉ざす。


「そうなれば、貴女はもう、ここには帰って来れなくなるでしょう…」


聖女になれば、『国のため』に、色々な土地に赴かなければならなくなる。おまけに、魔獣が大量に現れる危険なこの土地には直接行くことも出来なくなってしまうだろう。折角手に入れた聖女を手放す訳にはいかないのだから。


「それに」


ぎゅっと、抱きしめる力が強くなった。


「上からの命令で『私じゃない誰か』と結ばれるでしょう?」


彼を見上げると、憂いを帯びた赤い目と合った。聖女になれば、ほぼ確実に国の権威の為に王子や公爵等の有力な貴族と婚姻を結ぶことになってしまう。


「…………それが、とても嫌だ」


彼の、絞り出すような声に、彼女は目を見開く。彼が、はっきりと拒絶の言葉を吐くのを、初めて聞いたからだ。


「私は、貴女にずっとこの場所に居て欲しいし、誰かと結ばれる貴女を見たくない」


そして、なんとなく、彼が何を言うのかの予想がつき始めていた。


「ずっと、ここで私だけを見ていて欲しい」


──言ったな。内心で、いや、態度にまで出して、修道女は溜息を吐いた。こんな、プロポーズじみた台詞を、酔っぱらった状態で言うなんて。


「……目をお覚ましください、酔っ払いさん!」


修道女は、バチン、と強く領主代行の両頬を手で挟む。


「……なんですか…」


目を見開く彼の赤い目が月明かりを受けて綺麗…じゃなくて、


「その台詞、素面になってから言ってください!」


「酔った勢いでのプロポーズなど、以ての外です」と、彼を見つめ少し怒りながらそう伝えるが、


「貴女も、私が嫌い…ですか」


目が据わっている。投げやりな求婚の事といい、普段の言動といい、この男はどうして乙女心を分かってくれないのだろう。


「そうではありません!」


再び近付いてくる彼を押し返しながら、修道女は言い返す。その抵抗も虚しく、彼は修道女に息がかかる程まで距離を詰め──


「……じゃあ、なんで私、の…求婚……を…断ったの、です…」


──寝やがった。


肩にのしかかる彼は、静かに寝息を立てている。


「……投げやりに、『断られてもいいや』って感じで求婚したからですよ、全く」


ふぅ、と修道女は溜息を吐いたのだった。


×


「…とりあえず、御屋敷に運びましょう」


 うんしょ、と修道女は図体のでかい領主代行を担いだ。魔術を使ってパワーブーストしているので、いくら鍬や鋤を持って畑を耕したり、木登りして果物を捥ぐ、か弱い…か弱い?修道女の細腕でも、気絶した成人男性一人くらいは持ち運べる。


「領主代行様をお届けに参りましたよ」


 屋敷のノッカーを鳴らし、扉を開けた従者達に修道女は告げる。社交パーティ帰りだと言うのに単身で礼拝堂にいらした領主代行様は、どうやら屋敷に帰り着いた後、色々置いていってそのまま勝手に礼拝堂まで来ていたらしい。


「礼拝堂の前で倒れていたので、とても驚きました」


と。


領主代行様に、きつく言っておいてくださいね、と従者に領主代行を引き渡し、修道女は屋敷を去る。



「…(……神よ、罪深い私をお許しください…)」


帰り道、そっと手を組み、修道女は祈る。


 本当にあった事など、言える訳がないのだ。恥ずかしいし。怪しまれないよう、一旦地面に転がした。その衝撃で起きないかなぁとか思っていたが、起きなかった。

 しかし、領主代行を受け取った従者は気付いていた。修道女の薄い化粧の、淡い色のリップが不自然に剥げている事と……領主代行に、その色が移っている事を……。それは漏れなく領主に伝えられ、祝杯と呆れが屋敷内に広がった。(当人達は知らず)



 次の日。修道女は今日も礼拝堂で祈りを捧げていた。

 ちなみにこの修道女、実は昼間の祈りではこっそりと眠っているのである。日付が変わるまで夜に祈っているせいである。司教にバレないよう、すごく綺麗な祈りの姿勢のまま眠っている。

 実は司教はその事を知っているけれど、祈りの方向性(死者)を考えれば夜の方が正しいので「見つからなければ」良しとしている。ちなみに司教は昼間に礼拝堂には来ない。


ガタン、と礼拝堂の扉が開く音がした。


「ね、眠ってませんよ」


間違いなくぐっすり眠っていた。慌てて身支度を整えて修道女はそっと振り返る。と、


「……あら」


真っ白い礼拝堂の中で酷く浮いている、真っ黒衣装の領主代行だった。青白い顔が、更に青白く見える。


「……どうしました?」


首を傾げ、近付く彼を見上げる。彼が立ち止まった場所の距離は、なんだかいつもよりちょっぴり、遠かった。


「大変、申し訳ありません」


そう言うなり、彼は頭を下げる。綺麗なお辞儀だ。さすが、貧乏だが腐っても貴族。


「……」


にこ、と修道女は微笑む。


「……昨日…いえ、夜中の、非礼の…」


彼は気不味そうに言葉を続ける。欲しかったのは、謝罪の言葉ではなかった。驚きはしたけれど、嫌ではなかったからだ。それは、相手が領主代行だったからであり、他の相手だったならば触れられた時点で間違いなく、魂を肉体から分離させていただろう。


「(やはり……私の方から言うべきでしょうか…)」


そう、修道女が溜息を吐きそうになった時、


「責任を、取ります」


目の前に花束を差し出された。


「私と…結婚していただけないでしょうか」


投げやりではなく、正真正銘、心の込められた言葉だった。真っ直ぐに見つめる眼差しに、頬まで熱が昇る。


「…もちろんです」


これ以上、彼の気持ちが籠った言葉など、あるだろうか。


「……良かった、」


安堵の息を吐き、彼は表情を和らげる。


「……どうして、前は断ったんですか」


不思議そうにする彼に、修道女は少しむっとして言い返す。


「女の子は意外とロマンチストなのですよ」


「いくら好きな相手でも、投げやりだったり、酔った勢いなんて嫌なのです」と言っても、あまりピンと来ていないようだった。そもそもこのタイミングで聞かないで欲しい。


……いや、この顔は。


「えい」


つん、とその額を突く。それと同時に術を込める。


「…あっ、」


二日酔いの頭痛を浄化し取り払ったのだ。


「……ありがとう、ございます」


不甲斐無い、と項垂れる彼に


「そういうところも、可愛いので好きですよ」


修道女は微笑んだ。


×


彼が差し出した花は、純白で綺麗な花ではあったけれど普通はプロポーズには使わない花である。何故なら、この国では死者に捧げる為の花だったからだ。その花言葉は、「死者を悼む」、「安寧を祈る」。


「(……これも、貴方らしい、と言うべきなのでしょうか…)」


花を礼拝堂ではなく、自身の部屋に飾りつけながら修道女は小さく笑みを溢す。この花には、あまり周囲には知られていない花言葉があった。それは


「……『ずっとあなたと共に』」


約束ですよ、とここには居ない彼に語りかける。

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