第八陣 (2)

 

 

 肩を震わせて縋りつくその人の髪を撫でる。

 本当は抱き締めてしまいたかったが、思うように力が入らない。

「瑠璃」

 呼び掛けると、突っ伏していた瑠璃がはっとして身を起こした。

「な、……??」

 一体どれほど泣いていたのか、目も鼻も真っ赤になっている。

「そんなに泣くな、顔がぐしゃぐしゃだぞ」

 瑠璃はぱくぱく口を動かすが、声が声にならない様子だ。

「じ、銃太郎殿……、ほんとに目が覚めたのか……?」

「ああ、大丈夫だ」

 軽く微笑んでみせると、瑠璃はまたぞろ大粒の涙をぼろぼろと溢し始めた。

 その涙を拭ってやるために、うまく力の入らない上体をやっと起こす。

 と、同時に瑠璃が抱き着いてきて、危うく押し倒されるところだった。

「…………っ、うぉぉぉおん!!」

「る、瑠璃、落ち着きなさい。大丈夫だから」

 その背にそっと両の腕を回し、抱き締める。

 瑠璃が全力で銃太郎を案じてくれていたことは疑いようもなかった。

「だってッ! もうこのまま死んでしまうかと……! あんこなんか塗るんじゃなかったと……! ふぉぉぉんん!!」

(それは姫君の泣き方じゃないぞ……)

 っていうか、あんこって何だ。

 と、内心で突っ込むが、今はそんなことはどうでも良かった。

 腕の中でべそべそ子供のように嗚咽する瑠璃を宥めながら、銃太郎は語りかける。

「瑠璃、どうかこのまま、私の話を聞いてくれるか──」

 

   ***

 

 西に安達太良の山脈を臨む大壇口の古戦場。

 後に鉄道を通すために切り崩された大壇山は、当時とは少々地形が変わってしまっているが、見下ろす奥州街道は相変わらず残っている。

「なぁ、本当に良かったのかよ」

 西の稜線を見詰めて立つ瑠衣の背に、亮助は一言そう問い掛けた。

 気合の入り過ぎた木村鳴海の一撃で、銃太郎は昏倒した。

 一度は皆で老婆の家に運び、声を掛け額を冷やしたり、瘤の有無を確かめたりもした。

 だが、それでも目を覚ます様子はなく、やはり救急を呼ぼうかと話し合っていた矢先のことだった。

 一瞬。ほんの一瞬だけ、全員が銃太郎から目を離した時だ。

 はじめから何も無かったかのように、忽然とその姿が消えていた。

 その後の皆の慌てようは、筆舌に尽くし難い。

 瑠衣は銃太郎が目を覚ましたのでは、と家中を探し回り、鳴海は殴られた衝撃で忍術でも会得したに違いないとかでそこら中の壁を叩き周った。

 ただ、亮助と老婆の二人は案外冷静だった。

 老婆も思いがけずしんみりした様子で、

「聞いではいだけんちょも、本当に忽然と消えっちまったなぁ」

 と、何処かそれを理解している風でもあった。

(なんか、呆気なく帰っちゃったなぁ)

 瑠衣の言い出した、

『鳴海に殴られて未来に来たなら、鳴海に殴られればまた帰れる』

 というのが、結局のところ正解だったのだろうか。

 それとも、別な何かの要因が、偶然あの瞬間に働いたのかもしれない。

 あのまま元の時代に帰ってしまったのなら、彼は戦死の運命を免れないだろう。

 その証拠に、今もふと足元を見れば、「木村銃太郎戦死の地」と彫られた石碑が静かに建っている。

 今し方、二人が供えたばかりの献花が、碑の両側で小さく風に遊ばれていた。

 郷土史研究部、なんて設立してしまうくらいの姉・瑠衣がそれを知らないはずがない。

 今は昔、この大壇口古戦場は、激しい戦火に見舞われた。

 まだ幼い門下生の少年たちを率いて、木村銃太郎が布陣した土地だ。

 そうしてこの場所で、銃太郎は二十二歳という若さで命を落とす。

 彼の辿る運命、そして二本松藩の敗戦。

 歴史の結末は、語るに辛いことばかりだ。

「姉ちゃん。銃太郎さん、ここで──」

「お黙り、愚弟」

「ちょ、あのなー、オレは真面目に訊いてんだけど!」

 瑠衣は振り返らなかった。

 その口調は普段と変わらない──、ように聞こえた。

「良かったのよ、あれで」

「けど、銃太郎さんが生き残れるようなアドバイスとか、もっと何かオレらにも出来ることあったんじゃねーのかよ?!」

 元々歴史になど、興味はない。

 だが、出会った以上、その人に興味がないとは、もう言えなかった。

 銃太郎がどうなるかを知っていて、瑠衣がそれでも彼を帰そうと躍起になっていたのは何故か。

 それが、亮助には解せなかった。

 銃太郎が戦死するのが本来の歴史で、もしも生き残ってしまったら、或いは銃太郎があのまま今の二本松に留まってしまったら、郷土の歴史は変わる。

 銃太郎が門弟たちを率いて出陣しなければ、二本松少年隊というものも今日ほどには謳われなかっただろう。

「歴史が変わろうが何だろうが、そうなったらそうなったなりの未来があるんじゃねぇのかよ。銃太郎さん見殺しにするような真似して、姉ちゃんは後悔しねーのかよ!」

「いいんだって言ってるじゃない!!」

 言い返した瑠衣の声が、僅かに震えた。

「あの人は、自分が戦死するって分かっても、きっと帰りたいって言ったはずよ」

 普段は憎まれ口ばかりの姉が、今は泣いているのが分かった。

 頑なにこちらを振り返ろうとしないのが、その証だ。

 途端に、姉を責めるような発言をしたことに後悔を覚える。

「あんたも何度も聞いたでしょ。あの人が守りたいのは、今の二本松じゃない。あの人が生きる時代の二本松なのよ」

「だけど、銃太郎さんが戦おうが何だろうが、結局、負けちまうんだろ? だったら、銃太郎さんの命だけでも守ってやれたんじゃないかって、オレ──」

「私は、ちゃんと銃太郎さんを守れたと思ってるよ」

「…………」

 戦死する運命に帰したことで、一体何を守れたというのか。

 亮助は納得がいかない思いで、奥歯を噛んだ。

「目の前でさ、自分の家が知らない奴に勝手に壊されそうになってたら、あんたはどうする?」

「はぁ? 何、急に」

「私は死に物狂いで抵抗すると思う」

 訝る亮助に構わず、瑠衣は続ける。

 仮の話だろうが、それは誰でもがそうなのではないだろうか。

「……まあ、オレもぶん殴っちゃうかな、それは」

「当時の二本松はね、丹羽家を中心にした一つの大きな家なのよ。共に暮らす家族みたいなもんなの。大事な家や家族が危険に晒されたら、小っちゃい子供だって必死で守ろうとするでしょ」

「……うん」

 姉の言葉に、すとんと溜飲の下がる気がした。

 同時に、銃太郎の思いも、また、年端もゆかぬ少年たちの出陣についても。

「彼は彼の時代で、彼の大切なものを守るために戦う。あの人を戦場へ送り返すことは、彼の想いを守ることと同じなんだ、って──、私はそう信じてるよ」

 やや鼻にかかった瑠衣の声は、それでも、凛としていた。

 今日も大壇口は静かだ。

 時折、二、三両ほどしかない短い列車の走り抜ける以外は。

 

 

 風は、春が芽吹く気配を運ぶ。

 この地に生きる全ての者に。

 この土地に、永劫に。

 

 

 【了】

 

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