第八陣 (1)

 

 

「瑠璃様! お留まりください! 小此木殿の話をどこまで真に受けていらっしゃるのか!」

「やかましい! 不服があるならそなたは城で待っておれ!!」

 どたどたと大廊下を足早に行く瑠璃を、鳴海は右往左往で追いかける。

 対する瑠璃は、隙あらば前を阻もうと滑り込む鳴海をその都度押し退けるように躱した。

 こうしている間にも、銃太郎の命が刻々と削られている。

 そう思うと、一刻の猶予もないように感じられた。

「く、口移しなど、死罪にも値しますぞ! そんな薬など、この鳴海にお渡しください!! ねっ!?」

「馬鹿を申せ、緊急時に何が死罪じゃ! そなたが嫌がっていたから、私がやろうというだけであろう!?」

「ええええ!!? わ、私のせいだと仰る!?」

「ああもう黙りゃ! 舌を噛みそうじゃ!」

 なんだかんだ引き留めつつも、鳴海は口だけで、無理に抑え込もうとはしない。

 臣下としての遠慮が働く上、瑠璃のそのすばしこい身の熟しと鬼気迫る形相に圧されている風でもあった。

 結局、木村家の門を潜るところまで馬を並べてついてきたのだから、鳴海も本気で制止するまでには至らなかったようだ。

「たに殿! 私じゃ、ちょっと邪魔をするがよいか?!」

 鳴海を伴って訪れた瑠璃を見るなり、たには目を丸くした。

「え、珍しいですね。お二人揃ってお越しになるとか……」

 いつも鳴海を出し抜きながら木村家にやって来る印象しかないのだろう。

「小此木から気付け薬を受け取ってきた」

「気付け? でも、効き目があるのかどうか……」

「今度こそは何としても効かせてみせる!」

 話す暇も惜しいとばかり、たにを急かして銃太郎の病床へ向かう。

「た、たに! お前も瑠璃様をお止めしろ! このままでは銃太郎の貞操が……!」

「は? 兄の何ですって?」

「っだから! 瑠璃様は銃太郎のくくく唇をうばうばば……!」

「はぁ?」

 後ろでごちゃごちゃとたにを言い含めようとしているらしかったが、瑠璃の耳にはもはや入って来なかった。

 程なく締め切った襖の前に来ると、瑠璃はぴたりと足を止める。

 それに合わせて、背後の二人も立ち止まった。

 些か日に焼けた襖紙の目前で、瑠璃は振り返らずに口を開く。

「たに殿、先に詫びておくことがある」

「えっ、何ですか、兄の貞操の件ですか」

「るるる瑠璃様、早まってはなりませんぞ! そこまで思い詰めておられるならば、この大谷鳴海、とっっっても嫌ではありますが瑠璃様に代わって銃太郎の口を吸う覚悟を──!!」

「えぇっ、いやだ鳴海様、やっぱりそういうご趣味が?」

「ばっ……! そんなわけがなかろう、これも瑠璃様の純潔をお守りする為にだな──!」

 相変わらずごちゃごちゃ煩い。

 主に鳴海が喧しいのだが、たにも結構煽っている。

「確実に飲ませるため、気付け薬を口移しする」

「ああ、そういう……」

 ははぁと得心が行ったかのように、たには深く頷いた。

「その、……前にも話したが、銃太郎殿には意中の女子があると聞いている。本当ならその者に頼めれば良いのだが、もう悠長に構えている暇は無い」

「姫様……」

「これから、本当に申し訳ないことをする。この事は、今ここにいる三人だけの秘密にしておいて欲しい」

 出来れば、目を覚した後の銃太郎にも。

 そう言いながら振り返ると同時に、鳴海が大袈裟にがくりと膝をつく。

「ううう……瑠璃様っ……なんとお労しい……!」

 大袈裟に泣き崩れているが、たにのほうはじっと瑠璃の目を見返して首を傾げた。

「んー……、まあ、姫様がいいなら、兄に不服はないと思いますよ?」

 なのでちゃっちゃと中へどうぞ。

 と、たには襖を開けに掛かる。

「……え? いや、たに殿?」

「このままだとうちの兄、ほんとに死んじゃうかも」

「!!」

 たにの一言が胸に突き刺さった。

 心の底にあった不安を言葉として聞かされると、それが実現してしまいそうな焦燥に襲われる。

「たたたたにィィ!!? お前、この期に及んでうちの瑠璃様を煽るとは何事か!?」

「鳴海様は私がお預かりしますので、姫様は兄をよろしくお願いしますね!」

 瑠璃を越して室内に踏み入ったたにの姿を目で追う。

 その先に布団に横たわったままの銃太郎は、幾日も目を覚まさぬままだ。

 心なしか、生気も失せて痩せてきているように見えた。

 このままでは本当に死んでしまう。

 視界に飛び込んだその姿に、じわりと涙が込み上げ、瑠璃は思わず銃太郎のそばへ寄り添った。

「銃太郎殿」

 まだ年端もゆかぬ門弟たちに、手取り足取り銃を構える姿勢を教えていた姿を、思い起こす。

 瑠璃自身もまた、そのうちの一人だ。

 その教えは厳しく、なかなか良しと言ってはもらえなかったが、姫君の我儘に付き合って丁寧に教えてくれていたものだ。

 その手を取れば、変わらず大きく温かい。

 しかし、その手も今は幾らか骨が浮き出しているように感じ、瑠璃は握った手にぎゅっと力を込める。

 もう無理かもしれない、という思いが首を擡げてくるのを押し留め、瑠璃は天井を仰いで薬を含んだ。

「いやぁ瑠璃様待ってぇぇぇえええ」

「はいはい、鳴海様。兄の命が掛かってるんで、邪魔しないでくださいね」

 賺さず声を張り上げた鳴海が、たにに引き摺られて行く。

 が、瑠璃には最早そんな寸劇に目をくれている余裕はなく。

 薬を含んだまま、銃太郎に覆い被さるようにして、その唇を重ねたのだった。

 

   ***

 

 啜り泣く声が、ぼんやり聴こえていた。

 誰かが泣いている。

 分かるのはそれだけで、その姿は見えない。

(瑠璃が泣いている、ような気がする)

 いつも元気に突っ走っていて、まあまあ図太い神経の持ち主だが、意外と繊細な一面もある人だ。

 何か悲しい事があったのか、押し殺すような泣き声。

(涙を拭ってやれたら良いのに──)

 というか一体、泣かせた奴はどこの誰だ。

 成敗してくれるわ。

 と、大谷鳴海が言いそうなことを思う。

 その瞬間、か細く聴こえていた泣き声がふつりと途切れた。

 が、一拍置いて。

「ぅうわぁぁぁーーーーーん!!!!!」

 凄まじい慟哭が響いて、一気に意識が引き上げられた。

「ふぇぇえええええええん!!!」

「っっ!!?」

 きんと耳を劈く声に弾かれるように、銃太郎はその双眸を見開いた。

 何事かと咄嗟に起き上がろうとして、何かが胸にしがみついていることに気付く。

「うぉぉぉおおおおん!!」

「え……」

 銃太郎の胸に取り縋って、おんおん泣きじゃくるのは、紛れもなく瑠璃その人だった。

 銃太郎が目覚めた事に気付いていないのか、ぎゅうぎゅう抱き着いて、時々洟を啜る。

 瑠璃がこんなに取り乱しているのを見るのは、初めてだった。

 だからだろうか。状況がよく呑み込めず、そのまま暫く固まってしまった。

 目だけで周囲をぐるりと見渡せば、そこはいつもの見慣れた屋内。

 ただ、いつもと違うのは瑠璃が縋って泣いているということだけだ。

「ううう……ッ、銃太郎殿……」

 嗚咽を上げながら名を呼ぶその声が懐かしく、殊更愛おしく感じる。

 これほど案じて、自分のために涙を流してくれることが、堪らなく嬉しかった。

 

 

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