第七陣 (3)

 

 

 銃太郎には申し訳ないが、今の亮助には使命がある。

 万が一にも勘付かれたら、あとでどんな目に合わされるか分かったものではない。

 婆さんの野良仕事を手伝う好青年を、わけの分からん武士擬きに襲撃させようというのだから、我が姉ながら鬼のようだ。

「あれ、何飲んでんの? お茶?」

「ん? ああ、これは氷餅を白湯に溶かしたものだ」

「……へー」

 氷餅。

 何それ美味しいの、とはこういうときに使うものだ。

 そんなことを思いつつ、亮助は銃太郎の手からやおら湯呑みを取り上げて、一つ煽る。

 が。

「…………」

「え、……どうした、大丈夫か亮助」

(うん、……くっっっそ薄い)

 薄まずい、と言っては申し訳ないので黙っておくが、妙な沈黙と共に固まってしまった亮助を、銃太郎は心配そうに覗き込んでくる。

「ありがと、返すね、これ……」

「あ、ああ。それほど濃い味ではないからな」

 亮助の口には合わなかったらしい、と何となく感じ取ってくれたのか、苦笑しながら湯飲みを受け取る銃太郎。

 やっぱり良い人だ。

 こんな良い人を、これから竹光でぶん殴るだなんて。

「なんだべ、今の子供は贅沢だない」

「いや、つかコレあれだよね? 和菓子、ほら柚餅子とかのまわりにきらきらーってくっついてる白いの! アレだよね!?」

「あー、んだんだ。そいづだ」

「銃太郎さんいつもこんなの食べてんの? なんかちょっと痩せた気がすんだけど……」

 亮助の指摘を受けて、銃太郎は自分の腕や胴を気にし出す。

「そうか? そうでもないと思うが、まあそろそろ米が欲しいな」

「なぁんだべ、したら早ぐ言わっせ! 昼はまんま炊いでやっから!」

 銃太郎の背中を、老婆のしわしわの小さな手が思い切りよくばしばしと叩く。

 婆さんの割に力はあるようで、銃太郎もやや仰天したように見えた。

 元気の秘訣は多分、野良仕事だ。

「まんま炊ぐんでは、婆ちゃんは先に支度しでっかんない! ちぃっとしたら、ふたんじ(ふたりで)帰ってこせ」

「え? あ、それなら私も手伝う──」

 よっこらしょ、と声を上げて鍬を放り込んだ竹籠を背負う老婆に、銃太郎が続こうとする。

 が、亮助は賺さず銃太郎の腕を掴んで引き留めた。

「? なんだ亮助、どうし──」

「じゃー俺らも後から行くね! 婆ちゃんの昼飯楽しみにしてるー!」

 言ってから、掴んだ腕をぐいと引き寄せ、銃太郎の顔を覗き込む。

「……オレさ、やっぱ銃太郎さん帰るのヤダよ」

「亮助?」

「だって戦争になるんだろ? そんなのやっぱり行かせたくねーよ」

 きょとんと目を丸くした銃太郎が、暫時の沈黙の後で笑う。

「こうして惜しんで貰えるのも、嬉しいものだな」

 だが、そういうわけにもゆくまい。

 と、銃太郎は徐に亮助の頭をわしわしと撫でくり回す。

「は? ちょ、何すんだよ!」

「いや、良い奴だなと思って、つい」

「それ良い奴っていうより、良い子良い子だからな!? やめろよ!? 十七だからな!?」

「ああ、門弟にもついやってしまうんだが……、悪い、そういう歳ではなかったな」

「もー、そういうの喜ぶのお子様だけだからな!」

 苦笑する銃太郎が事のほか楽しそうに見えて、それ以上怒る気を失くしてしまう。

「亮助、ありがとうな。瑠衣殿や恵殿にも、随分多くのことを気付かされた気がする」

 独りごちるような小声で言ったのを、聞きのがすことはなかった。

 そこで木村鳴海がさり気なく省かれていることも。

(木村先輩、ほぼ襲い掛かるだけだったもんな……)

 そりゃそうか、と溜飲を下げる。

 そしてこれからまさに、その木村鳴海が襲い掛かってくる予定である。

「今なら、瑠璃にも素直に心を打ち明けられそうな気がする」

 心境の変化があったのか、銃太郎の横顔は実に清々しいものだった。

「なあ亮助」

「ん?」

「姉君は好きか?」

「はぁ? なんで姉ちゃん?」

 脈絡もなく、なぜそこで姉が出てくるのか。

「いや好きは好きだよ? とんでもねえ奴だけど、あれでも姉ちゃんだし」

「瑠衣殿のこと、大事にしてやれよ。共に過ごせる時間は、存外短いからな」

 清々しさの中に、ほんの少し寂しげな翳りが差した。

 家族は大事にしろ、と言っているのは分かったが、何となくそれが別れの言葉のように聞こえてしまう。

 そんな風に言ってくれているというのに、当の姉は今も物陰で隙を窺っていると思うと大分申し訳ない。

「銃太郎さんもさ、あんたオレから見ても格好いいし、優しいし、何なら木村先輩と入れ替わって欲しいなーとか思うし……」

 普段ふざけたことばかり言っているせいか、上手く褒め言葉が出てこない。

「つまり、瑠璃ちゃんだってあんたのことすごく好きだと思うんだわ」

 だから、立場とか身分とか小難しいことが色々あるにしても、それはさておき、

「絶対好きだって伝えたほうがいいからな!」

 一瞬目を丸くした銃太郎が、次にはふわりと柔らかく微笑む。

「そうだな、ありが────」

「成敗ィィイイイイ!!!!!」

 ばこーーーーん!

 と、良い空気を引き裂く咆哮と、強烈な打撃音。

「え、今?!」

 にっこり微笑んだ銃太郎の脳天目掛けて、真後ろから鞘ごと振り下ろされた木村鳴海の魂。

 それをまともに受けた銃太郎は、微笑んだまま前にのめり、倒れ伏した。

「えええええ今のこの空気感で突入する!!??」

「迷い武士、討ち取ったり!!!」

 それっぽく決めポーズを取り、大声で勝鬨を上げる木村鳴海。

 倒れた銃太郎は気をやったか、起き上がる気配もない。

「見事だったわ! あんたやれば出来るじゃない!」

「やりました部長!! これで俺との祝言──」

「嫌だよ埋まれ」

 物陰に潜んでいた瑠衣ものこのこ姿を現し、ひとまず首尾よく目的を果たしたことを喜ぶ。

 が。

「いや姉ちゃん、コレ絶対帰れてないでしょ、どう見ても!?」

 そのまま倒れているし、身体が透けていたり……なんてことも、勿論ない。

 ごく普通に、それはもう何の変哲もなく昏倒している。

「ええ……なんでよ……?」

「だから言ったじゃん、そんなんで帰れるわけないってさぁ!」

 折角、いい感じの話をしていたのに。

「なあ銃太郎さん、大丈夫かよ!?」

 ゆさゆさと肩を揺さぶってみても、瞼はぴくともしない。

「どーすんだよ姉ちゃん!? やばいぞこれ!」

「どどどどどうしよう? 救急車……いやこういう場合って何を呼んだら……あっ、御匙!? ん!? 衛生兵!?」

 瑠衣も流石にまずいと感じたか、血の気の引いた顔でおろおろする。

 すると、下手人である木村鳴海がそっと銃太郎の首筋に手を触れた。

「いや、脈は正常なようですよ、部長。ひとまず少し様子を見ましょう」

 それがしが家まで運びましょう。

 とか何とか、誰よりも冷静かつてきぱきと動くのが意外だった。

 

 

 【第八陣へ続く】

 

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