第七陣 (2)
ちょいちょい爺さん呼ばわりするのは、呆けでも何でもなく、わざとやっているのではないか。
じとりと怪訝な眼差しを向けても、対する老婆は何のその。
にんまりと口の端を上げてほくそ笑んでいる。
「おめ、さては何か悩んでんだべ? 恋の悩みなら聞いてやっぞ?」
「え、いえ、そういうわけでは……」
今は全く別なことを考えていたわけだが、悩んでいるのは事実だ。
老婆はこちらを眺め、にやにやと実に楽し気だ。
「まあほれ、コレくれっから婆ちゃんに言ってみっせ」
からからと笑い、老婆は籠から何かを取り出すと、銃太郎の持つ湯呑の中にひょいと放り込んだ。
「!? なんですか、何入れたんですか」
「こいづを湯に溶かして飲むと、元気になんだぞい」
そう言って、老婆は自分の湯呑にも同じように白い欠片を落とし、人差し指でぐるぐると混ぜる。
「?」
とりあえず真似をすれば良いのかと、手許の白湯に視線を戻すと、銃太郎はあっと声を上げた。
「氷餅、ですか」
「んだ。なんだべ、おめ知ってんのか?」
「いえ、氷餅なら我が家にもありますから」
「ほー? んだか? 珍し家だな」
氷餅と言えば、保存が利いて滋養もあるため、大抵の家には置いてあるものだ。
特に病人や妊産婦がいる家には必ずと言って良いほど置いてある。
然して珍しいものでもないはずだが、よくよく思い返せば、こちらに来て氷餅を見たのは今が初めてだろう。
前に氷餅を食べたのは、いつのことだったか。
妹のたにが婚家から里帰りしている為もあって、銃太郎も時たま、白湯に入れて飲んだことがあった。
「今では、珍しいものなんですか」
銃太郎の問いに、老婆は首を縦に振る。
「まあ珍しいんだか何だか。おらが生まれる前に、ここいらじゃあもう造らねぐなっちまったかんない。むかーしむかしは、深堀の氷餅っつったら、二本松名物だったんだぞい」
「そう、ですか……」
銃太郎は、氷餅を溶かした白湯を一口、口に含む。
微かな甘さが広がると同時に、何故か酷く懐かしい味がした。
自分の居た、元の時代。そこに当たり前に存在していたものが、今この時代では、その影すらおぼろげになっている。
こんなごく当たり前に日常の中にあった食糧一つとってさえ、その姿を消そうとしている。
城も、主君も、見慣れた城下も、此処でその姿を留めているものはない。
己が守るべき、守らんと誓うものが、此処にはないのだ。
いや、ここが未来であるのなら、残っていない、と言ったほうが正しいだろう。
主君もなく、城もない。
それはつまり、守るべきものを守れなかった、その結末ではないのか。
何故、二本松がこんな変容を遂げることになったのか。
知りたくない、と言えば、それは嘘だ。
だが同時に、知らずにおきたいとも思う。
この地が、元の時代で戦禍を被るだろうことは既に何となく察しがついていた。
瑠衣や亮助の様子を考えても、それは恐らく、真実この地の歴史として刻まれた「過去」なのだ。
あの書物を読めば、何が起こるのかが分かる。
誰がどうなるのかも、或いは。
(…………)
些かの動揺を覚え、銃太郎は手許に目を伏せた。
溶け残った氷餅の欠片が雲母のように光るのを見詰める。
その小さな輝きが、最後に見た瑠璃の瞳と重なった気がした。
「私は、道ならぬ恋に思い悩んでいました。諦めようと幾度も思い、忘れようと努めてきました」
吐露した悩みを、老婆はふぅん、と相槌一つで流す。
「初めはあの方をお守り出来れば、それで良いと思っていた。しかし、あの方と過ごす時間が長くなればなるほど、もっと近付きたいと願い、その目を私に向けて欲しいと──」
「おめ、阿呆の子だな?」
「あほ……!?」
結構傷付く。
今のは割と真剣に話したつもりだったのに。
すると老婆は馬鹿々々しいとでも言うように鼻で笑った。
「まぁーったぐ、そいづをそのまんま言ってやっせ。そのおなごさ言わねでどうすんだ? ずーっと仕舞っといでも何も変わんねんだぞ」
これだけ老齢の人でも、思っていることは本人に伝えろ、という。
「しかし、相手は身分の高いお方で、私などはとても……」
「おめは身分の高い低いで好きが嫌いが決めんのか?」
「そっ、そういうわけでは……」
「ほだべ? んじゃ、そのおなごは、身分で好き嫌いすんのか?」
断じて、そんなことはない。
そうでなければあれほど頻繁に城下を出歩き、様々な人と気軽に言葉を交わすことなどしないだろう。
「あの方は、相手が誰であれ、身分に囚われることなく気安く接しています」
だからこそ、いつの間にかするりと懐に入り込んでしまう。
「だったら言わねっか損だな! 言わねですれ違ったら、一生引ぎずっぺした」
先日、瑠衣に言われた一言をふと思い出す。
──想いが変わらない自信があるのなら、最後まで想い抜け。
「ここへ来てから、亮助たちにも色々言われましたが……誰かを想う気持ちに、確かに身分は関係がないのかもしれません」
相手に同じものを返して欲しいとは考えていない。そこまで願うわけではないのだ。
ただ、事実として受け止めて欲しいと思った。
これだけ強く想っている事を。
「んだんだ、まず言ってみっせ。そっから縁は強ぐなっていぐもんだ」
にんまり笑って、老婆は頷く。
「私は、必ず帰らなければなりません。正直、いつ帰れるとも知れない。突然ここから姿を消すこともあるかもしれないし、どう足掻いても帰れないままなのかもしれない」
しかし、と銃太郎は続けた。
「私は諦めない。必ず帰ります。そして、この想いも貫き通そうと思います」
老婆に、というよりは、自分自身に誓うように言う。
声に出してそう宣言すれば、気持ちの揺らぎは不思議と収まった。
老婆にしてみれば、恐らく銃太郎の言っている意味など半分も解せないだろう。
それでも、銃太郎の決心が着いたと察したのか、顔の皺を更に深くして笑っていた。
***
「なあ姉ちゃん、マジでやるの……?」
「やるわよ! 何のために鳴海に武装させたと思ってるのよ」
「部長のためなら、必ずや奴を倒してみせます……!」
畑の隅の材木置き場に身を隠し、亮助・瑠衣・鳴海の三人はひそひそと声を交わしていた。
「けど何もこんな格好しなくってもさぁ……」
ちらりと鳴海を横目で窺う。
普段よく身につけている甲冑ではなく、忍装束だ。
そして手には愛刀(竹光)が握られている。
実に怪しい出で立ちだ。
白昼堂々、真っ黒い忍装束はどうしたって目立つ。
秘密裏に作戦遂行するから、なのだろうが、実際のところ全く忍べていなかった。
「それにさぁ、やるならやるで、銃太郎さんにも一応了解取ってからのほうが良くね?」
「馬鹿ね亮助。『あなたをボコボコにさせて下さい』なんて言ったところで、『よろしくお願いします』なんて返ってくると思うの?」
「でも……とりあえず、元の時代に帰してやるための作戦なわけだしさぁ。そこんとこ説明すれば銃太郎さんだって大人しく殴られて──」
くれるかどうかは怪しいが。
「だいたい殴って元の時代に帰れるとは思えねーよ。殴った途端に銃太郎さん消えちまうわけ? ハハッ、ありえねぇ」
「うるっさいわね! そん時ゃそん時よ!」
瑠衣には思い留まるつもりは微塵もないらしい。
いくら竹光でも、不意を突いて殴ったら無傷では済まないだろう。
元の時代にも帰れず、その上怪我を負わされたのでは銃太郎も堪らないはずだ。
いや、本格的に武芸の鍛錬を積んできた銃太郎に、鳴海の付け焼刃な不意打ちが通用するのかどうかも怪しいところだが。
「真正面から打ち込むと躱されるから、やっぱり背後からね」
瑠衣はちらりと傍らの鳴海を見遣って眉を顰める。
相手は現役の武士、対するこちらは格好だけである。
「姉ちゃん、後ろからってそれ、卑怯すぎ……」
「何よ、文句あるの?」
「いや、木村先輩だってそんな卑怯な真似したくないんじゃね? ほら、武士道っていうの?」
「ハァ? 武士道? 何それおいしいの?」
盛大に眉根を窄めた瑠衣の顔は、大層歪んだ顔付きになっている。
酷い姉だ。
「なぁほんと姉ちゃん今すげぇ悪い顔してんの気付いてる? ねえ?」
「部長! あやつめを打ち倒した暁には、俺との祝言を……!」
「うるさい、気付かれるからあんたは黙ってなさい」
瑠衣の鼻先に強引に顔を割り込ませる鳴海を平手で押し退け、瑠衣は影からそっと銃太郎の様子を窺う。
「よし、婆ちゃんがびっくりして御逝去するといけないから、亮助は婆ちゃんを引き離しなさい。鳴海は私が合図したら襲い掛かるのよ!」
「し、祝言は……」
瑠衣の顔を左右から交互に窺い、そわそわし続ける鳴海。
「木村先輩、完全にスルーされてるから諦めなよ……」
あと祝言は流石に順番すっ飛ばしすぎだ、と一応の突っ込みを入れ、亮助は畑で休憩する二人のほうへ向かって行ったのだった。
***
「おーい、婆ちゃん、銃太郎さーん」
手を振りながら畑の斜面をのんびり歩いて行くと、二人もこちらに気付く。
「なんだべ、まーた学校行かねで!」
「いや婆ちゃん今日はお休みだからね! 日曜日よ!?」
「なんだ、亮助か」
婆さんの説教が始まりそうなのを笑ってかわし、二人の間に割り込んでいく。
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