第七陣 (1)


 

 その日も、図書館の一角で黙々と資料を読み耽る瑠衣の姿があった。

 亮助はその正面の席に着いて、姉の瑠衣が懸命に書籍と睨み合うのをぼんやり眺める。

 いくら今日が日曜だとは言え、朝から図書館に付き合わされる身にもなって欲しいものだ。

 おまけに、瑠衣の傍らにはまるで衛兵のように鳴海が仁王立ちしているときた。

(……木村先輩、今日は裃か)

 昨日の件で、甲冑で出歩くと脱がされるということを学んだらしい彼は、江戸時代の武士により近付いていた。

 チラチラ鳴海を盗み見ていると、その視線に気付いたのか、鳴海が目だけで亮助を見る。

「如何した、義弟よ。この義兄の顔に何かついているのか?」

「義弟!? ってそれオレのこと!?」

「部長の弟ならば、必然的に我が義弟ということになるだろう。何がおかしい!」

 おまえの頭が一番おかしい。

 と思ったが、実際に言ってしまうと、鳴海のことなのできっとまた取り乱すだろう。

 そして最終的には、鳴海もろとも姉に怒られる羽目になるだろうことは、容易に見当がつく。

「……そ、そういえば木村先輩。今日は恵さんは? 来ないんすか?」

 話題を逸らそうと尋ねると、鳴海は肩をいからせ、妙に鯱張った声で答えた。

「奴か……。奴なら、今日は民謡の稽古があるとかで、ここには来ないぞ」

「み、民謡……」

 初耳だ。

 恵が民謡を習っていたなんて。

 人には意外な面があるものだと、改めて実感した。

「てか、木村先輩は何も用事ないんすか」

「俺の用事は年中無休で部長だけだが? 不服でもあるのか」

「……」

 最早突っ込む気も失せる。

 が、話題の中心となっている瑠衣はと言えば、二人の会話などまるで聴こえていないかのように書物に没頭していた。

「なぁおい、姉ちゃん。すげぇ愛されてますね」

 ページを捲る瑠衣の視界に入るように、亮助は指で机を叩く。

 と、傍らの鳴海も瑠衣に視線を落として、少々頬を赤らめた。

「お慕いしており申す、部長! 祝言はいつにしますか……!」

「黙れそして埋まれ」

 一切の表情を変えず、視線すら上げずに冷酷な一言を放つ。

 今日も瑠衣は平常運転であった。

「……なあ、姉ちゃんって、なんでそんなに頑張って調べてるわけ?」

 資料の中に銃太郎を送り返してやれる方法が書いてあるとも思えない。

 それに、銃太郎を元の時代に送り返すことには、今も反対する気持ちが強かった。

「銃太郎さんのこと、帰しちゃっていいのかよ」

 問い掛けても顔すら上げない瑠衣に、念を押すように言う。

 見る限り、瑠衣は誰よりも率先して銃太郎を元の時代へ帰したがっているように思える。

 現に、帰る方法を探しているのは、銃太郎本人を除けば瑠衣だけだ。

「元の時代に帰っちまったら、もう会えねーんだよ? いいのかよ? 銃太郎さん結構面白いし、良い人だし、オレはあんま帰って欲しくないっつーか……」

「あんたね、現実的に考えなさいよ。国籍もない、戸籍もない、身寄りもない奴が、どうやってこの現代社会で生きて行くの。並大抵の苦労じゃ済まないわよ」

 確かにその通りだ。

 銃太郎は数えで二十二、現代の感覚で言ってもしっかり成人している。

 そんな年齢に達するまでの経歴を一切証明出来ないのは、痛いところだろう。

 だが。

「そんなの、……戦で死んじまうより、ずっとマシじゃねぇかよ」

 正面から言い募って、途中、声が萎んだ。

 銃太郎が元の時代で辿るであろう道を、瑠衣が知らないはずはない。

 それなのに、意地でも帰らせようとしている瑠衣が、亮助には酷薄に見えた。

 一瞬の沈黙が降りると、瑠衣がやおら書物を閉じた。

「まあどっちにしろ、手掛かりも糞もないんじゃあ、どうしようもないわね」

 深い吐息と共に、瑠衣は机にべたりと突っ伏す。

「ぶ、部長っ。肩を、おっお揉み、揉みましょう……!」

「おめぇはどっかでジュース買ってこい。私ウーロンな」

「あ、じゃあオレはコーラね、木村先輩」

 完全なる遣いっ走りな境遇にもめげず、瑠衣の頼みならばと、喜々として去りゆく鳴海。

 裃を着けた怪しい背中を見送り、亮助は瑠衣に視線を戻した。

「姉ちゃんて、結構冷たいよな。木村先輩にだって、もう少し優しくしてやればいいのに……」

「ついでにコーラ頼んだあんたに言われてもねー」

「木村先輩、ちょっとアレだけど、結構良い人だと思うよー? 付き合えばいいじゃん」

「悪い奴じゃないのは分かってんのよ。けどねー、あいつには潔さが足りないっつーか、しつこすぎるっつーか」

 分かるでしょ? と同意を求められ、亮助は苦笑した。

「まあ鳴海のことは置いといて、今は銃太郎さんをどうするかよね。そもそも、気が付いたら慶応四年から現代にタイムスリップしてた、なんて、話が滅茶苦茶じゃないの。アハハハ」

 ここにいる全員で、同じ夢でも見ているんじゃないのか。

 瑠衣は頭を抱えながら、とうとう笑い出した。

 理解を超える現象に直面すると、人間というのは意味もなく笑い出すものだ。

 出会った初日の亮助と銃太郎がそうであったように。

「まあまあ、落ち着けよ。そもそも銃太郎さんの話じゃ、あっちの時代で気を失ったのなんて、刀の柄でぶん殴られたからだって言うし? そんな怪我程度でタイムスリップなんて──」

 笑っちゃうよな、と亮助が言いかけたとほぼ同時。

 ガターン!

 という音と共に、瑠衣が立ち上がった。

 勢い余って椅子が吹っ飛ばされた音らしい。

「それよ!!!」

「はっ? え、何、いきなり……」

「どうしてそれを早くに言わないの! ぶん殴られて現代に来たなら、ぶん殴れば慶応に戻れるに決まってるじゃない!!」

「えええええ!? いやいや流石にそれはないんじゃねーの!?」

「で、誰にぶん殴られたの、銃太郎さんは」

「え? えーっと、確か、大谷鳴海……とか言ったかな」

「大谷鳴海!? 大谷鳴海と言えば、二本松藩随一の猛将と名高い鬼鳴海!」

「え、そんなすごい奴なの? 銃太郎さんはお姫様の側近だって言ってたけど」

「二本松で大谷鳴海と言えば一人しかいないわよ! 泣く子も泣かす鬼鳴海よ!」

「……泣く子を更に泣かすなよ」

 やっぱり姉の瑠衣も馬鹿だ。

 血は争えないな、と亮助は一人しみじみと思う。

「そう、大谷鳴海の一撃が鍵になってたってわけね。何よもう、それなら良い案があるじゃない!」

「良い案?」

 にやりと口角を上げた瑠衣に、亮助は言い知れぬ不安を覚える。

 どうせこの姉の言うことなので、大した名案ではないだろう。

 どんな奇策が飛び出すのかと、亮助はごくりと固唾を呑んだ。

「鳴海にぶん殴られてこの時代に来たのなら──」

「き、来たのなら?」

「この時代でも鳴海にぶん殴られればいいのよ!!」

 やっぱり。

 亮助は、がっくりと肩を落とす。

 多分、瑠衣の言う「この時代の鳴海」とは、木村鳴海のことであろう。

 それ以外に思い当たる人物はいない。

「そうよ、鳴海よ! 鳴海しかいないわ!」

「念の為に聞くけどさ、姉ちゃんもしかして木村先輩に──」

 ばこーん。

 と、今度はペットボトルが床に落ちる音で遮られた。

 振り返れば、そこには茫然と立ち尽くす木村鳴海の姿。

 絶妙なタイミングで戻って来る人である。

「ぶぶぶぶぶぶぶ部長、お、俺しかいない、って今……!」

 そして御多分に漏れず、都合の良いところだけ聞き、都合の良い解釈をしている様子だ。

 その、長年の苦労が報われたかのような表情が、亮助には眩しかった。

 

   ***

 

 良い天気だ。

 土を耕す手を止め、銃太郎は早春の晴天を仰いだ。

 ゆったりと流れゆく雲は薄くたなびき、そよぐ風も穏やかに春の気配を運んでくる。

 柔らかな陽射しに当てられた、芽吹く緑と土の匂いを吸い込んだ。

「そろそろ疲っちゃべー? ちっと休まっせ」

 畑の隅の桜の木の下で、銃太郎は白湯の入った小さな湯呑を受け取ると、下草を倒して腰を降ろす。

「おめのお陰で、今年は良いかんぷら(じゃが芋)が採れそうだ」

「そうですか。それは何よりです」

「おめにも食わしてやっかんない」

 そう言うと、老婆はやれやれと額の汗を拭い、水筒の白湯を注いで一気に呷った。

 不可思議な老婆だ。身元も明らかでない人間が居候していても、全く気に留める様子もない。

 余計な詮索をすることに遠慮している風でもない。

 が、仮に訊かれて身上を語ったところで、到底理解を得られはしないだろう。

「なんだって今日は無口だない、爺さん」

「えっ!? いや、そんなことは──」

 うっかり物思いに耽っていたが、老女の爺さん呼びで現実に引き戻される。 

 

 

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