第六陣 (3)
「家老座上、丹羽丹波様よ」
「…………」
予想外だ。
よりによって丹波の名が出てくるとは。
いや、別に家老座上が嫌われ者だとか言いたいわけではない。
というか、だ。
自惚れるわけではないが、今までに恵の口から聞いた「私の銃太郎様」とか「私の好みよ」とか、それらの言葉は何だったのか。
てっきり自分の名が出てくるかと思ったのだが、それはやはり自惚れと呼んで然るべきなのだろうか。
「た、丹波様のどこがそんなに好きなんだ?」
「あら、結構突っ込んでくるわね? まあいいわ、教えてあげる」
はぁ、と曖昧な返事をすると、恵は恍惚の表情で語り出す。
「彼が靴を持っていたらしい、って何かで読んでから、もう虜なの。ねえ、本当に丹波様は靴を持っていたのかしら? どう? あなた知らない?」
家老座上・丹羽丹波と言えば、銃太郎のような下級藩士がそうそう目通り適う相手ではない。
いや、稀に瑠璃絡みで顔を合わせることもなくはないが。
それでも、丹波が普段どうしているかなど知る術もない。
まして靴を持っているかどうかなど、分かるわけがないのだ。
「……丹波様が靴をお持ちだったとして、なんでそれで虜になれるんだ」
解せない。
出会い頭から薄々思ってはいたが、恵の考えていることは全く解せない。
「一人でこっそり靴を履いてみて、キャピキャピしてる丹波様……うふふ。そこでステップ踏んだりしてたらもう、最高だわ。丹波だけに、ルンバとかサンバとかタンゴとか踊ってたりしたらもう! 私に悔いはないわ……!」
(どうしよう分からない……!)
とりあえず、恵も一応郷土史研究部の一員らしく、歴史資料には目を通しているらしい。
恵の想い人が家老座上だという要らない情報も増えたが、当初の質問には辛うじて答えが出た。
「ついでに、部長の好きな人も教えてあげましょうか?」
「え……? 瑠衣殿は誰か、想いを寄せる相手があるのか?」
意外だ。
恋慕を知っているなら、木村鳴海に対しても、もう少し柔らかい対応が出来るはずだろう。
「ふふ、部長はあれでも、鳴海クンのことが好きなのよ?」
「……………………嘘だろ」
思わず、顔が露骨に引き攣る。
どう贔屓目に見ても、埋まって欲しそうにしか見えない。
「うふふ、意外そうね? 部長のあれは、照れ隠しなのよ?」
「嘘だ……、瑠衣殿のあの態度、絶対に好いた相手へのものではないぞ」
信じられない。
いや、信じたくない。
何故そう思うのかは分からないが、何となく溜飲が下がらなかった。
「あなたもまだまだ青いわね。女心というのは、そう容易く覗けるものではなくってよ?」
そして、年下の女子に青いとか言われる始末。
「女心、か」
瑠璃も、秘めた何かを抱えているのだろうか。
もしも人知れず誰かを想っているとしたら、それは一体誰なのだろうか。
「相手を振り向かせたいのなら、思いの丈を素直に打ち明けることね」
恵はさらりと言うが、それが出来るのなら何も悩まない。
そもそも自分は、振り向いて欲しいと思っているのだろうか。
願ってはならないことと知りながら、それでも尚、と。
「誰かを想えば、想われたいと願うのは当然のことよ。自信を持ちなさい、あなた自身の想いに」
「…………」
恵に返す言葉が見つからなかった。
少し離れたところでは、青山姉弟と鳴海とがわいわい騒いでいる。
竹光はどうやら瑠衣の手に渡り、無事鳴海から取り上げることが出来たらしい。
しかし鳴海も諦め悪く、「我が魂をお返しくだされ」などと叫んでいる。
「あら、鳴海クンの魂は竹光なのね。変わった魂だこと。ふふ」
瑠衣に絡んではあしらわれ、亮助が呆れながらも鳴海を慰める。
確かに、瑠衣は何だかんだと言いながら、鳴海を除け者には決してしない。
今朝だって、甲冑を無理矢理脱がせてまで鳴海を同行させたのだ。
本当に嫌っていたら、留守居として置いて行くこともできたはずで、そもそも招集すらかけなかっただろう。
(女子というのは、難しいものなのだな……)
***
「銃太郎殿を、砲術師範から外す――!?」
瑠璃は耳を疑った。
今し方、家老座上・丹羽丹波の口から出た言葉を、そっくり鸚鵡返しにして。
二人の姿は城内の奥、御家老の間にあった。
大谷鳴海とは同い年の家老座上・丹羽丹波も、流石に渋い顔をしている。
「沙汰したのか!?」
「いえ、まだですが、近く使いを出そうと思うております」
ひとまずまだ正式な沙汰が下されたわけでないことに、瑠璃は安堵の息を吐く。
だが、ほっとしてばかりはいられない。
「わ、私は反対じゃ。銃太郎殿の砲術は、我が藩の砲術を牽引してゆくべきものではないのか!?」
「原因不明の病、それも一切目覚めぬとなれば、師範など勤まるはずがありますまい」
「だが、目覚めぬと言ってもまだ四日目じゃ! 今少し様子を見るべきであろう! 少し打ち所が悪かっただけで、銃太郎殿は――」
「瑠璃様。この私とて、銃太郎の腕は見込んでおっただけに残念でならぬのです。しかし、砲術は今後軍の主力と見做すべきもの。いつ目覚めるとも知れぬ者を待つわけには参らぬのです」
「っそれは……」
丹波の尤もな説明に、瑠璃は声を呑まざるを得なかった。
まだ四日。
もう四日だ。
他の門弟たちには急な病と伝えたが、稽古は一時的に中断している有り様だった。
中には当然、見舞いを申し出る門弟も多かったし、銃太郎が昏睡状態に陥ってることは、そういつまでも隠し通せないだろう。
「聞けば、小此木の診立てでも、更に気付け薬を用いても、それでも回復の兆しがないというではございませぬか」
その通りだった。
小此木の診立てでも、明確な治療法は見出せないまま。
気付けを試してみても、それすら効果は無かった。
丹波の判断は正しいのかもしれない。
(銃太郎殿――)
瑠璃は俯きかけた顔をきりりと上げ、丹波に向き合った。
「丹波殿。その沙汰、この私に免じてあと二日だけ待って貰えぬか」
「二日?」
丹波は大いに訝ったようだった。
二日で銃太郎の目を覚まさせるとでも言うのか、と。
だが、瑠璃は正面からきっぱりと告げた。
「銃太郎殿は、必ず目を覚ます! 私は銃太郎殿が戻ってくると信じておる……!」
***
猶予はあと二日。
丹波も嘆息しながらその条件を呑んでくれた。
だが、あんな啖呵を切った瑠璃にも、妙案があるわけではなかった。
銃太郎が砲術師範の任を解かれようと、それは大した問題ではない。
そんなものは、銃太郎が目を覚ましさえすれば、いつでも復帰は叶うであろう。
しかしこのまま昏睡が続けば、その先に待つのは最悪の結果。
刻一刻と、その身体は衰弱し続けているはずだ。
このまま永の別れとなっても、不思議はない。
瑠璃にはそれが怖かった。
「鳴海、少し良いか?」
「おや、瑠璃様。……銃太郎のこと、ですかな」
御家老の間を出た瑠璃は、その足で御番頭詰所に立ち寄り、鳴海を呼ぶ。
「鳴海のくせに、察しが良いな。……って、それはそうか。普通、分かるな」
苦笑した瑠璃を目にするや、鳴海は眉尻を下げ、気遣わしげな視線を寄越す。
「こうなったら最後、お百度参りでも試してみようかと思う」
「お百度参り!? る、瑠璃様が、ですか」
「小此木にまで匙を投げられては、もう神仏に祈るよりほかに――」
そこまで言って、目の下が熱くなった。
途端に、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。
「あわわわ、瑠璃様っ! そんな、このような場所でっ! わ、私にあらぬ疑いが掛かりそう……!」
「だってっ! このままでは、銃太郎殿がっ……!」
死んでしまうかもしれない。
そう口走りそうになって、瑠璃は咄嗟に思い留まった。
もし声に出してしまえば、それが現実のものとなってしまうような気がした。
「瑠璃様――」
一度堰を切った涙は、そう簡単には止まってはくれない。
詰所の入り口で立ち尽くしたままの瑠璃の足元には、ぼたぼたと大きな雫が跳ねた。
鳴海が困り果て、どう慰めて良いかと頭を抱えたその時。
「おやおや、お二人揃って、これから銃太郎の見舞いにでも行かれるのですかな?」
妙にのんびりした声が割って入った。
「お、小此木殿、これはですな、その――」
「おや? これは姫様、如何されました?」
瑠璃がぼろぼろに泣いていることに漸く気付いたか、小此木は面食らったように言う。
だが、小此木が狼狽えたのはその一瞬限り。
「姫様、この小此木の話をちとお聞き願えますかな?」
小此木はにんまりと笑いかけた。
「なんじゃ」
「この話はですのー、私がまだ若い時分に父から聞かされた話、なんですがのう……」
「小此木の父上の話?」
やたら勿体ぶって話し始める小此木に、つい瑠璃も鳴海も耳を傾けた。
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