第六陣 (2)

 

 

「何故このような真似をなさった」

「……栄治に勧められた特効薬で、銃太郎殿が目覚めれば、と」

 どろどろの餅とあんこが何故特効薬になると思ったのか、全くもって解せない。

「瑠璃様が銃太郎を案じておられたのは承知しております。しかし、素人判断はなりませんぞ。反省しておられますな?」

「……はい」

 しょぼん、と肩を落とす瑠璃。

「何か思いつかれましたら、まずはこの鳴海に御相談頂きたい。今度やったら次こそは、めっ! ってしますぞ」

 極力、きつくならぬよう心掛けて、鳴海は言う。

 既に瑠璃も十七。頑是ない童女ではないものの、幼い時分から傍で見ているせいか、つい甘くなりがちである。

「因みに、事後にまずいとお思いになったなら、逃げずにせめて顔を拭いてやるべきですぞ……」

「うう……すまぬ。その、ハナクソが面白うて、とても拭けなかったのじゃ」

 そのやり取りを傍で見ていた小此木が、堪え切れず肩を震わせて噴き出していた。

 

   ***

 

 二本松市、香泉寺。

 ひっそり静謐な風の吹くその境内には、銃太郎と瑠衣たち以外に人の姿はない。

 古く立派な扁額を掲げた本堂と、その周囲には墓地が広がる。

 そう広いとは言えない境内の片隅には、露座の大仏が鎮座していた。

「これは……」

 思わず近付いて見入るが、露座の大仏には銃太郎にも間違いなく見覚えがあった。

「何よ何よ、なんか分かりそう!?」

 珍しく銃太郎が反応したことを察して、瑠衣が駆け寄ってくる。

「このお寺、はるか戦国の世に生きた、畠山義国公の開山だものね。その後に丹羽光重公の町割りがあってこの場所に移転してきたわけだから、あなたの時代にも勿論、香泉寺はここにあったわよね?」

「ああ、寺もあったし、この大仏にも見覚えがある」

 すると瑠衣もまた、大仏に目を向けた。

 幾星霜も露天に座したままの大仏は、その瞳を伏せている。

 銃太郎は瑠衣と並び立って、その穏やかな顔を眺めた。

「じゃあこれは知ってる? この香泉寺の境内には、吠鳴石ぼなきいしっていう岩があってね、夜な夜な不気味な泣き声が……」

「ははは、その正体は、豪気な町医者にこてんぱんにされたむじなだろう?」

 子どもの頃からよく聞いた昔話だ。

 懐かしさもあって思わず笑ってしまったが、瑠衣は驚いたように銃太郎を見上げた。

 視線に気づいて振り返ると、瑠衣は慌てて笑顔を作る。

「ん? どうかしたのか?」

「この話、知ってるんだ?」

「まあ、昔語りは皆幼い時分に色々と聞かされて育つからな。私も例外ではない」

「そっかぁ。あなたの時代には、まだみんな、当たり前のように知ってたのね、この話」

 地元に住む人でも、今はもう知る人など殆どいないだろう。

 よほどに郷土の歴史に興味を持った親でもない限り、子に語って聞かせるような話ではない。

 瑠衣はそう言って、はにかんだように笑う。

 瑠璃によく似たその顔は、嬉しそうにも、またどことなく哀しそうにも見え、不意に胸の締め付けられるような感覚を覚えた。

「では瑠衣殿に、私から問題を出そう」

「え、なに?」

「その吠鳴石が、この境内のどこにあるかは知っているか?」

「えっ!? いや、それはー……」

 瑠衣はぱっと視線を外したかと思うと、きょろきょろ目を泳がせる。

 どうやら、岩の存在は知っていても、実物がどこにあるかまでは分かっていないようだ。

「え、えーとねー……」

 知らないくせに、答えようとする。

 その焦った様子がおかしくて、銃太郎は小さく噴き出した。

「瑠衣殿、正解の場所へ案内しよう」

 香泉寺の境内を北の端まで行くと、未だ区画の明確でない墓地に入る。

 勾配のついた墓地の斜面は、土こそぬかるんではいないものの、しっかりとした足場はない。

 おまけに西から流れて来る雲が俄かに増え、日陰の暗さが地面に重なる。

 銃太郎の後をついて来る瑠衣を振り返ると、案の定、瑠衣は足元を凝視しながら慎重に斜面を登り始めるところだった。

「瑠衣殿、手を」

「え? あ……、ありがとう」

 照れ臭いのか、瑠衣は少し頬を赤らめながら、銃太郎の手を取る。

 小さなその手を引き、瑠衣が斜面を登りきるのを見届けてから、その正面に鎮座する大岩を仰いだ。

 縦に長い岩は、周囲の箟や蔦に覆われて、確かに今もそこにあった。

 昔話の内容が、本当にあったことなのかどうかは、銃太郎にも分からない。

 だが、逸話を持った岩が変わらずにそこにあることが、胸中に不思議な感慨を齎す。

 瑠衣は銃太郎の一歩後ろから覗き込むように首を傾げ、じっと岩に見入る。

「これが、その吠鳴石なの?」

 その問いに、ああ、と短く答える。

「そっかぁ、これが実物の吠鳴石なんだ……」

 呟いたかと思うと、瑠衣は漸く岩から目を逸らし、銃太郎の目を見上げた。

「教えてくれてありがと、銃太郎さん」

「え……?」

「私、銃太郎さんに教えてもらったこの場所、死ぬまで忘れないと思う」

 繋いだままの瑠衣の手が、きゅっと銃太郎の手を握った。

 意外なことを言われたことにも驚いたが、瑠衣にまともに名を呼ばれたのは、今が初めてかもしれない。

 瑠衣は当初から銃太郎の出自を信じてくれていたように思っていたが、もしかしたら、誰よりも銃太郎を疑っていたのかもしれない。

 今は知る者も少ないというこの岩に纏わる話を振ることで、その疑念に答えを出したのだろう。

「きっと私も、忘れることはないだろうな」

 あえて、何を、とは言わなかった。

 いずれは元の時代に帰る。

 今は手立てがなくとも、必ず帰らなければならないし、帰りたいと思う心も変わらない。

 だが、元の時代に帰ったとしても、恐らく瑠衣や亮助のことを忘れることはないだろう。

 銃太郎の短い言葉に乗ったその意味を、傍らの瑠衣が読み取ったかどうかまでは、分からなかった。

 

   ***

 

 北条谷の奥にあった道場の跡地に始まり、城や御両社、今も変わらずに残る寺院。

 果ては銃太郎が生まれた時に木村家が存在していた、三ノ丁界隈。

 思いつく限り、行ける限りを歩き回ってみたのだが、これといって銃太郎に変化は訪れなかった。

 それ以前に、町割り自体に面影は残るものの、銃太郎の時代とはまるきり景観が違う。

 四角四面な石造りの建物、地表も見えないほどに隅々まで整備された道。

 場所によっては道幅も随分と広くなっているし、かつて家屋敷が立ち並んでいただろう地点は、ただの往来になっていたりもした。

「駄目ねー……さっぱりだわ」

 瑠衣が多少気落ちした声でぼやいたのは、三ノ丁から北条谷へと向かう道すがら。

 まだ夕方と言うには早い時分だが、歩き回ったせいか、瑠衣と亮助は疲労困憊の様子だ。

「つーかオレ、もう足やばいんですけど……」

「ふふ、亮助は軟弱ね。少しは鳴海クンを見習いなさい」

 恵の声に促されて鳴海を見れば、今以て気合満々の様子。

 何故か、本当に何故なのか理解し難いが、唯一所持を許された竹光を振り回しながら歩いている。

 甲冑具足を剥ぎ取られ、下に着ていた単物と立附袴姿の鳴海。

 甲冑を着込むよりは、数段一般的な武士に近い格好だろう。

「元気なのはいいが、あれは危ない。瑠衣殿、やめさせたほうが良くはないか」

「えー? そう? でも、あのまま放っておけば勝手にはぐれてくれそうじゃない?」

「そりゃ無理じゃね? 木村先輩、出発からずっとアレやってるけど、視線は常に姉ちゃんに向いてんだぞ……」

「うわ、マジで……」

 瑠衣は露骨な渋面を作る。

「しかもさっき、香泉寺だっけ? あそこで姉ちゃんが銃太郎さんと手ェ繋いでた時なんて、木村先輩死にそうになってたんだからな」

 それを宥めたオレと恵さんの苦労を知れ。と、亮助は腹立たしげに言った。

「ちっ、しょうがないわね。私が囮になるから、亮助はあいつから竹光取り上げてよね」

「はぁ!? 結局またオレが苦労すんのかよ!?」

 瑠衣と亮助は渋々ながらも、ちょっと危ない人と化している鳴海の捕獲に取りかかったのだった。

 

   ***

 

 鳴海の竹光を巡って喧しい声を上げる三人。

 銃太郎は、その光景を少し離れた所から、恵と共に見守っていた。

「それにしても、瑠衣殿は歴史に詳しいようだが、恵殿はどうなんだ?」

「ん? 私の好きな人は誰かって?」

「は?」

「ふふ、何よ、そんなに知りたいの?」

「いや、そうではなく……」

 どこをどう聞き間違えたのか、それとも確信犯なのか。

 質問の内容が大幅に改竄されている。

 そして何故、この女は毎度くすくすと怖い笑い方をするのか。

 その度にちょっと背中がぞっとする。

「私のお慕いする方……それは、ね?」

 ずいっと顔を近付け、恵は口辺に更に笑みを浮かべる。

 

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