第五陣 (2)
「やかましいわ! 部長が武士好きと知っていて、だーからそんな格好で近付いたんだろうが! この下郎ー!」
「ななな何だと!? 下郎とは聞き捨てならんっ! だいたい私が武士で何が悪いと言うんだ!?」
「部長は武士の嫁になるのが夢なんだ! そこに貴様のような武士が現れてみろっ、部長は貴様にまっしぐらだちくしょうぐすんぐすんっ」
怒るかベソをかくかどちらかにして貰いたいものだが、武骨な鎧武者姿の男が泣きじゃくる顔は、銃太郎の憤りを確実に消沈させる。
余程に瑠衣が好きなのだろう。
そして、彼にしてみれば余計な世話かもしれないが、恐らくは丸きり相手にされていないと見た。
堰を切ったように嗚咽を上げ始めた鳴海を前にしては、説教する気さえ失せる。
(哀れな男だな……)
そんな憐憫に満ちた眼差しを投げ掛けつつも、そんな報われぬ恋心に同情を禁じ得ないのは何故なのか。
それは銃太郎自身、身を以って知る苦渋と酷く通じ合うところがあるからに他ならない。こんな男との共通点など、あまり認めたくはないのだが。
銃太郎はしおしおと項垂れると、一つ吐息した。
「溜息を吐くな! がっかりしているのはこの俺だぁあ! うわーーーん!!」
「あ、すまん」
と、謝った傍から、何故謝罪する必要があるのか甚だ疑問に思いもする。
そして同時に、銃太郎はふと部屋の奥へ目を向けた。
ここまで泣き喚くほどに恋慕する男を前にして、当の瑠衣は何故一言も口を挟まないのか。
いくら鳴海が煩くてしつこいとしても、余りに冷たい態度であるように思えた。
「瑠衣殿、あなたも何か言ってやってはどう――」
顰蹙気味に話しかけた矢先、銃太郎は思わず片眉を跳ね上げた。
先から俯いたきりだと思っていた瑠衣は、奥の机に突っ伏し、すやすやと健やかな寝息を立てているではないか。
「あら、部長ならお休み中よ?」
この騒ぎの中、就寝とは。
やはり根性さえも瑠璃に似ている気がした。
そして、そんな瑠衣に一方的な思いを寄せる鳴海もまた、ある意味で大谷鳴海に似ている。
更に残念なことに、恋に悩んでさめざめと咽び泣く鳴海は、銃太郎自身にも似ているような。いや、こうまで痛々しい泣き方は絶対にしないが。
べそべそと泣きじゃくる鳴海を複雑な思いで一瞥してから、銃太郎はもう一度瑠衣を見遣った。
少々可笑しな奴だが、これほど一途に思いを寄せる鳴海に何の感情も生まれないのだろうか。
銃太郎が介入してどうなるものでもないだろうが、瑠衣に邪険にされ続ける鳴海は見ていて痛ましい。
ぐっすりと眠りこけているらしい瑠衣の肩を揺さぶると、瑠衣は小さく唸るように声を捻り出した。
「瑠衣殿、瑠衣殿!」
「……オァー?」
だらけた猫のような返事が返る。
「起きるんだ、瑠衣殿」
「おー……」
と、銃太郎が呼ぶごとに一応返事はあるのだが、瑠衣は突っ伏したままで一向に起き上がる気配もない。
どれだけ眠いのかは知らないが、若い女子が昼日中からこんなにだらだらとしているのは、正直言って初めて見る。
少なくとも、二本松の丹羽家中にはこんなぐうたら娘は見たこともない。
あの瑠璃でさえ――と言っては失礼かもしれないが――、人前での立ち居振る舞いはしゃんとしたものである。
なかなか起きようとしない瑠衣に、肩を揺さぶる銃太郎の手も徐々に手荒になっていく。
「起きろと言っているんだ! 年頃の女子がみっともないと思わんのかっ!?」
一際声を大にして叱り付けると、瑠衣は漸く少しばかり顔を上げ、隈の出来た虚ろな目に銃太郎の姿を捉えた。
すると同時に、瑠衣は思い切り憎々しげに口許を引き攣らせ、
「……チッ!」
と舌打ちすると、肩に乗った銃太郎の手を乱暴に払い除けた。
(!!! 瑠衣殿こわい……!)
この時代の女子は、とにかく随分と恐ろしい。
二本松の城下では、ひとたび銃太郎が怒鳴れば鬼をも
年下の女子に凄まれたくらいで怯んでしまった己に驚愕すると共に、銃太郎は何となく落ち込みたくなった。
「…………」
ずん、と暗くなりかけた銃太郎に同情を示すように、それまで傍観していた亮助が軽く肩を叩く。
「うちの姉ちゃん、最っ強に寝起き悪ぃから。あんま気にすんなよ?」
寝起きが良いとか悪いとかいう問題とはちょっと次元が違う気もするが。
「姉ちゃん昨日、徹夜で郷土資料文献読み漁ってたんだよ。あんたが本当に木村銃太郎なら、大変だ、ってさ」
と、亮助は笑いながら言った。
その一言で、銃太郎は瑠衣を揺さぶる手を止めた。
しつこく寝息を立てる瑠衣の肩は、呼吸に合わせて静かに上下している。
「銃太郎さん帰してやる方法のヒントでも見つけたかと思って、わざわざ部室来たのに。肝心の姉ちゃん寝てるとか最悪だわー」
一睡もせずに自分について調べていたと聞かされては、無理に叩き起こすのも躊躇われた。
同時にまた、亮助に何と言い返して良いのかも瞬時には判断出来ず、銃太郎は押し黙ってしまった。
そんな銃太郎を遠巻きにし、恵が一つ息を吐いた。
「部長はあなたが本物の木村銃太郎だって、ちゃんと信じてるのね。故に、銃太郎率いる少年たちの運命と、そして二本松の歴史を心配しているんだわ」
「や、ごめん恵さん、それ違うかも。寧ろ姉ちゃん、すっげニヤニヤしながら歴史本見てたわ」
「………………そう」
それも部長らしいわね、などと妙な納得を示しながら、恵は例によって無表情のまま瑠衣の眠る隣席に着く。
だが、恵の言った「少年たち」という言葉に、銃太郎は真っ先に砲術塾の門下生たちの顔が思い浮かんだ。
「私が、あの子たちを率いて――?」
まだあどけない顔触ればかりの門弟たちを率い、戦へ出るとでも言うのだろうか。
恵の言い方から考えると、どうもそういう意味合いが籠められているように感じられる。
ついでに教室の隅の、少し薄暗いところで、鳴海が落ち武者の如く膝を抱えている姿が見えた。
(……あっちは気にしないでおこう)
何故か非常に怨嗟に満ちた視線が背中に突き刺さるが、今考えるべきは恵の言葉だ。
うっかり気を削がれそうになった銃太郎が、ふるふるとかぶりを振った時、件の恵がまた口を開いた。
「それで? あなたはあの幕末の動乱の中へ帰りたいと言うのね?」
「当然だ。私には仰せつかった役目がある。それを投げ出すわけにはいかない」
きっぱりと答えれば、恵は憮然とした面持ちで吐息した。
「木村銃太郎なら、まあそう答えるだろうと思っていたわ。でも、どうすれば帰れるかは分からないんでしょう?」
「そう、だな……」
「残念だけど、私たちにも分からないわ。部長の瑠衣だって、歴史にこそ割りと明るいけど、帰る方法なんて分かるわけがないのよ」
「…………」
「この『歴史萌え同好会』の総力を挙げても、あなたを幕末に送り帰してあげることは不可能だわ」
「……そうか」
「! えっ、アレ、恵さんちょっと部名間違ってねぇ!? 『郷土史研究部』だよね?!」
暫く黙って恵の話を聞いていた亮助が、突如突っ込んだ。
が、当の銃太郎はといえば、恵のあまりの真剣且つ流暢な話し振りに、部名が
「え、ああ、そうか、そういえばここは郷土史研究部、というところだったか」
「!? 銃太郎さんもおかしいなと思ったら、適当に流さないで少しは気にして!? だいたいあからさまに変だろ、何? 萌えって!?」
「馬鹿ね亮助。『郷土史研究部』なんて名称は、あくまで学校側に対する建前よ。『郷土の偉人を好き好んで愛でる会』が本当の名称なのよ」
「さっきのとまた随分違ぇから!!」
「お黙りなさい亮助。こうなったらあなたも今日から部員名簿に載せるしかないわね」
「えぇっやだよ!?」
「こうして迷い武士を連れ込んだ責任を取って、愛でる会に入るのよ」
「名称長すぎて略してんじゃん! いや、だから郷土史研究部だろ!?」
正直なところ、部の名称が何であろうと、中身がこの面子ではいずれにしろ大差ない。
渋面を作る銃太郎のことなどお構いなしに、亮助と恵の会話はどんどんおかしな方向へと流れた。
「まあまあ、恵殿も亮助も、今はそういう話をしているのではないだろう」
比較的穏やかに二人を宥めれば、恵も漸く銃太郎に視線を戻した。
「そうだったわね。ま、幕末に帰してあげることは出来ないけど、あなたが不慣れなこの時代にいるうちは、いろいろ手助けしてあげられると思うわ」
だから何かに困ったら、いつでも頼ってくれて良い。と、恵はそう結んだ。
***
日は没したばかり。
宵闇に染まりゆく空には、ちらちらと星が瞬く。
城を後にした鳴海は、その足である屋敷へと赴いた。
咄嗟の出来事だったとは言え、あれはやり過ぎた。
そんな後悔が胸に蟠ったまま。
何より、銃太郎が目を覚まさないことで、あの瑠璃が目に涙を浮かべるとは。
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