第五陣 (1)
翌日。
何故か銃太郎は、とある学び舎の門前にいた。
勿論、単独でここまで訪れたわけではない。
いつもの如くふらりと現れた亮助に連れられて来たのだが、その亮助もここまで来るや否や銃太郎を置き去りにしてさっさと門の中へ入っていってしまったのだ。
すぐに戻ってくるから、と言い残していったわりに、既に小半時が過ぎようとしている。
はじめは閑散としていた門の周辺も、次第に学業を終えたらしい生徒達がぞろぞろと出て来ていた。
(……視線が。痛いな……)
じろじろと遠巻きに眺めていく生徒達の眼差しは、好奇心に溢れているような、けれどどこか憐憫すら感じているような。
時折、こちらを盗み見てはひそひそと会話していく彼ら。
くすくすと忍び笑う声は、嘲笑といったほうが正しいかもしれない。
だが、彼らもそれ以上は銃太郎に近付いてくることもなく、通り過ぎていく。
一組過ぎれば、また新たな一組が似たような会話をしながら去っていった。
忍耐力にはちょっとした自信のある銃太郎も、流石に叱りつけてやりたい衝動に駆られた。
何だかんだと言われることに腹が立つというよりも、言い方が気に入らない。
「あの人やばくね? なんで刀差してんの、あれ」
「頭かわいそうな人なんじゃね? もしかして通り魔?」
ぷちん。と銃太郎の中で何かが弾ける音がした。よく分からないが、
「――お、おまえら……!」
と、言葉の途中で銃太郎の腕に何かがこつんと当たる感触がした。
「あら?」
「ッなんだ! おまえも人を馬鹿にする気……!」
腕に当たった人を振り返り、銃太郎は一気に怒りが解けた。憤りが治まったというよりは、安堵したというべきか。
「め、恵殿……!」
「やっぱり。奇遇ね。それとも運命かしら?」
真顔でくすくすと笑う様子は、どこか不気味である。
いや、黙っていればこの山岡恵、それなりに綺麗な顔立ちはしていて、どことなく神秘的ですらあるのだが。
だからこそ口許のみを歪める微笑はちょっと怖い。
「ところでどうしたの、こんなところで突っ立って」
「いや、それがその……亮助にここで待つように言われていて」
「あらそうなの。じゃ」
「えっ……」
たとえ恵でも、折角見知った顔と出会って多少安堵していたのに、恵はそれ以上話を繋げようともせずにひらりと片手を振って銃太郎を通り過ぎようとする。
「あの、恵殿?」
「何かしら」
そうして恵が振り返ったとき、銃太郎はふと首を傾げた。
他の皆は門の内側から方々へと帰っていくのに、恵はこれから門の中へと入っていくらしい。
「恵殿はこれから授業を受けるのか?」
生徒たちが帰宅する頃に登校するとは、少し妙である。呼び止めたついでに尋ねてみると、恵は再びあの凄絶な笑顔を見せた。
「そんなに私が気になるの? ふふ」
「は? いや、そうではなくて……あの、ちょっと恵殿、その顔怖い……」
「仕方ないわね、ついていらっしゃい。私が部室まで案内して差し上げてよ。亮助もそこにいるはずだわ」
「え、あ……それは、かたじけない」
「但し、これ以後身命を賭して私に仕えること。良いわね?」
「……勘弁してください」
その直後、銃太郎の耳に非常に気になる舌打ちが聞こえた気がした。
***
冷たい気配の漂う学び舎。
最初の印象は、決して良いものではなかった。
だが、銃太郎の前を滑るように歩く恵は、慣れた足取りで硬く冷ややかな廊下の上を行く。
これが今、この世の中に当然に在り得る学び舎の姿なのだろう。
ふと過去に通った藩校の敬学館を思い出し、その木造で暖かだった本校の学舎と比較してしまう。
悪気があってそうするわけではないのだが、やはり敬学館や城下に点在する私塾のほうが厳しいながらに温和な雰囲気を持っていた気がしてならない。
「この奥が私たちの部室よ。入っても腰を抜かさないで頂戴」
「え? 腰? ……何か恐ろしいものでもあるのか?」
振り返りもせずに半端な注意を促す恵だが、尋ね返してもそれ以上のことは口にしようとしない。
真っ直ぐに続く廊下は長く、通り過ぎる教室らしき部屋の扉にはそれぞれ札が取り付けられている。
そこにある文字も決して読めないことはない漢字なのだが、じっと見入る間もなく過ぎてしまう。
歩みはそのままに天井を見上げれば、何か細長い筒状をした、白く光る物が取り付けられており、これもまた首を捻らずにはいられなかった。
そうして、人の気配の希薄になった廊下を突き当たりの手前まで進んだ時、どこからともない雄叫びが銃太郎の耳を劈いた。
「敵はいずこぞぁああああああ!!!」
まるで獣の咆哮にも似た、しかしながら妙に聞き覚えのある声だ。
「め、恵殿、今の声は!?」
咄嗟に問うたものの、目前の恵は些かも動じる気配さえなく、飄々と突き当たりの部屋の扉に手を掛ける。
引き戸になっているその扉がごろごろと開けられ、銃太郎はその室内の光景にぎょっと瞠目した。
「おのれ出おったな、我が仇敵!」
血走った双眸をこれでもかというほどに引ん剥いて叫ぶ、何故か武装した男が銃太郎の視界一杯に広がった。
およそこの建物には似つかわしくないのだが、そこにはたった一人、戦国絵巻から飛び出してきたような甲冑姿の人間がいたのである。
ご丁寧にも具足や籠手、刀に至るまでも完全装備である。
見たところ、刀は単なる模造の品のようではあるが、それにしても物々しい。
「ええい迷い武士め! 腰の物を抜け! この木村鳴海が成敗してくれる!」
どういう流れでこうなっているかは知る由も無いが、彼が仇敵と指すのはどうも銃太郎のことであるらしい。
がっしゃがっしゃと具足を鳴らして踏み込んだ木村鳴海は、賺さず刀を振り上げた。
「部長は渡さん! 覚悟!」
と、言うが早いか、その刀身は銃太郎の脳天目掛けて振り下ろされた。
刹那。
銃太郎の手は腰の大刀を鞘ごと軽く振り翳し、落とされる刃を受け止めた。
鈍い衝突音が響き、次いで口惜しげな唸り声が上がる。
受けてみれば何のことはない。
銃太郎に比べれば力もまるで足りないし、単なる見掛け倒しだ。
勿論、刃と言っても模造のもの。
だが、いくら贋物であってもまともに脳天に食らえば痛いし、無傷で済むものでもない。
「何の真似だ。物騒な男だな」
笑って流すには少々演出が派手すぎる。銃太郎はひょいと刀身を押し退けると、大刀を腰に差し直した。
よく知りもしない相手に怨まれる覚えなど微塵もないのに、贋物とはいえ突然刀を向けられるとは心外なもの。
仕損じたのが悔しいのだろう、盛大に顔を顰める鳴海をねめつけて、銃太郎は背筋を伸ばした。
「私に何か言いたいことがあるなら聞こう。出来れば抜き身は振るいたくない」
努めて穏やかに窘めれば、その途端、周囲から疎らな拍手と歓声が沸き起こった。
「すごいわ。あなたやっぱり木村銃太郎なのね。ますます素敵よ!」
「んもー、だから門で待ってろって言ったのによー。恵さんもなんで連れて来ちゃうかなー」
見れば、ぱちぱちと手を叩きながら無表情に褒めそやす恵と、やはり拍手しながらも苦笑する亮助の姿。
そして、部屋の奥。俯いたまま机で足を組む、青山瑠衣。何故か瑠衣だけは無言のままである。
「くそう! 俺の部長に近付く男は、何人たりとも生かしてはおけん!」
さらには、未だ地団太を踏む、偽武将。
(こいつ……ある意味大谷殿より数段厄介だな……)
同じ「鳴海」でも、こちらは勘違いも格段に甚だしい。
物騒なところを取っても大谷鳴海に負けず劣らずといった具合だ。
あまりに酷似した名前を持つ彼らは、紛れもなく赤の他人であるはずなのに、それでも懐かしさを禁じ得ない。
たった今襲撃されたばかりだというのに、それすらも親しみを覚えてしまうのだ。
「やあやあやあっ! 腰の得物を抜け! 迷える武士め!」
「ほらほらもう鳴海クンも落ち着きなさいな。あんまり虐めちゃ駄目よ」
「そうっスよ木村先輩。あんまうるせーと姉ちゃんに嫌われますって」
「く……っ部長! 大好きです! だからこそこんな武士には負けられんんっ!!」
恵と亮助が挙って鳴海を食い止めるが、当人は余程に切羽詰っているのだろう。全く引く気配はない。
鼻息荒く勝負を挑んで止まない鳴海に一つ苦笑してから、銃太郎は徐に口を開いた。
「悪いが、私はそう簡単にこの刀は抜けない。どうしてもと言うのなら受けて立つが、おまえも容易く抜刀するのは良くないぞ」
「何をう! 怖気づいたか!? ぶちょー! ぶちょー!! こんな腰抜けは捨てて、是非に俺とお友達から始めませんかー!?」
「そうではない。安易に抜き身を振るうのは、臆病者のすることだと言っているんだ。それに……私は瑠衣殿を横取りするつもりもない。誤解で斬り合いは避けたいだけだ」
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