第四陣 (3)


 銃太郎の役目もしっかりと掲載されているらしい。そうでなければ、どうして亮助がそのことを知り得るだろうか。

 しかし、それでも未来の出来事が記されている実感というものは、然程に沸いてこなかった。

 仮にそんなことがあったにしても、だからなんだというのか。

 銃太郎は暫し閉じたままの書物を見詰め、しかしそれでも手に取ろうとはしなかった。

 亮助は亮助で必死に探し出してくれたのかもしれないが、銃太郎自身は別段先のことを知りたいなどとは思わない。

 たとえ今ここで先に起こり得べきことを知ったとしても、自分自身の何が変わると言うのか。

 やがて銃太郎は正面で頬杖をつく亮助へと視線を上げた。

「どうして、これを私に見せようと思った」

 自然、声音が硬くなる。勝手な押し付けを叱責するつもりなどは毛頭ないのだが、僅かに怒気を孕んだ口調になったかもしれない。

 恐らくは亮助にもそのように聞こえたのだろう。その口許が苦く歪められるのが見えた。

「見たくないなら見なくてもいいけどよ。ただ、それ読んだほうが、あんたも帰る気無くすかと思って」

「私が帰ると何かまずいことでもあるのか?」

「いや、別に俺は困らないけど」

「なら何故引き止めるんだ?」

 さっきから、肝心なところを迂回した返事ばかりだ。

 まだ銃太郎の知らぬ、未来の出来事にうっかり触れてしまうことのないように気遣っているからなのだろうが、それがどうにももどかしく感じてならなかった。

 言い難いことなのだろう。それだけは何となく察しがつく。

「戦にでもなるか」

 銃太郎の知る限りで予測出来ることといえば、それくらいだった。現に、慶応四年に入ってすぐに京は鳥羽伏見での戦が伝聞されていたし、その戦火が奥州にまで及ぶ事も無いとは言えない。

 単に当てずっぽうで尋ねた銃太郎に対し、亮助の表情が明らかに強張っていた。

(なるほどな)

 どうやら、嘘を吐けない性分らしい。口頭での返事を待たずとも、亮助の目の色だけで既に「はい、そうです」と言われたようなものだ。

 銃太郎の生きる時代では、やがて戦が起こる。だから帰らないほうが良いと言ったのだろう。

 きつい口調で亮助を問い質したことを後悔した。

 元の時代に帰れば、銃太郎の身が危ないと心配したからこそ、ここへ連れて来てくれたに違いないのに。

 出会ったばかりの人間の、それも、だいぶ差異のある時代の人間の心配をしてくれる心に悪意などあるはずはない。

 銃太郎はふと目元を緩め、静かに笑った。

「おい、なんで笑うんだよ。……笑い事じゃねえだろ」

「ああ、笑い事じゃないな」

 亮助の言う通り、戦は生半可なものではない。

 それでも、一度和らいだ表情は変えられそうになかった。

「あんたほんとに分かってんの? 戦だよ、戦?」

 頭大丈夫か? と、本当に失礼なことを尋ねながら、亮助はたっぷりと怪訝に言う。

「いや、戦は確かに一大変事だが、私がその委細を知ったところで、どうなるものでもない。戦になるなら死力を尽くすまでだ」

 苦笑しつつ、銃太郎は手元の本をそのまま亮助へと押し返した。

 開くよりも早く戦を予告されたわけだが、きっと、この本を開けばその詳細も綴られていることだろう。そんなもの、知りたくもなかった。

「折角だが、私は遠慮しよう。おまえの気遣いだけで充分だ」

「えっ!? でも……」

 亮助がそう言い掛けたところで、銃太郎の視界にふと第三者の姿が映り込んだ。

 向き合って座る銃太郎の、亮助の肩越しに歩いてきた人物。

「! ……瑠璃っ!?」

「はぁ? おいあんた、俺の話無視かよ!?」

 などと、亮助は苛立った口調で食い下がるが、銃太郎の耳には届かなかった。

 あまりに唐突に目の前に現れた、ここにいるはずのない人。

 一瞬、幻でも見ているのかと我が目を疑うほど、そこに現れた人物は、瑠璃そのものだった。

 思わず席を立って凝然とする銃太郎の前で、その人は悠々とこちらへ歩み寄ってくる。銃太郎の姿をその視線に捉えても、俄かにも慌てずに。

「瑠璃……?」

 驚愕の果てに漸く声をかけようとした矢先。

 その人は銃太郎になど目もくれず、亮助のほうへと声を掛けた。

「亮助じゃん、あんたまた学校サボったでしょ」

 背後から首を絞め上げるように腕を回した彼女は、ごく親しそうに亮助に絡み始めた。

「げっ、姉ちゃん!!」

「何よ、随分なご挨拶じゃないの? え? 何よ、あんた朝からずっとここにいたわけ?」

 姉ちゃん。ああ、そうか。なんだ、そうなのか。

 亮助とその姉という二人の様子を茫然と眺めつつ、銃太郎は辛うじて目前の二人の関係を理解した。

 この人は亮助の姉であって、銃太郎の知る丹羽の姫君の瑠璃ではない。そう、別人。全くの別人だ。

 が、しかし。

「……驚いたな。顔も声も、瑠璃によく似てる」

 まだ混乱の残るまま呟けば、すぐさま亮助が思い出したように素っ頓狂な声を上げた。

「ハァァア!? 瑠璃!? って、あの、お姫様のこと? え、銃太郎さんが片思いしてるっていう、あの!?」

「わっ、ばか亮助! 何もそんなことまで言わなくても良いだろう!?」

「ちょっと待ってよ銃太郎さんっ!! あんたこんな、うちの姉ちゃんみてぇな女が好みなわけ!? ちょっ、ホントに頭大丈夫かよ!?」

「失礼なっ! 私がどんな女子を慕おうと私の勝手だろう!?」

「そうよそうよ、私みたいな女が好きな男だっているんだから! もっと言っておやり、迷い武士!」

「そうだぞ、だいたい亮助、おまえはなぁ…………って、姉君」

 何故だろうか、顔や声ばかりでなく、もしかして内面も似ていたりするのだろうか。

 瑠璃もこういう場面で、わざわざ口論を嗾けるようなところがあるし。

 ちらりと亮助の姉を見れば、どうやら視線に気付いた彼女も、横目でこちらを見上げてくる。

「何よ、もう終わり?」

「いや、あの……ご気性も瑠璃に似ているようだから、つい」

「残念だけど、私は瑠璃じゃなくて瑠衣よ。青山瑠衣。搾りたての高校三年生」

「あ、はあ、瑠衣殿……ですか」

 搾りたて以下はさっぱり分からないが、名前までもが酷似しているとは。

 これで衣装が振袖か或いは袴を穿いていたなら、もう瑠璃と見分けなどつかないかもしれない。

 まさかこんなところで瑠璃に瓜二つな人物と出会おうとは。これが縁というものなのだろうか。驚いたのも束の間、今度は不思議な感慨が沸き起こる。

「ところで亮助、これがあんたの言ってた迷い武士?」

「あー、そうそう。こちら、木村銃太郎さんで、えーっと、慶応四年? 出身らしいけど」

 確かにその通りだが、なんだか中途半端な紹介をされている気がする。そこはさておき、亮助が言い終わるよりも早く、瑠衣の値踏みするような視線が銃太郎に絡みついた。

 じろじろと頭から爪先まで、やたらと執拗な観察である。と言うか、失敬な姉だ。

「あの、そんなに穴の開くほど見ないで頂きたいのだが」

 耐えかねて言ってはみたものの、相手があの瑠璃に良く似ているせいか、変に弱腰な口調になった。見られて気分が悪いというよりも、どちらかと言えば照れ臭いというほうが正しい。

 すると、瑠衣は詫びるどころか、急に弾けるように笑い出した。

「ちょっとちょっと~。アナタ、ほんとにあの木村銃太郎なの? もっとゴツイ人かと思ってたのになぁ。中身は想像以上にヘタレっぽいじゃない。ちょっとがっかり」

「!!?」

「姉ちゃん、言い過ぎ」

 ゴツイとかヘタレとか、聞き慣れない言葉なのに、その響きだけで何となく意味が窺い知れてしまうのは何故なのか。多分、あまり褒められていないことは確かなようだ。

 だが瑠衣は、ちょっと傷ついた銃太郎などお構いなしで卓上に目を向ける。あの分厚い書物に気付いて、手馴れた風にぱらぱらと開き始めたのだ。

「これ、もう読んだの?」

「あー、姉ちゃん、その本さぁ、折角教えてもらっておいて悪ィんだけど……。見たくないんだってよ」

「ふうん、見ないの。あ、そう」

 幾重にも綴られた紙面を、ぽとりと閉じる音がした。亮助にこの本の存在を教えたらしい彼女は、素っ気無く一つ頷くと、やがて真顔になって銃太郎を見た。

「そーね、あなたが本当に木村銃太郎なら、見なくてもいいと思うわ」

「? ……本当も何も、私が木村銃太郎だ。丹羽家十万石家中木村貫治の嫡男だが、つい先ごろ砲術師範として、四人扶持を賜ったばかり」

 どうやら今もって腑に落ちないでいるらしいが、出自を疑われるというのは少々面白くない。

 自然、銃太郎もやや当て付けるような言い方になった。

「うん、そうね。そうそう。じゃああなたの妹の名前は?」

「たに」

「うん。じゃあ、あなたを産んだお母様は?」

「私を生んだ母の名はセンだ。だが私が十二の時に他界している。もっと話せば、父が後添えに迎えた私の継母に当たる人物の名はミテだ。もっと言うか?」

「んじゃ、もう一つだけ。何年の生まれで今おいくつ?」

「……弘化四年生まれの、今年二十二を数えたが」

 もう一つだけと言った割に、ちゃっかり二つ質問された気がする。

 だが、当の瑠衣は全く悪びれる様子もなく、深々と頷いた。

「ま、いいわ。とりあえず信じてやらんこともない」

「姉ちゃん偉そうだな」

「お黙り愚弟」

 顔は笑顔のままだというのに、亮助を制止した瑠衣の声は非常に威圧感あるものだった。

 目の前に並んだ姉弟を眺めていると、それこそまるで、瑠璃と青山(助之丞)を見ているような錯覚さえ起こしそうになる。

 初めて亮助を見たときには、何となく青山に似た雰囲気の男だと思っただけなのだが、こうして瑠璃そっくりな姉と並ぶと、妙に見覚えのある二人に見えてしまうから不思議だ。


 

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