第四陣 (2)



「なんだべ、爺さん。話が分かるんでねえの!」

「や、爺さんじゃないです」

「ほだ細けぇこと、気にしっさんな!」

「いえ、私にとっては爺さん呼ばわりは一大事ですから!」

「ほっか? (そう?) あっはっは」

 相変わらず爺さん呼ばわりは続いていたが、僅かな間に結構慣れてはきていた。

(って、慣れたら駄目だぞ、銃太郎!!)

 心ひそかに戒めながら、仕事を切り上げ、小休憩に入る準備に取り掛かった。


   ***


 一旦、家にまで引き上げ、縁側に腰を下ろした銃太郎に、老女はいそいそと淹れ立ての緑茶を差し出した。

 屋内へと目を向ければ、昼日中というのに暗い薄闇のかかる空気が、すぐそこまで迫る。

 年月を経た家屋にしか見られない重厚な色合いを出す柱も、緻密に飾り彫りの彫り込まれた鴨居も、どこか銃太郎の心中を穏やかにさせた。

 見慣れぬものばかりの溢れる景色の中、何処となく身近な気配があるような。

「婆の畑仕事手伝うんだなんて、今の若ぇ子にしちゃ、珍しんでねえの」

 日焼けした顔に、にこにこと皴を深くしながら言う老女に、銃太郎は小さく笑い返した。

 当然といえば当然だが、爺さんでないことは、ちゃんと分かっているらしい。

「ただでご厄介になろうとは思っていません」

「んだけんちょも、畑仕事なんかやったことねえべ」

「いえ、僅かですが私の家にも菜園はありました。勿論、本格的な農作業の経験はありませんが」

「ほーかぁ? 別になんも、ただでおったってかまねんだぞ。早ぐ嫁様さ貰って、ずーっとうちさいたらいいべよ?」

「アハハ……」

 爺さん呼ばわりの次は、そうきたか。

 と、苦笑を浮かべるしかない銃太郎。

 兎も角、冗談の類は苦手である。

 しかもこちらにいても、言われることは似たり寄ったり。

 単なる馬鹿話なのに、否応でも瑠璃の顔がちらつく自分がほとほと情けなく思えた。

 ほんの微かに息を吐いたが、婆さんは目敏くもそれに気付いたらしく、ぽんと銃太郎の背を叩く。

「おめさま、ゆんべも何か考え事しったんだべ。女っこのことで家出でもしったんか」

「ち、ちがいますよ……家出というわけでは」

「駆け落ちでねぇがったら、なんだ、ふらっちゃか(振られたか)、アッハッハ」

 底抜けに明るく、おまけに歯に衣着せぬ言い方で、さすがに銃太郎もやり過ごす言葉に窮した。

 亮助も似たようだが、婆さんも他人事と思って呵呵大笑である。

 が、振られたようなものと言えば、その通りだろう。

 それは外れていない。

 と、また溜息を出しかけたところへ。

「ばーちゃん、銃太郎さんいるー!?」

 亮助が庭先に転がり込むなり、声高に呼んだ。

 どうやらここまで走ってきたらしく、呼吸を乱してすのこ縁まで詰め寄ると、銃太郎の正面に立ち塞がった。

「あれまぁ、何だよ。学校さ行かねんか、おめ」

「学校よりこっちのが重要じゃん。とりあえずさ、婆ちゃん!」

 ぜいぜいと肩で息を整えながら、亮助はびしりと銃太郎を指差した。

「銃太郎さん、借りてっていい!?」

「どうしたんだ、亮助。何をそんなに焦って……」

「ちょっと連れて行きたい場所があんだよ」

 それだけで、詳しく何処とは言わない。

「んまあ、おめさまもちっと、出かけて来たらいんでねえか? ふたんじ(二人で)遊んでこっせ」

「しかし、まだ畑に――」

「かまね、かまね!」

 気を遣ってなのか、ほれほれと銃太郎の背を押す老女。

 さらに亮助も急かすように腕を引くもので、銃太郎も追い立てられるままに連れられて行くことにした。


   ***


 まだ日の高い中、塀の外へと回り込むと、前を行く亮助の足が止まった。

 だが、すぐに訪ねて来た用件を言うでも、まして行き先を言うでもない。

 亮助は背を向けたまま、引っ掴んだ銃太郎の腕を握り直すように力を込めた。

「一体どうしたんだ。どこへ行く?」

「慶応、四年って言ってたよな」

 制服をだらしなく着崩した紺地の背中は、銃太郎の背丈よりももう少し低い。

 注ぐ陽光にやや赤みを帯びた茶色の短髪が、銃太郎の目の前でさらりと弧を描くように靡いた。

「慶応四年。あんた、それに間違いはねえだろうな?」

 やっと振り返った亮助の面持ちは、初めて見る険しさが漂っていた。

 初めて会ってからというもの、へらへらと気の抜けた笑い顔しか見たことがなかっただけに、銃太郎も思わず返す言葉に詰ってしまった。

「あ、ああ。間違いないが……」

 今にも噛み付きそうな様子を見せる亮助に気圧されつつも、何か手掛かりを掴んだのではないかと気付く。

 なるほど、それでこんな時間に慌てて駆け付けてきたか。そう思うと胸中にもほんのり期待が膨らんだ。

 だが、亮助の表情は一向に和む気配を見せず、寧ろ一層剣呑な目付きに変化していく。

 どうにも様子がおかしい。

「どうした、そんな難しい顔で……。何か、元の場所へ帰る方法が分かったんじゃないのか?」

 それでもまだ、こちらをじっと見据える亮助。

 そうしてやっと口を開いた返答が、

「俺が思うに、あんた、帰らないほうがいいぞ」

 という、銃太郎の虚を突くようなものだったのだ。

 帰らないほうが良い。

 亮助は出し抜けにそう言うが、何故帰らないほうが良いのか、理由は明確にしない。

 ただ、このままこの時代にいたほうが幸せだ、と何度か繰り返すのみ。

「しかしなぁ、そう言われても……」

 深刻な目を向け続ける亮助に対し、銃太郎としてはその真意も測りかね、苦笑するばかり。

 急に何を言い出すのだろう。

 この時代に留まるなど、自分でも想像が及ばなかった。

 今も他人の厚意に甘えて世話になっているのに、この後、一生をここで過ごすことなど、出来るとも思えない。

 目に映るものの殆どが、慣れ親しんだものと違い、ただ親近感の湧くものと言えば、この土地に広がる自然のみ。

 家も人も、姿を変え形を変え、それに混じって暮らしてゆく自身の姿などは、到底思い浮かべる事すら出来なかった。

「ちょっと図書館に付き合ってくれねえか? 銃太郎さんに見せたいもんがあるんだけど」

 自らの勧めに、銃太郎があまり良い顔をしていないと見ると、亮助は再びくるりと踵を返す。

 声の調子まで普段と異なり、低められているようだった。

 銃太郎は若干首を傾げはしたものの、然程に深く考え込むこともなく、その後について歩き出したのだった。


   ***


「歴史、資料館?」

 比較的大きな建物の並ぶ敷地に入り、銃太郎の目にはまずそんな看板の文字が飛び込んだ。

「そっちじゃねえよ。俺等が行くのは図書館。こっちの建物だ」

「ああ、そうか。そっちか……」

 素っ気無く銃太郎を導く亮助だが、自分だけでさっさと図書館の入り口へと歩いていってしまう。何を急にそれほど機嫌を損ねているのだか、銃太郎は吐息と共に首を傾げた。

 何かを教えてくれようとしているのだろうが、それがあまり良いことではないのだろう。亮助の様子一つで、何となく悪報を聞く腹も決まる。

 亮助の入った先は、広い館内の片隅にひっそりと設けられた、個室。どうやらそこが、目的の場所であったらしい。

 そこへ入るなり、亮助は一冊のやや厚みのある書籍をどさりと卓上に叩き付けた。

「この本に、あんたのことが載ってる」

「私のことが? 亮助おまえ、何を唐突に」

 本に自分の事柄が書かれているなど、突飛な話にもほどがある。

 だが、亮助もまた不機嫌そうな顔のまま僅かな笑みも見せなかった。つまり真剣に言っているのだ。

 分厚く立派に設えた背表紙には「二本松藩史」の文字。

 ――二本松藩。

 亮助と対面するように卓に腰を降ろした銃太郎は、目の前に放り出された一冊の本を茫然と眺めた。

「オレもさ、歴史とか全然詳しくねえから、何のことかさっぱりだけどよ。でも、そこにどういうことが書いてあるかくらいは、理解出来るつもりだ。二本松藩と、あんた自身の未来もしっかり書いてあるみたいだぞ」

 頬杖をつき、こちらに目を合わせようともしないまま言う。

 この本に、自分の歩む先が記されている。そんな馬鹿な、と思う節もないではなかった。だが事実、この本を読んだ亮助がそう言うのだ。銃太郎は表紙に触れた手を止め、正面の亮助に視線を投げる。

「私のことが書かれている、というのは、本当なのか」

「嘘じゃねえ。木村銃太郎なんて名前は、一人しか載ってなかった。……となると、あんたしかいないんじゃないのか」

 慶応四年の二本松藩。木村銃太郎と言えば、一人しかいない。

 返答出来ぬまま、じっと亮助を見詰めれば、漸くその視線がちらりとこちらを窺った。

「砲術の先生なんだろ、あんた」

「え、ああ……まあ、そうだが」

「じゃあ、やっぱあんたのことだ」


 

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