第四陣 (1)



 じっと目を閉じたまま、昏睡する銃太郎の手を、瑠璃はただひたすら強く握り締めていた。

「一体、どうしたというのじゃ……」

 見た目には、ただ深い眠りについているようにしか思えない。

 髻を解いた髪を掻き分け、鳴海の一撃を食らった辺りを探ってみても、瘤の一つも見当たらない。

 まさか、このような事態に陥るとは思いもよらず。

 きっと鳴海も予測はしていなかったに違いない。

 何度呼びかけても、ぴくりとも瞼が動く気配はないし。

 このまま目覚めぬとしたなら、今、辛うじてある息すらも、絶えてしまうに違いない。

 熱もないようであるし、外傷も特にない。

 では、どうすれば目覚めさせる事が出来るのだろう。

 昨日のうちには、まだ余裕もあったが、瑠璃はいよいよ焦りを感じ始めていた。

「姫様、どうですか? 兄は目を覚ましました?」

 銃太郎の妹、たにが静かに入室し、床の傍らへと進み寄った。

「なんだ、駄目っぽいわね……」

 けろりとして銃太郎の寝顔を覗くたに。

「申し訳ない、鳴海が銃太郎殿をどついた為に……。側近のしたこととはいえ、最早これは、私の責任でもある」

「あらぁ、気にする事ありませんよ。とりあえず、最善を尽くして頂けるなら」

 実兄が深い昏睡状態にあるというのに、たにも結構お気楽である。

「兄さんもきっと、気鬱が溜まっていたんじゃないのかしら?」

「気鬱?」

 そう聞き返し、瑠璃はふと鳴海の顔を思い浮かべる。

 銃太郎が気鬱を抱えるとすれば、きっと鳴海への届かぬ想いが原因のはず。

 というか、それ以外に予測がつかない。

「でもなぁ、鳴海はどうしても、銃太郎殿ではイヤなんだそうだ……すまない」

 こちらとしても、臣下とはいえ、さすがに人の心を縛り付けることは出来かねる。

 そういう意味合いで詫びたのだが、たには急に怪訝な目つきになると、瑠璃を凝視した。

「はい?」

「や、だからさ。銃太郎殿は鳴海が好きなのだそうだけど、鳴海のほうは、その…ちょっと……」

 つまりは銃太郎の一方的な片思いであって、気鬱の原因はそれなのだ。

 やや気後れしつつ、たにに説明を施す。

 すると。

 たには突如、顔を真っ赤にして眉を顰めた。

「ぐっふぉ……!!」

「え、いや、たに殿?」

 よくよく見れば、たにの表情は実兄への哀れみではなく、寧ろ非常に苦しそうに爆笑を堪えている様子。

 見る間に腹を抱えこみ、たには額を床に擦るほど前にのめった。

 暫くそのままで、プルプルと小刻みに震えていたかと思えば、ついにたには吹き出し、大爆笑を上げた。

「ぶっはぁーーーーー!!! ちょ、姫様、それは……兄が可哀想っ、ていうか、かわいそーーーー!! 何それ!! そりゃ寝込むわ!」

「は!? そ、そんな、そなたもそこまで笑っては、銃太郎殿が可哀想じゃろう!? 銃太郎殿はきっと本気で鳴海を……!」

「あ、ありえねぇ……っ! や、楽しいですけど!」

「ええ?! た、たに殿!? 世の中にはな、男が男に恋をすることも、間々あるのじゃ…!」

「ちっがいますよ、兄が本当にお慕いする方を、私は知ってますから!」

「……鳴海じゃないのか?」

 いやに引っ掛かるその口振りに、瑠璃は多少戸惑いつつも、たにの目を覗き込んだ。

 銃太郎の想い人は、鳴海とは別に存在するらしい。

 が、鳴海は自ら相手は自分だと名乗ったのに。

 一体、どういうことなのか。

「鳴海でないのなら、では、銃太郎殿は一体、誰を……?」

「まあ、鳴海様ではありませんね。ついでに殿方でもありませんよ?」

 勿体振って、肝心の名前を挙げずに答えるたに。

 だが、たにの口振りから予測するには、恐らく銃太郎自身よりも身分の高い家柄の女性なのだろう。

 瑠璃には一層、不可解だった。

「鳴海ではない、というのは、本当なんだ?」

「ええ」

 それには、きっぱりと淀みない答えが返る。しかし、たにはその後にもやはりぶはっと笑うのを忘れない。

「なるほど。では鳴海が接吻したところで、銃太郎殿の意識は戻らぬな……」

 変に無理強いをしなくて、良かったかもしれない。

 と、一つ頷く。

 その傍で、たにはまたしても吹き出した。

「せ、せっぷ……!! ににに兄さんかわいそーーー!!!」

「あ、まあ、そうだね、確かに鳴海が相手でないなら、可哀想なことをしてしまうところだったよ」

「いえね、それはそれで、良いと思いますけれど!」

「良いのかっ!? ちょ、もうたに殿が分からぬよ私は!」

 ひーひーと苦しげに腹を抱えるたにを横目に見ながら、瑠璃は今一度銃太郎の寝顔を覗く。

「銃太郎殿……。きっと心を病むほど、辛い恋をしておるのじゃな……」

「辛いっちゃあ辛いでしょうねぇ、プーーっ」

「わ、笑いながら言うことか……」

 その相手が何処の誰かは知らぬし、その辛さも察しないではないが。

 これからという時に、銃太郎という有能な人物を失うわけにはいかない。

 それは瑠璃から見ても、また藩から見ても、確実に言えることだ。

 今日のところは何とか門弟たちを誤魔化せても、知ればきっと心配するに違いない。

「さて、銃太郎殿の片恋のお相手に接吻しろと命ずるわけにもゆかぬし……。どうすれば目覚めてくれるのか……」

 ふむ、ともう一度振り出しに返って思案してみる。と、そこへどやどやと入室してきた者たちがあった。

「よ、瑠璃姫。若先生が寝込んだって?」

「どれどれ、銃太郎も失敬なやつだ。この山岡さんが見舞いに来てやったのに、瞼すら開けんとはな」

「助之丞、……栄治も来てくれたのか」

 青山助之丞と、山岡栄治。

 銃太郎とは仲の良い二人が、揃って床の傍ににじり寄った。事の詳細を知ってか知らずか、実に安穏と構えた様子ではあるが、こうして見舞いに訪れたのは心配している証拠だろう。

 山岡のほうは、幾度か銃太郎の頬をぺちぺちと叩いてみて、それでも目を覚まさぬと知ると、詰まらなそうに吐息して大きく胡坐を掻き出した。

「銃太郎はどっか体の具合でも悪くしたのか?」

「いや、栄治……それはだな、その~……」

 何となく言い辛くなって言葉を濁すと、傍らから瑠璃を覗き込んだ青山がぴんと声音を張った。

「さては恋の病!」

「!!!」

「――だったりして? アハハ」

(な、なんだ。冗談か……)

 当たらずとも遠からず。一瞬、何故か焦ってしまった。

 別に銃太郎の片恋が露見しようとしまいと、瑠璃が焦る必要など全くないのに。しかしそこに僅かなりとも自らの側近の所業が関わっていると思うと、あながち心中穏やかでいられないのも事実だった。

 するとまた、今度は栄治がごそごそと袂を探り、たにへと何かを差し出した。

「たに、試しにこいつを煎じて飲ませてみたらどうだ」

「ハア? 山岡さん、煎じるって言ってもそれ、大福にしか見えないんですけど」

「だから何だ。試してみる価値はあるぞ!」

「そんな馬鹿なー……」

 青山が鋭いかと思えば、山岡はいつも通り、我道を突っ走っているようだ。まるっきり頼りにならない。

 たにも瑠璃同様に呆れ果てた顔をしているが、それでも山岡はぐいぐいと大福を押し付ける手を引っ込めようとはしなかった。

(助けたい気持ちは兎も角……それは幾らなんでも効かんだろうよ栄治……)

 何か良い手立てはないだろうかと思案して、やがて瑠璃ははっと顔を上げた。

「ためしに、蹴ったり殴ったりしてみようか!」

 少々強引だが、痛みを加えることによって覚醒を促す方法は良いかもしれない。

 何しろ、昏睡に陥った原因も、鳴海の一撃による鈍痛だったのであろうし、罷り間違って荒療治も効果があるかもしれない。

 瑠璃としてはそんな期待も芽生えたのだが、予想外にもたにはその提案に渋い顔を見せた。

「……もっと起きなくなるんじゃないでしょうか」

「そうか?」

「姫様に蹴られたら、たぶん傷口に粗塩をねじ込まれる心境だと思いますけど」

「でも、その粗塩で覚醒するかもしれぬぞ?」

「さすがは鬼鳴海のお弟子……案外いじめっ子ですね、姫様……」

「たに殿だって、案外兄思いじゃないか……」

 銃太郎の実妹に苦い顔をされては、無理矢理に暴挙に出るわけにもゆかず。

 状況はまたしても、振り出しへ戻ったのであった。


   ***


 何もなしに部屋を間借りしているのも心苦しく、翌日から銃太郎は老女の畑仕事の手伝いをすることにした。

 とはいえ、鍬も鋤も持ったことのない身ゆえ、あまり役に立てるものとも思えなかったが。

 それでも、力仕事を代わってやれば、老女はそれだけで大喜びしてくれた。

「んだら、そろそろお茶にすっかい(お茶にしましょうか)」

 折り曲げていた腰を伸ばして、朗らかに銃太郎を誘う声。

 それにつられ、銃太郎もまたにっこりと笑顔を返した。

「では、天気も良いことですから、外で頂きましょうか」


 

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