第三陣 (4)

「暫く……ご厄介になります……。が、爺さんではありません」

「なんだべ、強情っ張りなんだない!」

「ほんと、あんたちょっと贅沢じゃねえ? ここにいる間くらい、爺さんでいいじゃん。ねー、婆ちゃん?」

「んだんだ。ねー」

「ねー、じゃないっ!!」


   ***


 春の夜空も、まだ冷え切った風が過ぎ行く。

 この時代でも、季節は変わらずに春先であるようだ。

 結局、例の老女の自宅に間借りすることに落ち着いた銃太郎は、夜更けに床を延べると、漸く心静かに景色を眺めることが出来た。

 古い家屋は、老女一人で暮らしているらしい。

 老人の一人暮らしで、この大きな平屋の家は、きっと寂しいことだろう。

 日中に見せていたあの底なしとも思える明るさを思い起こし、銃太郎は知らずと忍び笑った。

 聞けば子は既に家を出て、別居しているという。

 子や孫がこの家に訪ねてくるのも、年に一、二度というから、普段はこの広い家に、一人きりなのだろう。

 普通、年老いた両親を一人きりにはしないものなのに。

 少なくとも、銃太郎の思うところでは、それが普通だ。

(まして女性では、心細くはないのだろうか……)

 朗らかに、陽気な笑顔を見せるだけに、何となく気掛かりに思った。

 縁側に一人足を組み、眺める夜空は、霞のかかった月夜。

 朧げな月の輪郭を目でなぞらえ、銃太郎は一つ、小さな溜息を吐く。

 この月を、今、瑠璃も見ているだろうか。

 今と、元の時代とで、変わらぬものと言えば唯一、空に浮かぶもののみ。

 城は既になく、無論、見慣れた屋敷の姿もなく。

 刀を差して歩く者も、髷を結った者もない。

 男も女も、皆妙な衣服を纏い、銃太郎の知る人々の面影など、どこにも留めてはいなかった。

 これが、実際にこの土地に訪れる未来だというのなら、致し方ないことかもしれない。

 人もまた、時と共に移ろいゆくものなのだろう。

「瑠璃が見たら、何と言うだろうなぁ」

 ふと声に出して呟けば、その人を傍近くに感じる事が出来るかと思った。

 けれど、ただ虚しく冷たい風が吹き過ぎるばかり。

 どこにもその人の気配を感じる事は出来ない。

 そうして初めて、自分が感傷的になっていることに気が付いた。

 昨年まで国許を離れ、藩命のために江戸へ遊学している間にだって、これほど故郷が恋しいとは思わなかった。

 江戸という遠い土地に比べ、ここは故郷である二本松の土地だというのに。

 それなのに、故郷の人々が、これほど遠い存在になりうるものだとは。

 二度と戻れぬかもしれない。

 再び、恋しい人の顔を見ることも、声を聞くこともないかもしれない。

 この現状に、これほどまでに心を挫かれるとは、考えたこともなかった。

「こんなことになるのなら、素直に想いを打ち明けていれば良かったかもしれないな……」

 たとえ、叶わないとしても。

 あの人を困らせることになっても。

 身分の壁は高く厚いとしても、それでも、恋うる想いはそれさえ遥かに凌ぐほどなのだ、と。

 僅かに筋を作って流れる雲が、月の光を遮る。

 闇多くも、北条谷の木々は黒くその姿を連ね、時折微かな葉音が谺していた。



【第四陣へ続く】

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