第三陣 (2)


 屋敷の類は大分多いようだが、風景は随分と冷たくなっている気がする。

「東に向かって続いている、あれは……観音山脈か?」

「そうそう。そして、あっちが安達太良山」

 と、亮助は徐に背後を振り仰ぎ、西の山を指し示す。

 本城の石垣をぐるりと取り巻くように枝を張る松の間に、安達太良の秀峰が覗いていた。

 その稜線は、今も昔も変わらぬ姿。

 白くたなびく雲を従えた姿に、一時、銃太郎の戸惑いも凪いだかに思えた。

 しかし、それは、銃太郎の知る安達太良の姿ではない。

 少なくとも、銃太郎にとっては。

 あの山頂を見上げる時、いつも、その雄々しさに力付けられる。

 勇気をも与えられる。

 故郷を、最も誇らしく思う瞬間でもある。

 決して、寂しさなど感じることはなかった。

「今、この時代は、どういう時代だ?」

「え? どういう? って?」

 遥か西。

 なだらかな山脈の縁取る空との境界を眺め、銃太郎は亮助の答えを待った。

 初め、質問の意図が呑み込めなかったかに見えた亮助も、やがて見当をつけてちらほらと答え始める。

「ま、平和と言えば平和だな。日本がどっかと戦争してるわけじゃねえし」

「そうか」

「だからって、日々何事もねえかって言ったら、そうでもねぇけどな」

 開口一番に平和だと答える割に、その回答はおよそ曖昧なものに過ぎないらしい。

 この時代はこの時代で、それなりに様々なことが起こっているだろうことは、窺い知ることが出来た。

「ま、二本松は静かで平穏なとこだと思うけど?」

 銃太郎へ切り返すような口振りで、亮助は横目でこちらを覗く。

「私の生きる時代も、平和だった」

 何となく、亮助に同じことを問い返されたような気になり、銃太郎も目を合わさぬままで言う。

「やはり、善悪問わず様々な者がいるが……戦はなかった」

「何だよ? 過去形だな? ……ま、俺から見りゃ確かにあんたの時代は過去なんだろうけどさ」

 平和だった。

 今までは。

 それが崩れて、その波がこの土地に迫りつつある。

 それを言えば、亮助はどう思うだろう。

「なあ銃太郎さん、何だよ? あんたのいた時代は平和じゃなかったってのか?」

 亮助は、微かに表情を苦くしたようだった。

「そうだな。でも、これが現実だというなら、この二本松の未来は平和な世になる。それなら、何も言う事はない」

 こうして、人々が平穏に暮らす未来があるのなら、きっと、藩が抱える難も乗り切ることが出来るのだろう。

 その重要な役割を、自分も含めた二本松藩士たちが担っているのなら。

 身を引き締めて掛らねばなるまい。

 ここに城がないことに驚きはしたが、それでもやはり、民は今もこの地に暮らし、生き続けている。

 これを、瑠璃に伝えることが出来たなら。

 何より、民を案じるあの姫君のことだ。

 きっと安堵するに違いない。

 ふと脳裏に瑠璃の朗らかな笑顔が浮かび、思わず銃太郎の頬も弛んだ。

「あ? 何ニヤニヤしてんだよ」

「べ、別にニヤニヤしてなど……!」

「あ。何? 今ちょっと好きな女でも思い出した? えぇ? 誰、もしかして、その瑠璃って子?」

 頬の弛みを賺さず見て取った亮助が、からかうように口の端を上げる。

 亮助のほうが、充分ニヤニヤしているくせに。

 しかし、言われた事は実際図星で、銃太郎も一瞬返す言葉に詰ってしまった。

 勿論。

 それを見過ごす亮助ではない。

「お、ほらほら? 当たり?」

「ち、違うっ! おおお大人をからかうな!」

「うわあ、うろたえちゃって。そうかー、瑠璃ちゃんが好きなのか、銃太郎さんは!」

「だっ、だからぁっ!!!」

「隠すな隠すな、誰にも言わねぇよー」

 余裕の笑みを浮かべる亮助。

 はっきりきっぱりと言動として述べられ、火があがるほどに顔が熱くなった。

 今まで、一度だってこんなにはっきりと言い当てられたことはない。

 そんな焦りが伴って、銃太郎は口を噤んだ。

 肯定も出来ないが、否定も出来ない。

「そうかそうか、それでその大谷ってのが、二人の仲を邪魔してんだ?」

 ああ、なるほどね。とか何とか一人納得し始める始末である。

 いや、確かにそこも当たってはいるのだが。

「うぶなんだねぇ、銃太郎さん。顔、赤すぎ」

 何が可笑しいというのか、亮助は顔を歪めて笑いを堪えている。

 ご丁寧に腹まで押さえる笑いっぷりだ。

「い、言っておくが! 瑠璃は二本松藩公のご息女、つまり姫君なんだぞ!? お前が気安く名を呼んで良い相手ではないんだっ!!」

「はれ? なに、お姫様なの?」

 目尻に涙を浮かべたままで、亮助はきょとんとこちらに向き直る。

 が、本当にどこがどう可笑しいのか、寧ろこの亮助そのものが変なのではないかと思うほど、再び噴き出した。

「へえぇー!! ぶはっ! すごいな! で、どうなの、うまく行きそうなの?」

「だっだから、要するに私などがお慕いして良いような相手じゃないんだっっ!!」

「あーらら。片思い? っていうか、早くも失恋?」

 未だ止まらぬらしい笑いに腹を捩りながら、亮助は次々に言葉の矢を放つ。

 しかもその言い方が、また何とも人の心を抉ってくれる。

 その鏃の鋭さは、既に大谷鳴海を上回っているかもしれない。

「まあ元気出せよ! もしかしたらお姫様だって、あんたのこと好きかもしれないじゃん」

「……お前、もうその話題、やめないか……」

 瑠璃もまた好いてくれているかもしれない。

 亮助は気を遣って言ったつもりなのだろうが、それはきっと無い。

 瑠璃は単に、銃太郎の砲術の腕を見込んで、入門しただけだ。

 そんなことは、瑠璃の様子を見ていれば分かる。

 いつだって、知らぬ間にその姿を目で追っているのだから。

 もしもそんな素振りが瑠璃にあれば、決して見逃すはずはない。

 仲の良さで言っても、瑠璃にとってみれば、銃太郎は気心の知れた存在ですらないだろう。

「瑠璃は、私などより、青山とのほうが仲が良いんだ……」

「へ? 青山……って、俺?」

「ば、馬鹿っ! 違う! お前じゃないっ! 私の知人の青山助之丞のことだっ!」

 亮助のとぼけた返答に、狼狽してしまったが、すぐにも己の阿呆さ加減に気がつく。

 亮助の冗談に、何を本気になって怒鳴っているのだか。

「……す、すまない。冗談は苦手なんだ……」

 大声を出した事を素直に詫びれば、亮助もまた含み有りげに笑う。

「ほんとに好きなんだねぇ、そのお姫様のこと」

「ぐっ、おまっ、だから私はその手の話は苦手だと……」

「それで? そのお姫様と、将来は一緒になりたい、とか?」

 こちらの言う事には全く意も介せず、亮助は意気揚々と話を続ける。

 しかも、突然そんな将来事を言い出すとは。

「そんなことは、望んでなどいないっ!」

「まあまあ、どうせここにはお姫様も大谷さんもいないんだしさ。素直になれば?」

 ここで思いの丈を口にしたからと言って、誰も咎める者はいない。

 そう言って、亮助は気安く笑いかけてくる。

 聞かれてまずい人は、いない。

 姫君に対し、愚かにも想いを寄せるからと言って、それを咎める者はいない。

「私は……」

「うんうん」

「……私は、生涯、あの方の側に仕えることが出来れば、それでいい」

「はあ?」

 人の良い笑顔だった亮助が、一変して奇妙に顔を歪める。

「んなもん、建前じゃん。だいたい一生って、あんたなぁ! お姫様だってそのうち結婚とかすんだろ。それを側で見てて、辛くねえのか」

「それは……」

 辛いに決まっている。

 だが、辛かろうと、自分にはその隣に立つ資格はない。

 ならば、せめて側にいて、臣下として守ることが、最上の幸福。

「辛いだろ? っつーか、お姫様の旦那になる奴にムカついたりすんだろ?」

「……う、っ……」

「本当は、一緒になりたいんだろ?」

「…………」

 執拗に問い質してくる亮助に、銃太郎はほとほと困り果てた。

 何故、そこまで人の心の底を引き出そうとするのか。

 亮助の言う通りなのが、更に心に堪えた。

「別に、誰が誰を好きになろうと自由じゃねえか」

 確か、己自身も鳴海へ言った言葉。

 想うは自由。

 それに似ている。

 うっかり亮助の誘導に乗りそうになり、銃太郎は慌てて唇を引き結んだ。

「と、兎に角! 私の一方的な片恋であって、たとえ辛かろうと、秘めるより他に仕方がないんだ! そんなことで瑠璃を煩わせることは出来ないっ!」

 頑として素直に語らない銃太郎に、亮助も漸く諦めたのか、大仰に溜息をついた。

「はぁ、さいですか。まったく頑固だねぇ、昔の人ってのは。おお、可愛くねぇ」

「かっ、可愛くなくて結構だっ!!」

 一言怒鳴り返すも、亮助は再度言い返すことも無く、ぴたりと表情を改めた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る