第二陣 (2)

   ***


 危うく難を逃れ、銃太郎は着の身着のまま、谷間の出口へと向けて歩く。

 見慣れぬ屋敷ばかり、更には、今歩く道すらも、様子が違う。

 おかしな屋敷の間間には、畑や田が広がり、上を仰げば空を掛かる、奇妙な線が幾筋も張り巡らされているし。

 家にいたはずなのに、風景はさっぱり見も知らぬものに成り代わっている。

(どこなんだ、ここは)

 そう思いつつも、歩いている道形は、微かに覚えがあるような。

 と、気が動転しかけるのを堪えながら歩き続けると、やがて銃太郎の目に飛び込んだ、一基の碑。

 道のごくごく片隅に、申し訳程度に設置された、その碑に彫り込まれた文字。

「……北条谷」

 思わず歩み寄り、その磨かれた石に触れてみる。

 北条谷。

 確かに、銃太郎の住む家も、その北条谷の奥に位置する入北条谷。

 この場所が北条谷ならば、今歩いてきた元の場所こそ、入北条谷ではないのか。

 そう眉間を狭めた時。

 銃太郎の視界に、さらなる文字が認められた。

 北条谷と彫られた文字の上に。

 『旧』の一字。

「旧!? 旧って何だ!? ちょっと待て! 地名が改まったなんて、私は聞いてないぞ!?」

 北条谷が旧地名なら、ここは何という地名なのだ。

 狸や狐にでも騙されたのかもしれない。

 というか、そうとでも思わなければ、説明が付かない気がする。

 だが、自分にとって、全く知らぬ土地でもないようで、銃太郎は再び道の先を見据えた。

 道は、どうやら後少しで辻になっているようだ。

 ここが北条谷であるなら。

 あそこを右に行けば、二本松城があるはず。

 他にどう出来るわけでもないのなら、一先ず城へ行ってみよう。

 そう思い直し、銃太郎は碑を離れた。

 すれ違う人も、まばらではあるものの、見た目は変わらぬ様相だ。

 しかし、服装は奇妙なものだった。

 筒袖のようだが、それとも少し違うような。

 以前江戸で見かけた、いわゆる洋服というものに酷似している。

 自然、用心にも力が入り、足取りもさらに重いものになっていくのが分かった。

 思い起こされる道程を頼りに、どれほど足を進めただろう。

 辻を右に、真っ直ぐに進めば。

 ふと、視界が開けた。

 立ち並ぶ、松の木々。

 そうして、その奥に白く浮かぶのは。

「門、か……?」

 見慣れた城門とは少々異なるが、確かに、ここは城のある場所。

 そして、引き寄せられるように道沿いに歩けば、その左手には大きな一枚岩があった。

「これは……」

 戒石銘かいせきめい

 過去、第五代目の藩主・高寛公が、儒学者・岩井田昨非に命じて彫らせたもの。

 これが、二本松以外の場所にあるはずがない。

 間違いない。

 ここは二本松の城下であるし、この場所は、二本松城なのだ。

 そのことを、この一枚の岩が示している。

 山高く、城そのものと思しき建物もなく、周囲を巡って満々と水を湛える大きな堀もないが。

 確かに、ここは生まれ育った二本松。

「どうなってるんだ……」

 頭では確信しても、自身でも納得のいく説明がつけられない。

 土地が違うというよりも、時代そのものが違うような。

 そんな印象すらあった。

 どっしりとその場に腰を据える戒石銘の前に立ち、銃太郎は暫し呆然としていた。

 今いるこの場所が二本松城だというのなら、では、瑠璃はどこにいるのか。

 青山は?

 何かにつけて口煩い、鳴海は?

 門弟達は、どこにいる?

 家族ですら、その影さえもない。

 知人ばかりのはずの城下は、見知らぬ顔触ればかりが行き交う。

 何がどうなって、こうなったのか。

 鳴海と話し込んで、城へ帰したはずの瑠璃が道場へ戻ってきて。

 それから。

 確か、鳴海の大刀の柄で、頭に攻撃を加えられ。

 瑠璃に倒れこんだ。

「……。まずい。そこから先が分からん……」

 と、額に気持ちの悪い汗がどっと噴き出した。

 そして、その額に右手をあてがった、その時。

「なー、あんた。面白れぇーカッコしてんなぁ?」

 暢気な声が背後からかかると同時に、銃太郎は咄嗟に振り返った。

「何か祭りでもあんの?」

 見れば、妹のたにと同じくらいだろうか。

 齢十七、八ほどと見える、一人の少年がのんびりと歩み寄ってくる最中であった。

 その表情には、敵意があるようには思えぬ笑顔が浮かんでいるのだが。

 銃太郎は賺さず身構え、眦を吊り上げた。

「何者だ」

「お? 何だよ、本格的だなぁ? それ、武士のカッコだろ? すげえな、刀差してらー」

 睥睨を浴びて怯むどころか、少年は嬉々として銃太郎に近寄る。

 茶色がかった髪を短く無造作に切り、妙な紺色の筒袖を着崩していた。

 その、やけにへらへらした笑顔が何となく青山を思い出させるのだが、当然、青山とは別人だ。

「あ、でもちょん髷じゃねえんだ? ポニーじゃん、ポニー。何? ねえ、若侍?」

 いやに人懐こい口調で次々と話しかけてくる。

「無論、私は丹羽家十万石二本松藩の士、木村銃太郎だ! 貴殿の名を名乗れ」

 普段、こんな話し方をすることなどないのだが、見慣れぬ風景の中の見慣れぬ人を前にしては、やや肩の力が入ることは致し方なかった。

「ふーん、そういう役なんだ? よくわかんねーけど、あんた似合うな、武士のカッコ」

「は?! や、だから私は本物の武士で……」

「あれ、でもお仲間は? あんた一人じゃないんだろ? 祭りやるんなら、もっと他に仮装した奴らも来るよな?」

「えっ……おまっ、私の話を聞いてるのかっ!?」

 多分、いや絶対聞いていない。

 少々小ばかにされた気もするが、少年ののほほんとした表情を見ると、どうにも悪気というものは感じられなかった。

「あ、オレね、青山亮助。ぴちぴちの十七歳、男子高校生だから。よろしく」

「そ……そうか……」

 何となく気勢を削がれ、銃太郎はがっくりと脱力する。

 それにしても、この亮助という少年も青山だというのには、意外と言うべきか、納得と言うべきか。

 身形も風貌も全くの別人であるのに、何故か旧知を重ねてしまう。

「時に、ええと、亮助。一つ尋ねても良いか?」

「おう、何?」

「ここは、城、なんだな?」

 若干の気後れを感じつつも、そう尋ねると、亮助はふと白亜の城壁を一仰ぎした。

「まあ、城だな。城自体はねぇから、正しく言やぁ、昔の城の址だわな」

 飄々と答えた、亮助の言葉の端に。

「昔……?」

「昔だろ? 今建ってるあの門だって、オレなんかが生まれる前に立て直されたモンだぞ?」

「……もう一つ、良いか」

「え? 何、兄さん、あんた二本松の人じゃねえの?」

「いや、二本松生まれの二本松育ちだが。ええと……今は、慶応四年、だよな……?」

 亮助が、一体いつを指して昔だと言っているのか、良くは分からないが。

 兎に角、今は慶応四年のはずである。

 そう信じ、銃太郎は顔を強張らせて亮助を見遣る。

「はい? けいおう? よねん? ……何だそりゃ、いつだよ、それ。今は平成だぞ?」

 亮助の表情が、急に奇妙に顰められた。

 そして、そう答えると、ますます彼の目は怪訝そうに銃太郎を捉えた。

 へいせい。

 聞いた事もない。

 過去、そんな元号が果たしてあっただろうか。

 と、暫時自問自答して、銃太郎は大きく頭を振った。

「馬鹿な! そんな元号は聞いた事がないぞ! 嘘を吐くな!」

「な、なんだよ!? 嘘じゃねえよ! なりきるのもいい加減にしろよアンタ?」

 嘘吐き呼ばわりされたのが、余程心外だったと見え、亮助は更にむっとしたようにこちらを睨み返す。

「で、ではこれはどうだ?! 今、二本松を治めておられる殿様は、なんと仰る?」

「殿様!? あんた大丈夫か!? つーか、殿様がいた時代なんてもう、軽く百年以上昔の話だぞ!?」

「ハァ!? ひゃくねん!!? ちょ、お前、冗談も小出しにしろ!!」

「小出しにしたって本当のことなんだから、しょうがねぇだろ!」

 憤りと驚愕の入り混じった面持ちで、亮助は声高に言う。

 絶対に嘘ではない、と。

「あー……最後の殿様がいた頃からだいたい、百何十年か、くらい……だったかな?」

 衝撃は、脳天を突き破るかと思えたほどに。

 銃太郎は暫し絶句した。

 最後に殿様がいたのは、もう百ン十年も前のこと。

 では、ここは過去でもなく、現在の慶応四年でもなく。

「……み、みらい……」

 呟いた声音が、小さく震えた。

「おいおい大丈夫かよ? 何か、変な汗出てんぞ……」

「だ、大丈夫……だと、思いたいなぁ……あはは」

「あはは。真っ青だけど、あんた。何そんな時空を越えてきた人っぽいこと言ってんだよ」

「あはは」

「……何だよ、まじかよ。あはは」

「あっはっはっはっは」

「あははははは、ありえねぇな、おい」

 己の中の何かが崩壊し、最早笑うことしか出来ることはなかった。

 つられて亮助も笑ってはいたが。

 両者とも、真っ青な面相で、ただ目だけは互いに深刻なままであった。



【第三陣へ続く】

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