第二陣 (1)
翌朝。
鳴海は焦っていた。
起きないのである。
「息はあるんだがなぁ……」
一応銃太郎の部屋に付き添い、寝もやらずの看病をしてはみたのだが。
丸一日が経っても、その瞼は開かない。
直に、瑠璃もやってくるはずだ。
何しろ、今日は正式にこの塾へ砲術を習いに来る日になっているのだから。
未だ目を覚ましていないと知ったなら、瑠璃もさすがに慌てるだろう。
これを機に、瑠璃までもが銃太郎を一層気に掛けるようになっては一大事。
何とかして目覚めさせることは出来ないものか。
様々に思い巡らせてはみるものの、これと言って妙案が閃くでもなく。
それならばいっそ、ボコボコになるまで殴ってみようか、とも思う。
「いやいや、しかし、それでは本当に息の根を止めてしまいそうだ!」
独り、まんじりともしないまま夜を明かし、室内にも眩しい朝の光が差し込んでいた。
***
やがて、庭先でこそこそと足音が聞こえ、鳴海は直感で瑠璃だと気付く。
案の定、その足音は屋敷の中へと入り、間もなくこちらへ一直線に近付いてきた。
「銃太郎殿ー!!! 起きてるかぁー?」
元気溌溂とした張りのある声で呼びながら、するりと襖を開け放す。
と、こちらの光景を目の当たりにした瑠璃が、急に顔を曇らせたのが分かった。
「……まだ寝てたのか?」
「というか、昨朝より一度も起きません」
鳴海が素直にありのままを報告すれば、瑠璃の顔はますます深刻な翳りを帯び出す。
横たわる銃太郎は、今もその指先さえ動かす気配を見せない。
が、鳴海の確認する限り、息はしっかりとあるし、勿論身体も温かい。
「銃太郎殿は……なぜ起きぬ?」
「それが分かれば私とて悩みません!」
静かに隣に腰を落ち着けた瑠璃の横顔は、いつになく緊張を顕わにしていた。
そうして、暫く思案する素振りを見せてから、瑠璃は突然鳴海を睨み付ける。
「鳴海。接吻じゃ!」
「る、瑠璃様と接吻っ!? ばばば馬鹿なことを仰るな! それこそ私は打ち首ですぞ!?」
「阿呆! 銃太郎殿に接吻しろと申しておるのじゃ!!」
「…………え?」
唐突な、瑠璃のあまりの暴言。
一瞬何を言われたのかも理解できず、鳴海はぱちくりと瞬いた。
「……今、何と?」
「銃太郎殿の想い人である、そなたの接吻があれば、目覚めるかもしれぬじゃろう!?」
「どどどどこの国の話ですか、それはっ!?」
「ものは試しじゃ! 誑かされたと思うて、銃太郎殿の口を吸うてみよ!!」
「ヒイイイイイィィやぁあああああっ!!?」
豪語すると同時に、瑠璃は早速鳴海の後頭部を押さえ込み、ぐいぐいと昏睡状態の銃太郎へと近づける。
「おやめ下さい! そのようなことっ、私があの世へ召されてしまいます!!」
「そなたの責任じゃ! さあ!!」
「いやああああああああっ」
必死で抵抗すれば、女子の瑠璃の細腕などは、容易く押し返すことが出来る。
鼻息も荒く接吻の危機を逃れると、鳴海は賺さず部屋の敷居まで這いずり下がった。
が。
「銃太郎殿がっ! このまま目を覚まさねば、どうしてくれる!?」
後退した鳴海を振り向いた、瑠璃の目に。
じわりと薄く、涙が浮かんでいるではないか。
(昨日あれほど薄情だったではございませんかっ……!!)
とは、心にこそ思っても、決して声には出せない。
「銃太郎殿はきっと、よほどに思いつめておったのじゃっ。そなたのことを……!!」
(それはございませんぞ、瑠璃様……)
思い詰めているとしたら、それは瑠璃のことであろう。
全く以て、仕様も無い偽りを口走ってしまったものである。
だが、瑠璃のほうは真面目に信じ込んでいるらしく、痛々しいほどの涙目で鳴海をねめつけている。
「鳴海が受け入れてくれぬから! だから銃太郎殿は目を覚まそうとしないのじゃ!!」
真剣な声で、瑠璃はぽろぽろと涙をこぼす。
その表情にはさすがに弱ったものだが、今更どう弁解して良いかも判別できない。
「どうあっても銃太郎殿の気持ちに答えられぬというなら、もう良い! 銃太郎殿はこの私が看る!! そなたは城へ帰れっ!!」
激昂に任せて声を荒くする瑠璃に退室命令を出され、鳴海は他に手も足も出ずに引き下がるのみであった。
***
鼻先を、すっと吹き抜けていく清爽な風が一陣。
それに乗って届くのは、豊かな大地の大らかな緑の香。
注ぐ陽光は、閉じたままの瞼を燦々と照りつけているらしい。
微かに鳥の囀る声も響いている。
豊かな土地。
和やかな風。
(今日も平和だ……)
と、双眸を閉じたまま、銃太郎はそんなことを思った。
が。
「何だべ、ンまぁー。これっ! おめ、なぁーにおらげ(私の家)の畑で寝でんだよ!」
少々掠れた、老女と思しき声が、その平穏を引き裂いた。
おかしい。
確か、ここは北条谷の奥にある、自宅のはずなのに。
こんな声は聞いたことがない。
勿論、家族の誰かであるはずがなかった。
「おら、邪魔だよ! なんだって、こだとこ(こんなところ)で寝腐って!!」
その声が上から注ぐのと同時に、銃太郎ははっと目を見開いた。
「あら。何だって
食い入るように覗き込む、大分歳のいった老女と目が合う。
こちらもまた、思わずその皴だらけの顔を食い入るように見上げた。
こんな顔は、知らん。
と、銃太郎が眉根を寄せる様子も、老女は見ているはずなのだが。
「おめさま、死んだ爺さんの若ぇ頃にそっっくりだぁ。ほだ(そうだ)、おめ、爺さんか! 爺さんだべ!?」
「……違います」
何故かポッと頬を赤くして、酷い勘違いをしてくれる。
とりあえず否定してはみたものの、銃太郎には、この状況が一体何なのか、さっぱり理解することが出来なかった。
しかも。
「ほだこどねぇ! (そんなことない!) 爺さんだ! 爺さんが生ぎ返って若返ったんだ!!」
否定は婆さんには通じていないらしい。
「ですから私はあなたのご主人ではありませんよっ!!」
そのしつこさに耐え兼ねて、銃太郎はがばと跳ね起き、老女の目の前に立ち上がる。
起き上がってしまえば、体の小さな老女には、銃太郎は空を仰ぐほどの長身である。
「だいたい死者が生き返って、しかも若返るなどあるはずがないでしょう! あなたの勘違いですっ!」
と、そこまで言い返して、銃太郎はふと気が付いた。
「……畑だ」
「んだ、おめさまこそ、こだとこでなーにしてんだ」
自宅にいたとばかり思っていたのに。
この場所には、建物のたの字も無い。
あるのは、土と植えられた作物と、婆さんが一人。
周辺を見渡しても、何か見慣れない、不思議な屋敷がぽつぽつと並んでいる。
だが。
風景こそ妙だが、この地形には覚えがあった。
恐らく城下から続いているであろう通りもあるし、正面に迫って見える小高い山は、きっと城の裏手に当たるものであろう。
そう、思える節もあるのだが。
「婆さん。つかぬことを伺うが……」
「何だべ爺さん」
「爺さんじゃないっ!!」
にこにこと笑う老女を、ちらと見遣り、銃太郎は問うた。
「ここは……どこでしょう」
「おらげの畑だ。さっき言ったべ」
「ですからそうではなく! ここは、二本松、ですよね……?」
「二本松だー。……ほれがどした」
怪訝に答える老女の前で、銃太郎はとりあえずここが二本松であることを知る。
「まーまー、そだおっかねえ(そんな怖い)顔してねえで、爺さん!」
「だから爺さんじゃないったら!!」
「まーた、何照れ腐ってんだべ! ほれ、さっさと家さやべ! (家に行こう)」
と、言うなり老婆はむんずと銃太郎の腕を絡め取り、引き摺って行こうとする。
「ちょちょちょっと! や、やめてください! 畑にお邪魔して申し訳なかったっ! もう私も行かねばなりませんので!」
これで失礼します。
慌ててそう言い返し、銃太郎は自らの腕を引き戻した。
そして、行く先などてんで分からないまま、その場を後にしたのである。
「何だぁー、早くに帰ってこっせよ! 爺さんの好きなシチュー作ってやっかんない!」
「い、いりませんっ」
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます