第一陣 (3)

 

 火に油を注ぐようなことを、躊躇もなく言い放つ瑠璃。

「瑠璃様っ!! 今傍にいるソレが、如何に恐ろしい獣か、まだお解りでないか!?」

(獣じゃなあああああい!!)

「何で銃太郎殿が獣なのじゃ! それは寧ろそなたのことではないのか……って、あ、違うか、そなたは鬼か」

「では申し上げます。そやつは身の程も弁えず、瑠璃様に甘く切ない想いを抱き、常に瑠璃様を変な目で見ているのですぞ!? 私は御身をお守り申し上げようと……!!」

 そんなところばかり図星を突かないで欲しいものである。

「銃太郎殿がそんな不埒な真似をするものか! それこそそなたの思い過ごしじゃ!!」

 しがみ付いたまま放った、瑠璃の強い一言。

 鳴海の暴言に対する否定の言葉であるというのに、それが酷く胸を抉った。

 やはり、この恋慕を瑠璃が知ったなら、嫌がるのだろうか。

 師弟の間柄としては親しくしてもらえても、そんな想いを抱いていると知れば、掌を返されてしまうのだろうか。

「……瑠璃、帰りなさい」

「いやじゃ」

「帰りなさい!!」

 思わず声音が荒くなると、瑠璃は驚いたように銃太郎を見上げ、返答をやめた。

「今日は、もういいから。帰りなさい」

 またすぐに、塾へやって来る日になるのだから。

 せめて、それまでにこの罪悪感にも似た、胸の痛みを払う時間を与えて欲しい。

「早く」

「……分かったよ」

 銃太郎の様子が普段と違っていることに、瑠璃も気付いたらしい。

 静かに腕を解くと、自ら鳴海の方へと歩んでいく。

「おお、瑠璃様、お早くこちらへ!」

 鳴海が咄嗟に瑠璃を背後へ押し隠す様子が窺えたが、それでもそちらに目を向けることが出来ずにいた。

「おい、そこの! 青山とか言ったな。お前、私に代わって瑠璃様を城へお送りしろ。誤魔化してどこぞへ遊びに行くなよ」

 意外な事に、鳴海は青山へとその護衛を命じる。

 何のつもりだ。

 と、訝ると、それまで傍観していた青山も、ほいほいと瑠璃の傍へと進み出た。

「私は少々、こいつと話がある。瑠璃様はきちんと城へお戻りください。頼んだぞ、青山」

「まー、俺は構わないすけど……途中で団子食ってってもいいですか?」

「ああ構わん。好きにしろ」

 二言三言の会話の後、青山が瑠璃の手を引いて門を潜るのが目に入った。

 その様子が、まさに似合いだ。

 帰れ、と言ったのは自分自身なのに、それでもまだ、青山と連れ立っていく姿を見るのは辛い。

 去り際、こそりと瑠璃が青山に話しかける声がした。

「銃太郎殿に嫌われたー……」

「虫の居所が悪かったんじゃねえのか?」

 違う。

 嫌いで帰れと言ったわけではない。

「る……っ」

 否定しようとした矢先、その視界を塞いだのが鳴海だった。

「待てこら。お前の相手は私だ」

「えっ……、ちょっとそれは勘弁してください」

「ばっ……! 貴様気色の悪い勘違いをするな!! 私は貴様の為を思ってだな……!」

「いや、大谷殿こそ何をご想像なさった」

「べ、別に良かろう、そんなことは! それよりも少し話がある。邪魔するぞ」

 一寸の奇妙な問答の末に、鳴海は有無をも言わさず道場の中へと入っていく。

 その間に、とっくに遠くまで去っていってしまった二人のことは諦め、銃太郎も引き続いて道場へと入ったのだった。


   ***


 ひんやりと張り詰めた空気と、冷たい板敷き。

 そこに膝をつき合わせるように対峙した銃太郎と鳴海。

「一応お聞きしますが、なんのお話でしょう」

 何となく、鳴海の口から出るであろう話は察しがついていた。

「銃太郎、貴様、これだけははっきりと言っておくぞ」

 これ以上ないほどの渋面を作り、鳴海が厳かに口火を切る。

「あの方は、いずれ然るべきお相手の許に嫁がれるか、或いは、次にこの地を治める御方のご正室とならねばならぬ方だ」

「……瑠璃のことですか」

「左様。お前がいくら想い慕ったところで、自由になる相手ではない」

「そんなことは承知しております」

 どうせこんな話だろうとは思っていたが、それでも面と向かって真面目に説き伏せられると、どうも表情が厳しくなった。

 だが、鳴海はそれに構いもせず、吐息混じりに小言を言い続ける。

「だいたいお前、瑠璃様がこういったことに鈍感だから良いものの……。それで想いを秘めているつもりでいるのか?」

「秘めているではありませんか! 私は一言たりとも想いを打ち明けるようなことは……」

「貴様、もうちょっと目を何とかしろ」

「は? 目?」

「目は口ほどに物を言うだろう。言葉にせずとも、目で丸分かりだというんだ! 瑠璃様を見る目がキモイ!」

「きもいって言うな!!」

「兎に角! 貴様は態度で告白しているようなものだ! このままでは、幾ら鈍い瑠璃様でも気付くのは時間の問題!」

 それほど、態度に出ているつもりはなかったのだが。

 しかし、実際、目の前の鳴海には悟られてしまっているようだ。

 そして。

 ふと思い返せば、青山のあの態度。

 あれもまた、明言しないだけで、気付いているのではあるまいか。

 そんな不安が胸中を過ぎった。

「気付いとらんのは、瑠璃様くらいなものだぞ!」

「……そ、そんなに、目にも明らかですか」

 おずおずと尋ねれば、鳴海は憮然と腕組みをしたままで深々と頷いてみせる。

「瑠璃もいずれ、気付くと思いますか」

「今現在、気付いておられぬことのほうが奇跡だと思うぞ」

 独り胸に秘めておかねばならないとは知りながら、どこかで気付いて欲しいと思うことも事実。

「瑠璃が知れば、瑠璃は、どうするとお思いになりますか」

「お困りになるだろ」

「困る、とは……」

「しつこいな貴様」

「私に想われては、迷惑、なのでしょうか」

「……というか、私も迷惑だ」

「いや、あんたはどうでもいいです」

 鳴海が何と思おうが、そんなことは実際どうでも良いのだが、肝心の瑠璃の迷惑になる想いならば、それは気付かれるべきではない。

 すると、鳴海は不意に重々しく息をついた。

「あれでいて、深いところがおありになる方だ。無論、元来非常にお優しいご性格でもいらっしゃる」

「はあ」

「恐らく、ご自分から門を抜けるだろう。想いというのがどういうものか、瑠璃様とてご承知であろうからな。まずはお前との接点をお断ちになるだろう」

 それは、互いに傷つかぬために最良だ、と鳴海は言う。

 そして、瑠璃もきっとそうするであろう、と。

「まあ、早くに嫁でも貰う事だな。そうなれば、思慕も次第に薄れていくだろう」

 返す言葉もなかった。

 鳴海の言うことは全て正論であるし、このまま想い続けていたとして、それが報われる日が来るわけでもない。

 理屈は充分過ぎるほど、解っている。

「ですが、想うだけならば、私の自由ではありませんか」

「そりゃ自由だ。何も忘れろとは言わん。ただ、泣くのはお前だぞ」

「……」

 どうあっても忘れることは出来そうにないし、態度に出すなと言われても、どうして良いのか判らない。

「……遅すぎた春か貴様」

「ここっ、これまで興味がなかっただけです! 変な喩えをしないで頂きたい!」

 話し合いは、一向に収束への糸口もないまま。

 この手の話は、出来るならそっとしておいて欲しいものなのに。

 しかし、鳴海がこうしてわざわざ助言してくれるのも心底、こちらを気遣ってのことだろう。

 と、暫時の沈黙が二人の間に流れた時。

「ただいまー」

 と、飄々とした声が道場に響いた。

 驚き目を向ければ、そこには。

「あぎゃぁ!? ま、まだおったのか鳴海め!」

「瑠璃様?! ばっ……何故戻って来られた!? 青山は如何したのか!?」

「今ばかって言おうとしたなそなた!? 助之丞なら撒いてきたわ!」

 どうやら、城への道中またしても引き返してきたらしい瑠璃が、高らかに笑声を上げた。

 そして賺さず銃太郎の許に駆け寄ると、その背後に回りこみ、鳴海から隠れるようにして再びしっかとしがみ付く。

「とうに帰ったかと思うたに! ずるいぞ、鳴海ばっかり!」

 とか何とか吠える声も、耳には微か。

 議題に上がっていたその人が背にいることで、思わず身体も硬直してしまった。

「瑠璃様! そんなところに隠れては、食われますぞ!? さーホラ! 出ておいで!!」

「いーやーじゃ!! 銃太郎殿と話があるのは私も同じじゃ、そなたが去ね!」

「でしたら、さあ!」

 と、鳴海は徐に自らの両膝をぱしぱしと叩く。

「鳴海のお膝で銃太郎と話をすればよろしい」

 と、自分で言ったくせに照れが入ったのか、鳴海はほんのり頬を赤らめる。

「銃太郎殿、ちょっとあの阿呆をこらしめてもらえぬか……」

 げんなりと底冷えのする声音で、背後の瑠璃も言う。

 だが、それでもまだ、瑠璃はしっかりと背中に張り付いて離れなかった。

 

 

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