第一陣 (2)

 

 

 瑠璃の入門以来、何かに付けてやたらとしつこく探りを入れられるし、銃太郎の想いに気付いてか否か、妙に仲を割り裂こうとしてくる。

 まあ、それが普通なのかもしれない。

 自らの仕える主君の大事な姫君が、大した身分もない者と親しくすることに顰蹙しない重臣はいないだろう。

(遠いな……)

 少し手を伸ばせば触れられるほど近くにいるのに。

 決して、自分の許へは来ない人。

 身分の差から言ってもそれは覆せないものであったし、瑠璃の様子を見ていれば、どうやら想い慕っているのはこちらだけであるようだし。

 藩の重臣たちからの、新鋭の砲術師として期待は貰えても、瑠璃その人からの特別な想いは貰えそうにない。

 そして己に許されるとすれば、一人の武士として、迫り来る戦の危機から瑠璃を守ることのみだ。

 目前で笑い合う青山と瑠璃の様子を呆然と眺めながら、銃太郎は知らずと吐息をこぼした。

 息を吐くと同時に胸の辺りが締め付けられるような、痛みにも似た感覚が走る。

 多分これを、切ない、というのだろう。

 想いなど抱かねば、これほど落ち込まずに済んだだろうに。

「どうなのじゃ、銃太郎殿! 稽古をつけてくれるのか、くれないのか!」

 はっと我に返れば、訝るような上目遣いで、瑠璃がじりじりとにじり寄って来るところであった。

 真っ直ぐに覗き込んでくる、その目が、今は何故か胸の内までも見透かされてしまいそうにさえ思えた。

「わ、分かった。だが、大谷殿が迎えに来たら、そこまでだぞ! そうしたら、大人しく城へ帰ること。いいな?」

 詰め寄られて承諾した銃太郎の胸中など、いざ知らず。

 瑠璃は仲間に入れて貰えることが素直に嬉しいのだろう。

 ぱっと表情を明るくし、口の端を綻ばせた。

 こんな笑顔を向けてくれることが、嬉しくないわけがない。

 それが誰にでも向けられるもので、自分にだけ見せるものでないことが悔しい。

 頭で理解していても、そう思ってしまうことまでは歯止めが利かなかった。

「やったっ、じゃあ皆が集まるまで一足先に指南を頼めるか?」

「いやしかし、瑠璃は普段から大谷殿にも指南を受けているだろう。だから特に私の指南などは……」

「本当に必要ないなら頼まぬ! そなた並とまで贅沢は言わないが、私も強くなりたいんだ」

 鳴海は剣術しか教えてくれないからそれでは意味がない、と宣う。

 一たび武芸事や政治に関わる事になると、急に真剣な面持ちになる。

 それはもう、こちらが圧倒されてしまうくらいに。

「なあ、若先生が駄目だって言うんなら、俺が稽古つけてやろうか」

「え、助之丞が?」

「俺だって若先生とは五分張る腕前だからな、昔馴染みだからって甘く見るなよ?」

「そうか、それなら助之丞に――」

「ちょ、待て! 分かった! 一足先に瑠璃だけ稽古をつけてやる!」

「本当か、銃太郎殿!?」

 二人きりになる事を憚って一度は遠慮を示したものの、介入した青山に対抗する形でつい承諾してしまった。

 同じ時を過ごすことで、これ以上想いを深めてしまうのも、根拠のない期待を抱いてしまうのも、嫌なのだが。

「おやまあ、若先生ったら焦っちゃってー」

 呆れたように青山が吐息する。

 素直に言ってしまえば、こんな傍近くで二人の仲の良い様など、あまり見せ付けては欲しくないのだ。

「んじゃ、俺は見学かな?」

「青山は母屋にいてくれても構わんぞ。お前は私の弟子じゃないだろう」

「あっ、ひっどーい。そういうこと言うんだ、若先生?」

 無邪気に膨れっ面を見せて拗ねてみせる青山だが、何となく、この男は油断がならない。

 特別嫌いだというわけではないし、幼い時分からの馴染みもあるが、こと瑠璃に関しては、どうにも恋敵であるような気がする。

「まあまあ、別に助之丞が見ていたって、私は構わないが?」

 と、横合いから銃太郎を宥める瑠璃の声。

 瑠璃本人からそう言われてしまえば、銃太郎にも断る理由など見つからない。

 だが、面白くないのも事実だ。

「分かった。好きにすればいい」

 そう言い捨てて、銃太郎は道場の方へと踵を返した。

 と、二人に背を向けた、その時。

「……るっ、瑠璃様はおいでかっ」

 ぜいぜいと息を切らした男が、門柱に手を掛けて足を踏み入れた。

「うわあ、大谷殿っ! 早っ!!」

 必死に瑠璃を追ってきたらしい、大谷鳴海の姿がそこにあった。

 数拍遅れて瑠璃もその姿を確認したのか、背後から素っ頓狂な声を上げる。

「うげぇっ! な、鳴海じゃないかっ! そなた何も、こんなに早く追いつくことはなかろう!? 少しは気を遣え、気を!!」

「瑠璃様っ! 勝手に城を抜け出した挙句、必死にお止め申し上げた私に対し、それはあまりのお言葉! だいたい何に気を遣えと仰せですか!?」

「そなたが勝手に追いかけて来たんじゃろう!?」

「はんっ、この私がお側にある以上、瑠璃様の好きにはさせませぬぞ!?」

「いーやーじゃ!!」

「我儘ばかり申されると、お尻ペンペンしますぞ!?」

「やれるものならやってみるが良い!!」

 途端に、身分ある者同士の遣り取りとは到底思えぬ口論に発展する。

 一応、鳴海もこれでいて二本松の八番頭のうちの一人なのだから、臣下の中でも大身だ。

 半ば呆れもするが、しかし瑠璃には当初の約束も守らせなければならない。

「瑠璃、残念だが約束しただろう。大人しく城へ……」

「まだ稽古のけの字もなかろうに!? このままでは気が済まない! 私はここに残る!」

「ンまーーー!? 瑠璃様っ、またそのような我儘をっ!! 銃太郎、貴様も早く帰城をお勧めせぬか!」

「え、いや、あの。だから私はそのように……」

 言っているのが聞こえないのだろうか、この側近は。

 更に呆れて苦笑した銃太郎に、突如、瑠璃が飛びついて来た。

「城へは帰らぬ! 稽古を付けてくれると、銃太郎殿と約束したのじゃっ」

 真横から細い両腕をしっかりと銃太郎の腰に回し、ぎゅっとしがみ付く。

 一瞬、声を失った。

 そうして、己自身でも頬ばかりか耳までもが熱くなっていくのが分かる。

「ちょちょちょっ、瑠璃っ、そんな、大谷殿の前でっ!」

 慌てて身を引こうとするが、それでも瑠璃は執拗にしがみ付いて離れない。

 すると。

 やはり、今正面に立つ鳴海の表情がみるみる憤怒の色に染まっていくのが見て取れた。

「銃太郎、貴様」

「えっ、何!? 私ですか大谷殿っ!?」

 飛びついてきたのは瑠璃であって、決して銃太郎の行いではないのだが。

 鳴海の銃太郎を見る目は、謀反を目の当たりにしたかのような険しさだ。

 いや、険しいどころではない。

 さしずめ、地獄の門番とでも形容したら、ぴたりと来ると思う。

「やはり貴様が元凶のようだ! ええい、瑠璃様を誑かしおって!!」

「ええーっ?! ちょっとお待ち下さい! わわわ私はまだ誑かしてなど……っ」

「まだ!? 未遂かっ、未遂だとでも申すか貴様っ!? 許せん……っ」

 ますます憤怒を顕わにする、鳴海の手元がすっと動いた。

 その手が、腰に差した大刀の柄を握る。

「おっ大谷殿っ!? 何する気で……」

「問答無用!! 姫君を色香で誘い、我が物にせんと企てし罪は、万死に値する!! よってこの大谷鳴海が成敗いたーーーーす!!!」

「えぇぇええええ!? っていうかあんたちょっと幾らなんでも!!」

「イクラもハマチもあるかっ! 瑠璃様を解放し、その場へ直れ!!」

 しゃらんっ、と鋭い音を立てて抜き放たれた大刀が、朝の陽光にきらりと閃く。

 兎に角、これ以上鳴海を刺激しないほうが良さそうだ。

 そのためにも、まずは絡み付いて離れない瑠璃を何とかしなければ。

「瑠璃、頼むからちょっと、は、離れてくれないかっ?」

「いやじゃ」

(それは嬉しいが、今は困る……!!)

 ぐりぐりと首を大きく横に振り、瑠璃は頑として離れようとはしない。

「さあ早く瑠璃様を放せ!!」

「や、でも大谷殿、瑠璃が離れてくれな……」

「銃太郎殿がいけないのじゃ! 城に帰れなどと申すからっ! 私がここにいたら駄目なのか?!」

 この上、ちろりと上目で問いかけてくる。

「……!?」

(ぎゃーーーーー……誤解されそうなことを言うな瑠璃ーーーー)

 と、抜き身の刀身を上段に構えた鳴海を見ては、大いに焦る。

 が。

 委細はどうあれ、ここまで自分に固執してくれている様子は、ちょっと、――否、すごく嬉しい。

「いや、でもな、大谷殿も瑠璃の為に一生懸命――」

「でも私は銃太郎殿がいい!!」

「そ、そういうことは、大谷殿がいないところで言ってくれ……」

 嬉しさが手伝って照れもするが、非常に困る。

「兎に角私は城へは戻らぬ! 銃太郎殿もそれで良いと申しておるのじゃ、帰れ鳴海!」

(言ってなぁあああああい!!!)


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る