迷子のラブレター

あん彩句

迷子のラブレター


「おい、事件だ」


 そう言ってヤツは私のことを呼んだ。


 ヤツ、は三角でほとんどのパーツが描けそうな顔をしている。目は吊り目だし、顎は尖り気味だし、鼻は高くって、眉毛もキリッと鋭角で、髪が逆立っている。


 でも、笑うと何もかもがふにゃっとなる。ふにゃっとなって、その上ちょっと引き気味のケケケと妙な笑い方をして気持ち悪いんだけど、どんなつまらないことだって我慢できないくらいの笑い上戸。また笑ってるよって言われちゃうくらい。


 で、その笑い上戸が真剣な顔で辺りを見渡し、コソコソと廊下に出て振り返り、神妙な顔で私の名前を呼ぶもんだから、心臓が飛び跳ねてジーンと響いた。机に肘をぶつけた感じで、ジーンと。


 それでも私はなんでもない顔をして、さらにちょっと迷惑そうな演技まで付け加えてその呼び出しに応じた。廊下に出て角を曲がり、階段の下の隅っこの薄暗い場所で、ヤツは右と左の掌を合わせて、それを私に差し出した——やっぱり辺りを警戒してから。


「なによ?」


「だから事件だって。ほら、ちょっとこれ覗いてみ」


そう言ってヤツが掌の間に隙間を作った。私は身を屈めてそれをそっと覗いてなんだろうって見ようとしたけれど、覗いた途端にそれを確かめるのを早々に諦めてしまった。


「見えない。あんたの掌が作る闇しか」


 シーッとやって、ヤツは慌てて掌を開いた。中に入っていたのは、ヤツの掌にピッタリサイズのメッセージカード。真四角で、綺麗な花が銀色で箔押しされている。


「あ、違う、こっちじゃなくて」


 ヤツはまたパチンと掌を合わせ、反対に手を返してそーっと開いた。さっきよりも開いたから、開いたというより離したと言った方が正しい。そして、右手の掌を私が仰反るほどへぐいっと寄せる——私はそれを見て、眼球の毛細血管が膨張するほどの緊張に包まれて目を見開いた。



 あまりにも唐突すぎて、心臓が皮膚を突き破るどころか瞬間凍結。ひっと、声が出なかったものの、そういう声を出したような形で私の口は止まっていると思う。


 恐る恐る顔を上げると、ヤツも同じ顔をしていた。三角の尖ったところが全部、上を向いている感じ。


「な?」


 たしかに事件だ。その素敵なカードには、きっと何度も練習したんだろうと予測される、丁寧に丁寧に書かれた4文字があった。黒の細いボールペンで、どんな気持ちで書いたのかわかるほどの筆圧。5枚入りのカードの5枚目なんだと思う、きっと。それとも5枚に書いたうちの渾身の出来がこのカードなんだと思う。



『好きです』



 それを読んでしまった罪悪感。それもヤツの手の中にあるそれは、見覚えがあるようなないような文字で、やましさが後ろ髪を引くようだった。コソコソと周りを伺いながら私を呼んだヤツの気持ちをやっと理解したけど、おいおいおいと、とんでもないもの見せてくれやがったなという不満が膨れ上がった。


「なんで私を巻き込むの!」


 今にも吐きそうな胃を摩りながら訴えると、ヤツはその三角のパーツを全部四角に変えて(いや、実際は変わってないけどそんな風に見えてちゃった)、そのカードを再びパチンと手の中へしまった。


「だってオレひとりでどうすんだよ」


 ヤツがぐいっと寄ってくるから、私は一歩下がりながら頰を引きつらせる。


「どうにかしなよ」


 っていうか、わざわざ一番前の席から一番後ろの席までやって来て私を巻き込むことないじゃん、って言ってんの! と、私の口が反論する前に、ヤツはまたぐいっと寄って来た。


「え、これヒラヒラさせて、そんで『誰かラブレターの中身落とした?』って大声で叫べと?」


 ぴたりと壁に貼り付いて、逆ヤモリみたいな格好で震える。なんて恐ろしい言葉を発するんだろう。その勇気の塊を簡単にさらりと一括りに単語にするなんて!


「ラ、ラブレター!」


「なんだよ、他にどう言うんだよ」


「ラブカード?」


「……急にエロいな」


 手をパチンと合わせたまま、さっきまでの勢いはどこへやら、不満そうに口をへの字に曲げたヤツは、胸の辺りまで上げていた手を少し下げた。


「この字に見覚えねぇの?」


「ない」


 あるようなないような、と考えたのは確かだけど、その後にピンと来なかったから即答する。そしたらヤツは、今度は眉を寄せた。


「——え、なんで?」


「なんでって、なんで? 私、『全員の文字を記憶してる』なんてスキル持ってないけど」


「ん? いや、つかこれさ、なんかおまえの字にすっげー似てね?」


 衝撃の質問に私もヤツと同じ顔になって、予想だにせずしばらく見つめ合ってしまった後に、恐々とヤツの左手の人差し指の付け根を摘んで持ち上げた。


 手の中では、淡い紫色のカードが私に向かって『好きです』と告げている——私はヤツの左手を叩いて閉じた。


「違う!」


 ブルブルと頭を振って、全力で否定した。


「私の字じゃないし、こんなこと書いたことないし! え、待って、あんたさ、これが私のかもしれないってほぼ確信してて、それで私に聞いたの? 弱味でも握るつもりで? 私に毎朝メロンパン届けさせるつもりだった?」


「違うっつの、なんだメロンパンって」


 ヤツの顔が今度は一直線に変わる。眉も目も口も、漢字の『一』みたいに、右端に小さな山を作って、私から目を逸らした。


「オレの椅子の下に落ちてたんだよ」


「椅子の下って、それじゃ——」


 誰かがあんたに渡したかったってことなんじゃないのって言おうとして、『じゃ』と声を出したところで固まった。


 火炙りにされたみたいに全身が熱くなる。心臓が分裂を始めるんじゃないかってくらい激しく動き出して、ゴクリと唾を飲み込んだ。



「わ、わ、私が、あんたに、か、書いたって、思った?」


 ひどく動揺して声が上ずった。そんな滑稽な私を見たら、笑い上戸は笑わずにはいられないはずなのに、真っ赤な顔をしたヤツは一文字の顔のまま。


「……悪いかよ」


 ヤツが口を開かないままモゴモゴ言った。


「だって今そう繋がっちゃったし。おまえの字に似てて、オレの椅子の下に落ちてて——」


「ちょっと! 勝手に繋げないでよ!」


 恥ずかしさのあまり、力一杯ヤツの左腕を叩いたら、ヤツの手の中からカードがひらひら舞って床に落ちた。私とヤツはそれを目で追った後、視線だけをお互いに戻した。ガッチリと見事に焦点が合ってしまった。



「……ま、紛らわしいことすんなってな」


「……ほ、ほんとだよ。びっくりするわ」



 やたらと棒読みでそう言葉を交わすと、私は身を屈めてその『好きです』を拾い上げた。なぜだかその文字には触れちゃいけない気がして、カードの縁を指で優しく包む。


 目を上げると、ズボンのポケットに手を突っ込んだヤツがちょっとはにかんで肩をすぼめた。


「その……」


 カードの縁を指でなぞりながら、私がモゴモゴ言う番だった。ヤツの顔など見られるわけがない。脚までモジモジさせて、モゴモゴを続ける。


「書いたのが本当に私だったら、な、なんて返事するつもりよ?」


「そっ、それは——」


 ヤツは更に赤くなって、ありとあらゆる三角を際立たせて、ぷいっとそっぽを向いた。そのおかげで、首まで真っ赤になっていると知る——きっとね、私も同じだと思うけど。


「それは、あれだよ。書いてからのお楽しみ、だ、うん」


「おっ、お楽しみ——」


 思わず声が大きくなっちゃって、っていうかきっとそこまでボリュームを上げたわけじゃないんだけどなんだか大きく聞こえちゃって、私は慌てて口を手で塞いだし、ヤツもびっくりして飛び上がった。


 またひらひらと、『好きです』が床へ落ちる。


「そんなこと言われたら、書いちゃうよ。書いちゃうからね、私」


 できるだけ声を小さくしてヤツの後頭部へ向かって言った。ヤツは落ちてしまった『好きです』を拾うところで、やたらと丁寧にそのカードを手に持った。


 さっきまでパチンと両手で挟んでいたくせに、今はずっしり重い金塊でも持つみたいに恭しい。そして、私を見ないままこくんと頷いた。


「できるだけ早めにお願いします」


「……は、はい?」


「——で、こいつをどうするか」


 急に踵を返すみたいに話を変えたヤツは、まだ首筋を赤くしたまま、わざとらしく私から顔を逸らしたまま、教室へと体の向きを変えた。それからちょっとだけ後ろを振り向いて、私に言った。


「とりあえず、相談がてら帰りにどっか寄らね?」


「う、うん。うん、そうしよっか」


 私も慌てて後ろに続く——ヤツが丁寧にカードをポケットへしまうのを眺めながら、なんだか心が落ち着いていくのがわかった。


 私の『好きです』もきっとあんな風に大切にしまってもらえるんだろう、そう思うとほっとした。それならば、とびきりかわいいカードを用意して、心を込めて言葉を綴ろう——大好きです、と。




【 迷子のラブレター 完 】



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